江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2015年10月28日祈祷会(使徒言行録10:1−48、コルネリウスの回心)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.コルネリウスとペテロが幻を見る

・コルネリウスの回心は使徒言行録の中でも最長の物語(66節)になっている。ユダヤ人のための福音が初めて異邦人にも伝えられる画期的な事件であった。ルカは「カイサリアにいたローマ軍の百人隊長コルネリウスに神の啓示が下った」と書き始める。カイサリアはローマ総督府とその軍隊が駐留している町だった。
―使徒10:1−3「さて、カイサリアにコルネリウスという人がいた。『イタリア隊』と呼ばれる部隊の百人隊長で、信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。ある日の午後三時ごろ、コルネリウスは、神の天使が入って来て、『コルネリウス』と呼びかけるのを、幻ではっきり見た。」
・天使はコルネリウスに「ヤッファにいるペトロを呼べ」と命じる。
―使徒10:4−8「彼は天使を見つめていたが、怖くなって、『主よ、何でしょうか』と言った。すると、天使は言った。『あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられている。今、ヤッファへ人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は皮なめし職人シモンという人の客となっている。シモンの家は海岸にある。』天使がこう話して立ち去ると、コルネリウスは二人の召し使いと、側近の部下で信仰あつい一人の兵士とを呼び、すべてのことを話してヤッファに送った。」
・同じころペテロにも神からの啓示があった。
―使徒10:9−11「翌日、この三人が旅をしてヤッファの町に近づいたころ、ペトロは祈るため屋上に上った。昼の十二時ころである。彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。」
・ペテロへの幻は「食べるのを禁止されていた食物が天から下り、食べよと声があった」というものだった。ペテロはためらうが、「神が清めた物を清くないなどと言ってはならない」とたしなめられる。
―使徒10:12−16「その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。そして、『ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい』という声がした。『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。』すると、また声が聞こえてきた。『神が清めた物を清くないなどとあなたは言ってはならない。』こういうことが三度あり、その入れ物は天に引き上げられた。」
・幻の意味を理解できず、思案にふけるペテロを導いたのは聖霊であった。
―使徒10:17−20「ペトロが今見た幻はいったい何だろうかと、ひとりで思案に暮れていると、コルネリウスから差し向けられた人々が、シモンの家を探し当てて門口に立ち、声をかけて、『ペトロと呼ばれるシモンという方が、ここに泊まっておられますか』と尋ねた。ペトロがなおも幻について考え込んでいると、“霊”がこう言った。『三人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。私があの者たちをよこしたのだ。』」
・ペトロはコルネリウスの使いに「なぜ自分を訪ねて来たのか」と、その理由を尋ねた。
―使徒10:21−23a「ペトロは、その人々の所に降りて行って、『あなた方が探しているのは、この私です。どうして、ここへ来られたのですか』と言った。すると彼らは言った。『百人隊長のコルネリウスは、正しい人で神を畏れ、すべてのユダヤ人に評判の良い人ですが、あなたを家に招いて話を聞くようにと、聖なる天使から、お告げを受けたのです。』それで、ペトロはその人たちを迎え入れ、泊まらせた。」
・翌日、ペトロはコルネリウスの招きに応えて、カイサリアに赴く。
―使徒10:23b−29「翌日、ペトロはそこをたち、彼らと出かけた。ヤッファの兄弟たちも何人か一緒に行った。次の日、一行はカイサリアに到着した。コルネリウスは親しい友人たちを呼び集めて待っていた。ペトロが来ると、コルネリウスは迎えに出て、足元にひれ伏して拝んだ。ペトロは彼を起こして言った。『お立ちください。私もただの人間です。』そして、話しながら家に入ってみると、大勢の人が集まっていたので、彼らに言った。『あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神は私に、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。それで、お招きを受けた時すぐ来たのです。お尋ねしますが、なぜ招いてくださったのですか』」。
・コルネリウスが天使に導かれた次第を話したので、ペトロは幻の意味が分かった。初代教会はユダヤ人以外の人々には伝道しなかった。割礼を受けず、神の戒めを守らない異邦人をも、神が救われるとは思えなかったからだ。しかし、教会の思いを変える出来事が起こり、教会は神の啓示に従った。
-使徒11:19「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった」。

2.コルネリウスのバプテスマ

・ペトロはコルネリウスの証しを聞き、ヤッファで見た幻が神の導きだと分かった。
―使徒10:34−35「そこで、ペトロは口を開きこう言った。『神は人を分け隔てなさらないことがよく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです』」。
・ペトロはナザレのイエスの業と生涯、そして復活をコルネリウスに語った。復活のイエスと語り、そのイエスと一緒に食事までしたペトロの証しは説得力があった。
―使徒10:42「『イエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた者であることを、民に宣べ伝え、力強く証しするようにと、私たちにお命じなりました』」。
・ペトロの説教がまだ終わらぬ内に、彼ら異邦人のうえに聖霊が降った。
―使徒10:44−46a「ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来ている人は皆、聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを、聞いたからである。」
・ペトロは異邦人たちが聖霊を受けたのを見て、彼らにバプテスマを授けた
―使徒10:46b−48「そこでペトロは『私たちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水でババプテスマ(洗礼)を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか』と言った。そしてイエス・キリストの名によってバプテスマ(洗礼)を受けるようにとその人たちに命じた。それから、コルネリウスたちは、ペトロになお数日滞在するようにと願った。」

3.物語の意味

・コルネリウスの物語が教えることは、回心あるいは悔い改めと言う出来事は、当事者の信仰や人格によって生まれるものではないということだ。コルネリウスは熱心な求道者だったが、まだユダヤ教の割礼を受けていなかった。信仰はあったが、それを形あるものにはしておらず、傍観者に留まっていた。そのコルネリウスに聖霊が働きかけてペテロを招かせ、バプテスマまで導き、コルネリウスは傍観者から主体者へと変えられた。
・ペテロも聖霊に動かされて行為している。ユダヤ人の彼にとって、異邦人の家を訪ね、彼らと食事を共にすることは、モーセ律法に反する行為だった。“異邦人と交わるな、交わればあなたも汚れる”と教えられて育ったペテロに、聖霊は「神が清めたものを、あなたが清くないと言ってはならない」と導いた。しかし出来事を聞いたエルサレム教会の人々はペトロを批判した。
−使徒11:1-3「ペトロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、『あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした』と言った」。
・ペテロは事の次第を粘り強く説明し、教会指導者たちも出来事をようやく神のみ旨として受け入れる。
−使徒言行録11:17-18「『私たちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、私のような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか』。この言葉を聞いて人々は静まり『それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ』と言って、神を賛美した」。
・この出来事が教会を異邦人に向かわせ、教会はユダヤ教イエス派から、キリスト教に脱皮していく。しかし、エルサレム教会はその後も異邦人伝道には消極的であった。コルネリウスにバプテスマを授けたペテロも、やがてエルサレム教会保守派の圧力で、無割礼の人と食事を共にするのを避けるようになる。私たちは本質的には違うものを受け入れることが出来ない存在だ。神の力のみがそれを可能にする。
-ガラテヤ2:11-12「さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、私は面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです」。

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