すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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2019年7月21日説教から

2019-7-21
「卑しめられたのは私のために良いことでした。私はあなたの掟を学ぶようになりました。あなたの口から出る律法は私にとって、幾千の金銀にまさる恵みです」(詩編119:71-72)

ヨセフは主人の妻から言いがかりをつけられた時も、無言で主人の妻の罪を自ら担います。神の摂理を信じる者は未来を神に委ねて生きることが出来るゆえに、苦難の中でも平静です。ヨセフの獄中生活は3年間にも及びました。ヨセフの気持ちの中では希望と失望が交互していたであろうと思えます。

注解者リュティは語ります「神は十字架上から『わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか』と叫ばれた御子イエスを十字架に残されました。しかし神はそこにおられました・・・艱難、災難、失望、欠乏は神が我々と共におられないことのしるしではない。むしろ、神が我々と共におられることの証拠だ」。与えられた出来事を災いと思う時、その出来事は人の心を苦しめます。しかし出来事を神の摂理と理解した時、新しい道が開けます。

ヨセフは不当な罪で投獄されましたが、その投獄された先は王の囚人をつなぐ獄舎で、この投獄がやがてヨセフが王の側近と知り合い、エジプト王に仕える契機となります。詩編119編はバビロン捕囚時の詩と言われています。イスラエルの民は、エルサレムが占領され、信仰の中心だった神殿も破壊され、自分たちも遠いバビロンに連れ去られた時、神の導きが分からなかった。捕囚は七十年にも及んだ。しかし、この70年の試練を経て、イスラエル人は神の民として自立していきます。旧約聖書が編集され、ユダヤ教が宗教として成立したのも、捕囚時代でした。ユダヤの民が捕囚時に編集した旧約聖書は、今なお読み続けられ、人々に生きる力を与え続けています。「卑しめられたのは私のために良いことでした。私はあなたの掟を学ぶようになりました」と詩編作者は歌いました。人は卑しめられなければ、底の底まで落ちなければ、神を求めない存在なのです。

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