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2018年1月21日説教から

2018-1-21
「そして更に言われた。『安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある』」(マルコ2:27-28)

マルコ2章では、イエスの弟子たちが安息日に麦の穂を摘んだために咎められ、イエスとファリサイ人との間に論争が起きました。麦の穂を摘んで食べることは許されていましたが、「安息日にはしてはいけない」とファリサイ人は咎め立てたのです。

当時のユダヤ人にとって、安息日を守ることは戒めの根幹をなすものでした。安息日には一切の仕事をすることが禁じられ、侵す者は主との契約を破る者として批判されました。しかし、本来の安息日は農耕生活における休息日として設けられました。それは「6日間働いて7日目には休みなさい」という祝福でした。しかし、人間の罪はこの祝福を、「これはしてはならない」、「あれはしてはならない」という人を束縛する戒めに変えてしまった。だからイエスは戦われた。

イエスは言われます「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」、律法を命よりも大事と考えるパリサイ人や律法学者には、これは許すことの出来ない言葉でした。イエスの宣言はまさに革命的な言葉なのです。

イエスの後に続く教会が「安息日は礼拝を守らなければいけない。礼拝を守らない者はキリスト者ではない」と言い始めたら、それは再び人間を律法の奴隷にする行為です。カール・バルトは、安息日を「祝いと自由と喜びの日」とし、日曜日を「礼拝を守らなければいけない日」ではなく、「礼拝に参加することが出来る日」に変えることが出来れば、私たちの人生はどんなにか豊かになると語ります。「安息日は、人のために定められた」。この言葉はイエスが命をかけて戦い取られた福音であることを覚えたいと思います。

説教

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