江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2015年11月4日祈祷会(使徒言行録11:1-30、異邦人伝道の進展)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.コルネリウスのバプテスマのその後

・ペトロは異邦人コルネリウスにバプテスマを授けたが、それを聞いたエルサレム教会は反発する。彼らが問題にしたのは、異邦人へのバプテスマではなく、異邦人と食事したことである。ユダヤ人は異邦人と口をきくことさえ避けていたので、ペトロのように異邦人と食事するなど考えることすらできなかった。ペトロは彼らの非難を受け止め、臆することなく、筋道を立て釈明した。
−使徒11:1-4「さて、使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、異邦人も神を受け入れたことを耳にした。ペトロがエルサレムに上って来た時、割礼を受けた者たちは彼を非難して『あなたは割礼を受けていない者たちの所へ行き、一緒に食事をした』と言った。そこでペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた。」
・ペトロは、彼が祈っている時に、神から幻が与えられたとその経緯を説明する。
−使徒11:5-10「『私がヤッファの町にいて祈っていると、我を忘れたようになって幻を見ました。大きな布のような入れ物が、四隅を吊るされて、天から私の所まで下りて来たのです。その中をよく見ると、地上の獣、野獣、這うもの、空の鳥などが入っていました。そして、「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と言う声を聞きましたが、私は言いました。「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物を口にしたことがありません。」すると、「神が清めた物を清くないなどとあなたは言ってはならない」と再び天から声が返って来ました。こういうことが三度あって、また、全部の物が天に引き上げられてしまいました。』」
・ユダヤ人には厳挌な食物規定があり、汚れている動物は食べることを禁じられていた。ペトロはそれまで禁じられた動物を食べたことがなかったので、屠って食べよと言われた時、反論した。神は食べ物のタブーを取り除くことで、異邦人伝道への壁も取り払おうとされたのである。ペトロを非難した人々は、律法主義者だった。彼らは異邦人コルネリウスにバプテスマを授けたことを非難せず、ペトロが異邦人と一緒に食事をしたことを非難している。彼らに対するペトロの釈明が堂々として、説得力があるのは、すべてはペトロの意志ではなく、背後に神の御意があったからである。「異邦人伝道の端緒を与えたのは神であり、自分はその命令に従ったに過ぎない」とペトロは釈明した。

2.神の賜物をどうして私が妨げられようか

・ペトロは説明を続ける。コルネリウスの使いが、ペトロのもとへ到着した時、ペトロは自分が見た幻の意味が分かったと説明する。ペトロとコルネリウスの出会いは、コルネリウスに幻が与えられ、導き手を求めたのがきっかけだった。
−使徒11:11-14「『その時、カイザリアから私の所へ差し向けられた三人の人が、私たちのいた家に到着しました。すると、“霊”が私に、「ためらわないで一緒に行きなさい」と言われました。ここにいる六人の兄弟も一緒に来て、私たちは、その人の家へ入ったのです。彼は、自分の家に天使が立っているのを見たこと、また、その天使がこう告げたことを話してくれました。「ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。あなたと家族の者を救う言葉を話してくれる。」』」
・ペトロがコルネリウスの家で福音を語り始めると、聖霊が降った。それは、神が彼ら異邦人の信仰を承認した証しであり、聖霊はその賜物であった。
−使徒11:15-18「『私が話し出すと、聖霊が私たちの上に降ったように彼らの上にも降ったのです。そのとき、私は、「ヨハネは水でバプテスマ(洗礼)を授けたが、あなたがたは聖霊によってバプテスマ(洗礼)を受ける」と言っておられた主の言葉を思い出しました。こうして、主イエス・キリストを信じるようになった私たちに与えてくださった同じ賜物を、神が彼らにお与えになったのなら、私のような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。』この言葉を聞いて人々は静まり、『それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えて下さったのだ』と言って神を賛美した。」
・この出来事が教会を異邦人に向かわせていく。しかし、エルサレム教会はその後も異邦人伝道には消極的であった。やがて、異邦人伝道に積極的なアンティオキア教会との間に軋轢が生じ、両教会はエルサレムで使徒会議を開くことになる。
-使徒15:1-2「ある人々がユダヤから下って来て、『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』と兄弟たちに教えていた。それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった」。
・エルサレム教会の中心になったのは、ペトロやヨハネ等ガリラヤ以来の弟子たちで、彼らは復活のイエスに出会ってその存在を変えられたが、信仰的には「律法を守り、神殿を尊ぶ」ユダヤ教徒だった。だからユダヤ教中核の人々も彼らの存在を容認し、彼らはユダヤ教イエス派として活動していた。彼らはあくまでも「ユダイオン」(ユダヤ教徒)であり、誰も彼らを「キリスト教徒(クリスティアノス)」とは呼ばなかった。

3.アンティオキアの教会の誕生

・異邦人伝道はアンティオキアを拠点として本格的に始まった。アンティオキアは紀元前300年頃建設されたシリア州の首都で、ロ−マ総督府が置かれており、ロ−マ、アレキサンドリアに次ぐ地中海沿岸の大都市で、諸文化、諸民族が入り混じる国際都市であった。そこは異邦人伝道のためには地の利を得ていた。
−使徒11:19-20「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外の誰にも御言葉を語らなかった。しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシャ語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。」
・アンティオキア教会の活動を知らされたエルサレム教会は、支援のためにバルナバを派遣した。バルナバはキプロス島出身のヘレニストであり、律法に縛られた頑固な人物ではなかった。彼は信仰を疑われていたパウロの味方となって、パウロの世話をした人物でもある(9:27)。まさに適任であった。
−使徒11:21-24a「主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち返った人は多かった。このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。バルナバはそこへ到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。バルナバは立派な人物で聖霊と信仰に満ちていたからである」。
・バルナバは異邦人伝道にふさわしい人物を知っていた、それはパウロであった。パウロ(サウロ)はそれまでタルソスで埋もれていたが、バルナバに導かれ、自らの使命へ向かうのだった。
−使徒11:24b-26「こうして多くの人が主に導かれた。それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアへ連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」
・預言者アガポが登場する。初代教会では預言者は教会の重要な役割の一端を担っていた。当時の教会は使徒、長老、預言者の三者の指導の下で活動していた。
−使徒11:27-30「そのころ、預言する人々がエルサレムからアンティオキアに下って来た。その中の一人のアガボという者が立って、大飢饉が世界中に起こると“霊”によって予告したが、果たしてそれはクラウディウス帝の時に起こった。そこで、弟子たちはそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた。そして、それを実行し、バルナバとサウロに託して長老たちに届けた。」
・アンティオキア教会を形成したのはギリシャ語を話すユダヤ人たち(ヘレニスタイ)で、彼らは「人はイエスの十字架を通して救われる、律法や割礼は不要だ」と説き、「神は人が造った神殿には住まわれない」と公言した(7:49-50)。体制の枠内でイエスの言葉を聞き続ける限り迫害はないが、同時に進歩もない。イエスはユダヤ教の枠組みを超えたために殺された。人々がそのイエスの言葉に文字通り従い始めた時、その集団は体制を超え、体制側からの迫害が始まる。しかしその迫害を通して良きものが生まれてくる。後のキリスト教会を形成したのはエルサレム教会等の体制派の人々ではなく、迫害されて追放されていった反体制の人々であり、彼らこそ「キリスト者=クリスティアノス」と呼ばれた人々だった。

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