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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

聖書教育の学び

2022年5月22日聖書教育の学び(2016年3月9日祈祷会、使徒言行録26:1-32、王の前で弁明するパウロ、やがてローマへ)

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1.パウロ、皇帝に上訴する

 

・パウロは2年間カイサリアのローマ総督府に幽閉された。パウロを処刑する根拠はなく、逆に釈放すればユダヤ人が騒ぐからだ。「あなたはローマで私を証しせよ」(23:11)と約束された主は沈黙しておられる。パウロにとっては試練の時だった。しかし、主は事態を打開される。総督の交代により、状況は動き始める。フェリクスが総督の地位を追われ、後任総督のフェストゥスが赴任した。ユダヤ教指導者たちは新総督に、「パウロをエルサレムで裁判にかけよ」と求めた。

―使徒25:1-3「フェストゥスは、総督として着任して三日たってから、カイサリアからエルサレムへ上った。祭司長たちやユダヤ人の主だった人々は、パウロを訴え出て、彼をエルサレムへ送り返すよう計らっていただきたいとフェストゥスに頼んだ。途中で殺そうと陰謀をたくらんでいたのである。」

・ユダヤ人たちはパウロをエルサレムに送還させ、途中待ち伏せて殺害しようと企んだが、新総督からカイサリアに来て訴えるよう勧められ、企みは頓挫した。

-使徒25:4-5「ところがフェストゥスは、パウロはカイサリアで監禁されており、だから、自分も間もなくそこへ帰るつもりであると答え、『だから、その男に不都合なところがあるというのなら、あなたたちのうちの有力者が、私と一緒に下って行って、告発すればよいではないか』と言った。」

・フェストゥスが始めた裁判で、ユダヤ人たちはパウロの罪を訴えたが、具体的に何一つ立証できず、逆に訴えられたパウロが堂々と無実を主張する皮肉な結果となった。

-使徒25:6-8「フェストゥスは、八日か十日ほど彼らの間で過ごしてから、カイサリアへ下り、翌日、裁判の席に着いて、パウロを引き出すよう命令した。パウロが出廷すると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちが彼を取り囲んで、重い罪状をあれこれ言い立てたが、それを立証することはできなかった。パウロは、『私は、ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても何も罪を犯したことはありません』と弁明した。」

・新総督フェストゥスも前総督フェリクスと同様、ユダヤ人の歓心を買おうとして、パウロにエルサレムでの裁判を勧めたが、パウロは皇帝への上訴を希望した。

-使徒25:9-12「しかし、フェストゥスはユダヤ人に気に入られようとして、パウロに言った。『お前は、エルサレムに上って、そこでこれらのことについて、私の前で裁判を受けたいと思うか。』パウロは言った。『私は皇帝の法廷に出ているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。よくご存知のとおり、私はユダヤ人に対して何も悪いことはしていません。もし、悪いことをし、何か死罪に当たることをしたのであれば、決して死を免れようとは思いません。しかし、この人たちの訴えが事実無根なら、だれも私を彼らに引き渡すような取り計らいはできません。私は皇帝に上訴します。そこで、フェストゥスは陪審の人々と協議してから、『皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとへ出頭するように』と答えた。』

・パウロは前に進むためであれば、カイサリアでの長い幽閉にも耐えた。しかし、事態が後戻りするのであれば、合法的手段を活用して、道を開く。パウロの上訴により、福音が帝国の首都にまで広がることになった。パウロがロ-マ皇帝への上訴を決意したのは、エルサレムで裁判が行われれば、当然、ユダヤ人たちの恣意で不正な裁判が行われると考えたからだった。しかし、当時のローマ皇帝はキリスト者迫害者として悪名高い「ネロ」(在位54-68年)だった。彼の許で裁判を受けるのもまた危険な行為だったが、パウロはあえてその道をとった。田中正造が足尾鉱毒事件で明治天皇に直訴してその場で取り押さえられたように、パウロの上告も賭けに近いものであったかも知れない。

 

  1. アグリッパ王の前でのパウロの証し

 

・総督フェストウスは、パウロを牢に止め置き、対ユダヤ人政策の道具にしようとした。それに気付いたパウロはロ-マ皇帝への直訴に踏み切る。フェストウスは狡くて凡庸な執政官だった。総督はユダヤ人の宗教に詳しいアグリッパ王の来訪を幸いに王に告発状についての助言を求め、王は裁判に出席した。アグリッパ王の前でパウロの裁判が始まった。

-使徒26:1-3「アグリッパはパウロに、『お前は自分のことを話して良い』と言った。そこで、パウロは手を差し伸べて弁明した。『アグリッパ王よ。私がユダヤ人に訴えられていることすべてについて、今日、王の前で弁明させていただけるのは幸いであると思います。王はユダヤ人の慣習も論争点もよくご存知だからです。それで、どうか忍耐をもって、私の申すことを聞いてくださるように、お願いいたします。』」

・パウロにやましさは何もない。彼はアグリッパ王を前に弁明を始めた。

-使徒26:4-6「『さて、私の若いころからの生活が、同朋の間であれ、またエルサレムの中であれ、最初からどうであったかは、ユダヤ人ならだれでも知っています。彼らは以前から私を知っているのです。だから、私たちの宗教の中で厳格な派である、ファリサイ派の一員として私が生活していたことを、彼らは証言しようと思えば、証言できるのです。今、私がここに立って裁判を受けているのは、神が私たちの先祖にお与えになった約束の実現に、望みをかけているからです。』」

・パウロが属していたファリサイ派は「終末の日における復活」(ダニエル書12:1-3)を信じていた。パウロは「イエスの復活こそが終末が来たことのしるし」であると証言する。

-使徒26:7-11「『私たちの十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕え、その約束の実現されることを望んでいます。王よ、私はこの希望を抱いているために、ユダヤ人から訴えられているのです。神が死者を復活させてくださるということを、あなたがたはなぜ信じ難いとお考えになるのでしょうか。』」

・「自分の熱心の方向性は間違っていた。復活のイエスに出会ってそれがわかった」と、パウロは自己の回心体験を、反省を込めて証ししていく。狂信は人を神から離れさせ、異端審問官に変えてしまう。

-使徒26:9-11「『実は私自身も、あのナザレの人イエスの名に大いに反対すべきだと考えていました。そして、それをエルサレムで実行に移し、この私が祭司長たちから権限を受けて多くの聖なる者を牢に入れ、彼らが死刑になる時は、賛成の意志表示をしたのです。また、至る所の会堂で、しばしば彼らを罰してイエスを冒涜するよう強制し、彼らに対して怒り狂い、外国の町のまでも迫害の手を伸ばしたのです。』」

・そのパウロに、ダマスコ途上で復活のイエスが現れる。そのイエスはパウロに言った。「私を迫害すると、とげのついた棒を蹴るようにひどい目に遭う」と。主に逆らって迫害を続けることは、「とげの突いた棒を振り回すような」、神から離れていく行為なのだとパウロは示された。

-使徒26:12-15「『こうして私は・・・ダマスコへ向かったのですが、その途中、真昼のことです。王よ、私は天からの光を見たのです。それは太陽より明るく輝いて、私と同行していた者との周りを照らしました。私たちが皆地に倒れたとき、「サウル、サウル、なぜ、私を迫害するのか。とげのついた棒をけると、ひどい目に遭う」と、私にヘブライ語で語りかける声を聞きました。私が、「主よ、あなたはどなたですか」と申しますと、主は言われました「私はあなたが迫害しているイエスである。」』」

・パウロは復活のイエスに出会ったことをコリント書の中でも証ししている。

-第一コリント15:3-10「最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおり私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです・・・そして最後に、月足らずで生まれたような私にも現れました。私は、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日の私があるのです。そして、私に与えられた神の恵みは無駄にならず、私は他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実は私ではなく、私と共にある神の恵みなのです」。

 

3.パウロ、自分の回心を語る

 

・地に倒れたパウロに、イエスは「起き上がれ、私の証人となれ」と命じる。

-使徒26:16-18「『起き上がれ。自分の足で立て。私があなたに現れたのは、あなたが私を見たこと、そして、これから私が示そうとすることについて、あなたを証人にするためである。私は、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのもとへ遣わす。それは、彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、こうして、彼らが私への信仰によって、罪の赦しを得、聖なる人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである。』」

・こうしてパウロは主の伝道者になり、そのことにより、ユダヤ人たちからは、「背教者」として命を狙われるようになった。

-使徒26:19-23「『アグリッパ王よ、私はこういう次第で、私は天から示されたことに背かず、ダマスコにいる人々を初めとして、エルサレムの人々とユダヤ全土の人々、そして異邦人に対して、悔い改めて神に立ち帰り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと伝えました。そのためにユダヤ人は、神殿の境内にいた私を捕えて殺そうとしたのです。ところで、私は・・・預言者たちやモ-セが必ず起こると語ったこと以外には、何一つ述べていません。つまり私は、メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を語り告げることになると述べたのです。』」

・パウロはガラテヤ書でも復活のイエスとの顕現体験を述べている。

-ガラテヤ1:15-17「私を母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子を私に示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされた時、私は、すぐ血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、私より先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした」。

 

4.パウロ、アグリッパ王に信仰を勧める

 

・世の人々は、「十字架の贖いを信じ、復活に希望を置くことは愚かだ」と考える。証明できない出来事を信じることなどできないからだ。総督フェストウスもそう考えた。

-使徒26:24-25「パウロがこう弁明していると、フェストウスは大声で言った。『パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ。』パウロは言った。『フェストウス閣下、私は頭がおかしいわけではありません。真実で理にかなったことを話しているのです』」。

・パウロはアグリッパ王に入信を勧めたが、王はパウロの宣教に心が動かされない。知的で教養があり、現在に満足している者は、福音の言葉を聞こうとはしない。「間に合っている」からである。

-使徒26:26-29「『王はこれらのことについてよくご存じですので、はっきりと申しあげます。このことは、どこかの片隅で起こったことではありません。ですから、一つとしてご存じないものはないと、確信しております。アグリッパ王よ、預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います。』アグリッパ王はパウロに言った。『短い時間で私を説き伏せてキリスト信者にしてしまうつもりか。』パウロは言った。『短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが』」。

・アグリッパ王による審問が終わった。パウロの熱弁も総督や王を動かすことはなかった。

-使徒26:30-32「そこで、王が立ち上がり、総督やベルニケや陪席の者も立ち上がった。彼らは退場してから、『あの男は、死刑や投獄に当たるようなことは何もしていない』と話し合った。アグリッパ王はフェストウスに、『あの男は皇帝に上訴さえしておなければ、釈放してもらえただろうに』と言った。」

・W.H.ウィリモンは使徒言行録注解の中で述べる「私たちの証しは往々にして、『私は惨めでした』、『その私がイエスを見出した』、『今、私の生活は満たされ、私は幸福だ』というパターンになり、証しの主語は『私』となる。しかしパウロの証しは異なる『私はキリストの伝道者になることによって石を投げられた』、『私は今鎖につながれて囚人となっている』、『やがて行くローマで処刑されることも覚悟している』。パウロはそのことを卑下しない。パウロの証言の主題は『キリスト』であって、『パウロ個人ではない』」。「キリストがして下さったことを証しする」、その証しの方法を私たちは学ぶべきだ。

-ルカ8:38-39「悪霊どもを追い出してもらった人が、『お供したい』としきりに願ったが、イエスはこう言ってお帰しになった。『自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい』。その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた」。

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