すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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2016年6月26日説教から

2016-6-26
「お前たちは、私が飢えていた時に食べさせ、のどが渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいた時に訪ねてくれたからだ」(マタイ25:35-36)

最後の審判で、私たちは裁き主キリストの前に出て、正しい者は右に分けられ、祝福を受けます。選ばれた人たちはなぜ自分が祝福されるのかわかりません。その人々にキリストは語ります「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである」。

この言葉は初代教会の人々に大きな感銘を与えました。アレキサンドリアのキュリロスは語りました「人間になって飢えと渇きを味わった神だけが、貧者への思いやりの欠けた富者を罰することができる」。当時のキリスト者たちは「神が人間になることは、神が貧者になった」ことと理解し、貧者への救貧行為がキリストに仕えることであるとして、病人や貧困者への救済活動を信仰の業として行っていたのです。ローマ時代には疫病が繰り返し発生し、死者は数百万人にも上り、人々は感染を恐れて避難しましたが、キリスト教徒たちは病人を訪問し、死にゆく人々を看取り、死者を埋葬した。この「食物と飲み物を与え、死者を葬り、自らも犠牲になって死んでいく」信徒の行為が、疫病の蔓延を防ぎ、人々の関心をキリスト教に向けさせたと考えられています。

この「困窮者こそキリストである」という信仰は今日でも重要な役割を持っています。マザーテレサをその活動に押しやったのもその信仰です。マザーは語ります「貧しい人に触れる時、私たちは実際にはキリストのお体に触れているのです。私たちが食べ物をあげるのは、着物を着せるのは、住まいをあげるのは、飢えて、裸の、そして家なしのキリストに、なのです」。

説教

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