すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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2016年12月4日説教から

2016-12-4
「イエスは、身を起こして言われた。『婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか』。女が『主よ、だれも』と言うと、イエスは言われた。『私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない』」(ヨハネ8:10-11)

人々は姦淫を犯した女をイエスの前に連れてきて言いました「この女は姦通をしている時に捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています」。イエスは言われます「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい」。イエスの言葉に人々は一人一人立ち去って行きました。イエスは女に言われます「私もあなたを罪に定めない」。

マタイは福音書冒頭の系図に中に、罪を犯した四人の女性たちの名前を入れます。「神はこの女性たちの悲しみを知っておられ、それを憐れまれた。だから、彼女たちは神の子の系図に入ることを許された」と主張しています。神は私たちが弱さのために罪を犯すことを知っておられ、私たちが罪を認めた時にその罪を赦されます。

精神科医の神谷美恵子さんは語ります「罪深いままでよいのだ、ありのままでよいのだ、そのままでお前の罪は赦されているのだ、と。もしそのような声が世界のどこからか響いてくれば、罪の人ははっと驚いて歓喜の涙にかきくれ、とりつくろいの心も捨てて、あるがままの身を投げ出し、その赦しを素直に受け入れるだろう」。この赦しがマタイ福音書冒頭に、またヨハネ8章にもあるのです。この赦しを経験した者は、もはや以前の生活には戻れません。だから、私たちは教会に来るのです。何故ならば、私たちもこの赦しを経験したからです。福音書の最初のページは赦しから始まっています。私たちはこのことに感謝し、「アーメン、わが主よ、あなたは生きておられます」と讃美したいと思います。

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