江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2016年4月7日祈祷会(創世記35章、死から誕生へ)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.シケムからベテルへ

・シケムの男に妹を汚されたヤコブの息子たちは、報復の為に町を襲い、男たちを皆殺しにした。息子たちの愚行により、ヤコブたちはシケムを離れることとなった。その時、神はベテルに行くようにヤコブに命じられた。
−創世記35:1「神はヤコブに言われた。『さあ、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてその地に、あなたが兄エサウを避けて逃げて行った時、あなたに現れた神のための祭壇を造りなさい』」。
・ベテルは、ヤコブが故郷を追われて荒野を放浪していた時、始めて神と出会った場所であった。
―創世記35:2-3「ヤコブは、家族の者や一緒にいるすべての人々に言った。『お前たちが身に着けている外国の神々を取り去り、身を清めて衣服を着替えなさい。さあ、これからベテルに上ろう。私はその地に、苦難の時私に答え、旅の間私と共にいてくださった神のために祭壇を造る』」。
・ヤコブはベテルに上るために、全ての異教の偶像を捨て、身を清めるように家族に命じた。神が共におられるならば(イムマヌエル)、もはや偶像は要らない。やがてベテルは民族の聖地となる。
−創世記35:4-7「人々は、持っていた外国のすべての神々と、着けていた耳飾りをヤコブに渡したので、ヤコブはそれらをシケムの近くにある樫の木の下に埋めた。こうして一同は出発したが、神が周囲の町々を恐れさせたので、ヤコブの息子たちを追跡する者はなかった。ヤコブはやがて、一族の者すべてと共に、カナン地方のルズ、すなわちベテルに着き、そこに祭壇を築いて、その場所をエル・ベテルと名付けた。兄を避けて逃げて行った時、神がそこでヤコブに現れたからである」。

2.ベテルにて

・ベテルに戻ったヤコブに神が再び現れ、祝福された。そしてヤコブに、名前を、ヤコブ(欺く者)からイスラエル(神の戦士)へと変えるように命じられた。
―創世記35:9-10「ヤコブがパダン・アラムから帰って来た時、神は再びヤコブに現れて彼を祝福された。神は彼に言われた。『あなたの名はヤコブである。しかし、あなたの名はもはやヤコブと呼ばれない。イスラエルがあなたの名となる』。神はこうして、彼をイスラエルと名付けられた」。
・そのイスラエルに、多くの子孫とカナンの地を与えるとの祝福がなされた。
−創世記35:11-12「神は、また彼に言われた。『私は全能の神である。産めよ、増えよ。あなたから一つの国民、いや多くの国民の群れが起こり、あなたの腰から王たちが出る。私は、アブラハムとイサクに与えた土地をあなたに与える。また、あなたに続く子孫にこの土地を与える』」。
・イスラエルの子たちが、やがてイスラエル十二部族としてカナンの地に国を造る。イスラエルの十二人の子を祝福するとの約束は、新約聖書においても継承されている(新しいイスラエルとしての十二弟子)。またアメリカの陪審員の数は12名である。映画「十二人の怒れる男たち」はアメリカの法廷劇のモデルになった。
−ルカ6:13「(イエスは)朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた」。

3.死と誕生

・ヤコブの妻ラケルは男の子を産んだ時、もう一人の子が与えられるように願った。彼女の願いは適えられ、二番目の子が与えられたが、それは彼女の命と引き換えにであった。
−創世記35:16-18「一同がベテルを出発し、エフラタまで行くにはまだかなりの道のりがあるときに、ラケルが産気づいたが、難産であった。ラケルが産みの苦しみをしている時、助産婦は彼女に、『心配ありません。今度も男の子ですよ』と言った。ラケルが最後の息を引き取ろうとする時、その子をベン・オニ(私の苦しみの子)と名付けたが、父はこれをベニヤミン(幸いの子)と呼んだ」。
・ヤコブはラケルがベン・オニ(苦しみの子)と名づけた末子を、ベニ・ヤミン(幸いの子)と呼びなおす。ラケルが葬られたのはエフラタ(今日のベツレヘム)であったが、イスラエル民族はラケルを民族の母と慕い、彼女の死を悼んだ。彼らは悲しい出来事があると「ラケルが子らのために泣いている」と言うようになった。エレミヤはイスラエルの民がバビロンに捕囚になり、その地を通った時、「ラケルが泣いている」と形容した。
−エレミヤ31:15「主はこう言われる。ラマで声が聞こえる、苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む、息子たちはもういないのだから」。
・マタイはヘロデ王がベツレヘムの幼子を虐殺した時、同じように「ラケルが泣いている」と表現した。
−マタイ2:16-18「ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。『ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから』」。

4.ヤコブの息子たち

・この旅の途上で長男ルベンはヤコブの寝所に入り、側室ビルハと寝ている。父の妻を奪う、老いた父に代わって、自分が指導者になるとの意思表示である。
−創世記35:22a「イスラエルがそこに滞在していた時、ルベンは父の側女ビルハの処へ入って寝た。このことはイスラエルの耳にも入った」。
・老年に達したヤコブはもう長男を制裁することはできない。しかし彼は死の床で、長男ルベンから長子権をはく奪している。
−創世記49:3-4「ルベンよ、お前は私の長子、私の勢い、命の力の初穂。気位が高く、力も強い。お前は水のように奔放で、長子の誉れを失う。お前は父の寝台に上った。あの時、私の寝台に上り、それを汚した」。
・ヤコブは12人の息子を得たが、ヤコブの祝福はラケルの子ヨセフに継承されていく。
−創世記35:22b-26「ヤコブの息子は十二人であった。レアの息子がヤコブの長男ルベン、それからシメオン、レビ、ユダ、イサカル、ゼブルン、ラケルの息子がヨセフとベニヤミン、ラケルの召し使いビルハの息子がダンとナフタリ、レアの召し使いジルパの息子がガドとアシェルである。これらは、パダン・アラムで生まれたヤコブの息子たちである」。
・ヤコブ物語は35章で終わり、36章のエソウの系図を挟んで、37章からはヨセフ物語に移っていく。ヤコブは様々な術策を用いて人生を勝ち抜いてきたが(ヤコブ=欺く者)、振り返るとはかない人生だったと語る。「人生を勝ち抜く」とは何なのだろうか。どのような生涯が祝福された生涯と言えるのだろうか。
−創世記47:9「ヤコブはファラオに答えた。『私の旅路の年月は百三十年です。私の生涯の年月は短く、苦しみ多く、私の先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません』」。
*アブラハムは175歳で死に(25:7)、イサクは180歳で死んでいる(35:28)。ヤコブの没年130歳を7掛けすると90歳になる。ヤコブが90歳で死んだのなら天寿を全うしたと現代の私たちには思える。

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