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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

聖書教育の学び

2020年4月5日聖書教育の学び(2015年7月29日祈祷会、ヨハネ19:17‐30、十字架のイエス)

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1.十字架につけられる

 

・イエスは十字架を負わされ刑場へ向かった。共観福音書は途中、通りかかったクレネ人シモンに、イエスに代わり十字架を背負わせたと記録しているが、ヨハネにはそれがない。イエス自身が十字架を最後まで負われたことをヨハネは強調する。

-ヨハネ19:16b-18「こうして、彼らはイエスを引き取った。イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる『されこうべの場所』すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。そこで、彼らはイエスを十字架につけた。またイエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして十字架につけた。」

・アウグステイヌスは十字架を背負って歩むイエスを次のように描写した。肉の目で見るか、信仰の目で見るかによって、イエスの姿はまるで異なってくる。

―「何という偉大な光景か。だが不敬虔な者が見れば大いなる戯れである。何と言う偉大な秘儀か。だが不敬虔な者が見れば、大いなる恥辱である。何と言う信仰の出来事か。だが不敬虔な者が見れば、王杖の代わりに十字架を運ぶ道化である」。

・ピラトが罪状書きを「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書き、ユダヤ人からの訂正申し入れにも応じなかった。罪状書きに連ねられた言語はヘブライ語、ラテン語、ギリシア語であった。ヘブライ語はユダヤ人の言語であり、ラテン語はロ-マ帝国の公用語であり、ギリシア語は地中海沿岸の共通語であったから、十字架の前を通るすべての人々に、この罪状書きは読めた。ピラトは悪ふざけで罪状書きを書いたが、結果的には全世界にイエスが王であることを告げ知らせた。

-ヨハネ19:19‐22「ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、『ナザレのイエス、ユダヤ人の王』と書かれてあった。イエスが十字架に掛けられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、『「ユダヤ人の王」と書かずに、「この男はユダヤ人の王と自称した」と書いてください』と言った。しかし、ピラトは、『私が書いたものは、書いたままにしておけ』と答えた。」

・ヨハネは詩編22編を引用してイエスの十字架の有り様を記述する。ヨハネはイエスの十字架刑に旧約の預言(義人の苦難)の成就を見ている。

-ヨハネ19:23‐24「兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで、『これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう』と話しあった。それは、『彼らは、私の服を分けあい、私の衣服のことでくじを引いた』という聖書の言葉が実現するためであった」。

-詩篇22:17-19『犬どもが私を取り囲み、さいなむ者が群がって私を囲み、獅子のように私の手足を砕く。骨が数えられる程になった私の体を、彼らはさらしものにして眺め、私の着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く」。

・十字架上のイエスの最後を見守ったのは、女性たちだった。イエスは母マリアを愛する弟子に託した。この弟子はヨハネだと言われている。

-ヨハネ19:25‐27「イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロバの妻マリアとマグダラのマリアが立っていた。イエスは、母とそのそばにいる、愛する弟子とを見て、母に、『婦人よ、御覧なさい。あなたの子です』と言われた。それから、弟子に言われた。『見なさい。あなたの母です。』そのときから、その弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」

・使徒言行録ではイエスの復活・昇天後、母マリアは自分の子供たち(イエスの兄弟たち)と一緒に、イエスの弟子たちと同じ家で祈っている(使徒1:14)。ペンテコステ以後、イエスの兄弟たちはエルサレムに住んで、「主の兄弟ヤコブ」を中心にエルサレム共同体指導部を形成し、母マリアもそこにいた。その後のユダヤ戦争の嵐の中で62年にはヤコブも殺され、エルサレムの信徒はペレアに脱出し、この「愛弟子」が母マリアを連れて危険なエルサレムを去り、安全な場所にかくまったと推察される。古代伝承は、その避難先をエフェソとしている。エフェソにはマリアが晩年を過ごしたと伝えられる家を記念する小さい教会堂がある。また、この「愛弟子」がその証しの働きを通して形成した信徒の共同体がエフェソにあり、その共同体が生み出した福音書が「ヨハネ福音書」として流布していた。この「愛弟子」がヨハネという名で知られるようになり、後に彼を記念する「聖ヨハネ教会」がエフェソに建てられる。

 

2.イエスの死

 

・十字架刑は古代地中海世界における最も残酷な刑の一つだ。為政者は罪人を十字形の木に釘付けにして曝し、彼らが国民の生殺与奪の権を掌握し、反逆する者、罪を犯した者の末路の悲惨を示威した。受刑者は死に至るまでの苦痛を与えられ、生ける人間としての尊厳と生への執着を奪われた。為政者が受刑者に与えたのは、息絶えるまでの苦痛であった。

-ヨハネ19:28‐30「この後、イエスは、すべてのことが成し遂げられたのを知り、『渇く』と言われた。こうして聖書の言葉が実現した」。

・ヨハネは、イエスの「渇く」という言葉は、旧約聖書の預言の成就(義人の死)だと説明する。

-詩編22:16「口は渇いて素焼きのかけらとなり、舌は上顎にはり付く。あなたは私を塵と死の中に打ち捨てられる。」

・イエスの声を聞いた兵士たちが、酸いぶどう酒を含ませた海綿を、ヒソプの先に付け差し出した。ヒソプは葦に似た草で、酸いぶどう酒は気を失った受刑者の気付け薬であった。

-ヨハネ19:29‐30「そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。イエスはこのぶどう酒を受けると『成し遂げられた』と言い、頭を垂れ、息を引き取られた。」

・イエスの最後の言葉はマルコ、マタイは「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、何故、私をお見捨てになったのですか)」(マルコ15:34,マタイ27:46)、ルカは「父よ、私の霊を御手にゆだねます」(23:46)、ヨハネでは「渇く」(19:28),「成し遂げられた」(19:30)となる。歴史的に何が真正であるかは、分からない。それぞれの福音書記者が自分たちの信仰を受難物語の中に表明している。

-E・シュバイツアー・NTD新約聖書注解から「マルコ福音書のイエスの叫びの中に、彼が最も深刻な苦難の孤独の中に置かれていることが、異常なまでに鮮明に、要約され、描き出されている。イエスは果たしてこの言葉を口にされたのか、それともルカ、もしくはヨハネが伝えている言葉がそれであるのか、あるいはその全部を語られたのか、それとも一つも口にされなかったのか、ということを詮索するのは、このテキストの提起する問いではない」。

・荒井献は、受難物語の内、史実を反映しているのはマルコ15章22節,24節,37節のみと推測し、これらを繋ぎ合わせれば次のようになるとする。「人々はイエスをゴルゴダという所に連れて行った(22節)。そしてイエスを十字架につけた(24節)。イエスは声高く叫んで・・・息を引き取られた(37節)」(荒井献「イエスとその時代」)。大貫隆はイエスの最後の絶叫を次のように理解する。「イエスは予定の死を死んだのではない。覚悟の死を死んだのではない。自分自身にとって意味不明の謎の死を死んだのである。否、謎の殺害を受けたのである」(大貫隆「イエスという経験」) 。

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