江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2015年11月11日祈祷会(使徒言行録12:1-24、ヤコブの殺害とペトロの投獄)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.ヤコブの殺害とペトロの投獄

・福音は国家を超える故に、国家と衝突し、時として国家は福音の迫害者になる。初代教会の迫害者になったのは、ヘロデ大王の孫ヘロデ・アグリッパ一世(在位41〜44年)だった。彼はローマによって任命された王であり、ユダヤ人ではなくイドマヤ出身のため、国民に人気がなく、彼らの関心を買うために、人々が異端視していたキリスト教会の柱の一人、使徒ヤコブを捕らえ、これを処刑した。
−使徒12:1-3「そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕えようとした。それは除酵祭の時期であった。」
・迫害の手はペトロにも伸びた。ヘロデ王はユダヤ人たちのさらなる関心を得るために教会の指導者であったペトロを捕らえ、投獄した。民衆の前で見世物的に裁判を行うためであった。教会は何もできず、ただ神にペトロの安全を祈るだけだった。
−使徒12:2-5「ヘロデはペトロを捕えて牢に入れ、四人一組の兵士四組に看視させた。過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりだった。こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。」
・ヘロデはペトロの仲間たちが救出にくるかも知れないと判断し、兵士たちに厳重な監視をさせた。
−使徒12:6「ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で見張っていた。」

2.ペトロ、牢から救い出される

・その厳重な監視の中に、突然主の使いが現れ、ペトロは救出された。事実関係は不明であるが、教会に好意を持つ者が王宮の中にもおり、救出の手助けをしたのかもしれない。
−使徒12:7-8「すると主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロの脇腹をつついて起こし、『急いで起き上がりなさい』と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。天使が、『帯を締め履物を履きなさい』と言ったので、ペトロはその通りにした。また天使は、『上着を着てついて来なさい』と言った。」
・歴代の教会は祈りが神に聞かれ、ペトロ救出の奇跡を生んだと考えてきた。しかしヤコブ投獄の際にも教会は祈ったであろうが、ヤコブは殺された。ペトロは為すべきことがあるために生かされ、ヤコブはその業を終えて眠った。神の出来事であり、人間の出来事ではないと理解すべきであろう。
−使徒12:9-10「それで、ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のことと思えなかった。幻を見ているのだと思った。第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の前まで来ると、門がひとりでに開いたので、そこを出て、ある通りを進んで行くと、急に天使は離れ去った。」
・ある人々は言う「あなたに信仰があればあなたは癒される」。私たちは反論する「癒しは神の権能であり、信仰の問題ではない」。マルコ9章にあるてんかんの子の癒しで父親は叫ぶ「信仰のない私をお助けください」。これこそが私たちのできる心からの祈りであろう。
−マルコ9:22-24「『霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。おできになるなら、私どもを憐れんでお助けください』。イエスは言われた『できればと言うか。信じる者には何でもできる』。その子の父親はすぐに叫んだ『信じます。信仰のない私をお助けください』」。

3.ペトロ、仲間たちを訪ねる

・ペトロは救われたことを兄弟たちに知らせるため、ヨハネの母マリアの家を訪問した。この家は信徒たちの隠れ家であり、最後の晩餐も聖霊降臨もこの家で起こったと伝承されている。
−使徒12:11-14「ペトロは我に返って言った『今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、私を救い出してくださったのだ。』こう分かるとペトロはマルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家へ行った。そこには大勢の人が集まって祈っていた。門の戸を叩くと、ロデという女中が出て来た。ペトロの声だと分かると、門を開けもしないで家に駆け込み、ペトロが門の前に立っていると告げた。」
・人々はペトロの救出を祈りながら、その実現を信じていなかった。人間の信仰はそんなものだとルカは語っている。ペトロは彼らに獄舎から救い出された次第を話した後、主の兄弟ヤコブたちへの伝言を頼んだ。彼はこれ以降姿を消し、地下生活に入る。
−使徒12:15-17「人々は、『あなたは気が変になっているのだ』と言ったが、ロデは本当だと言い張った。彼らは、『それはペトロを守る天使だろう』と言い出した。しかし、ペトロは戸をたたき続けた。彼らが開けてみると、そこにペトロがいたので非常に驚いた。ペトロは手で制して彼らを静かにさせ、主が牢から連れ出してくださった次第を説明し、『このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい』と言った。そして、そこを出て他の所へ行った。」
・夜が明けると獄舎にペトロがいないので大騒ぎになり、捜索したが行く先はわからず、護衛の兵士たちが代わりに処刑された。
−使徒12:18-19「夜が明けると兵士たちの間で、ペトロは一体どうなったのだろうと、大騒ぎになった。ヘロデはペトロを捜しても見つからないので、番兵たちを取り調べたうえで、死刑にするように命じ、ユダヤからカイザリアに下って、そこに滞在していた。」
・このヤコブ殺害やヘロデ迫害を転機として、エルサレム共同体の主導権は使徒たちから、主の兄弟ヤコブを中心とする長老指導体制に変わっていく。やがて開かれるエルサレム教会会議を主催したのもヤコブだった。
-使徒15:13-21「二人が話を終えると、ヤコブが答えた『兄弟たち、聞いてください・・・私はこう判断します。神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません。ただ、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと、手紙を書くべきです。モーセの律法は・・・安息日ごとに会堂で読まれているからです』」。

4.ヘロデ王の急死

・ティルスとシドンの人々はヘロデの経済封鎖を受けて困っていた。そのためヘロデ王がフェニキアに来た折、彼を歓迎し、その演説を「神の声だ」と誉め上げた。その時、ヘロデは「蛆に食い荒らされて息絶えた」とルカは記す。ヘロデの急死は歴史家ヨセフスもその著「古代誌」で伝える「ヘロデは銀糸で織られた衣装をまとって現れ、それが太陽を反射して光り輝き、民衆が『この人こそ神だ』と称えた時、彼は倒れた。王は激しい腹痛に襲われ、五日後に死んだ」。
−使徒12:20-23「ヘロデ王は、ティルスとシドンの住民にひどく腹を立てていた。そこで、住民たちはそろって王を訪ね、その侍従プラストに取り入って和解を願い出た。彼らの地方が王の国から食糧を得ていたからである。定められた日にヘロデが王の服を着けて座に着き演説をすると、集まった人々は、『神の声だ。人間の声ではない』と叫び続けた。するとたちまち、主の天使がヘロデを打ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである。ヘロデは蛆に食い荒らされて息絶えた。」
・暴君は滅びる。それは歴史の必然だ。何故なら歴史を支配しているのは権力者ではなく、神だからだ。
−使徒12:24-25「神の言葉はますます栄え、広がって行った。バルナバとサウロはエルサレムのための任務を果たし、マルコと呼ばれるヨハネを連れて帰った。」
・ユダヤ人たちは自分たちだけが神に選ばれた民であり、異邦人は救いの外にあると信じていた。ルカはそうではないと主張し、フィリポがエチオピア人に授洗したこと(8章)、ペトロがローマ人コルネリウスを教会に受け入れたこと(⒑章)、アンティオキア教会で異邦人が信徒に加えられたこと(11章)をあげている。そして13章からは、パウロの海外伝道旅行を記す。ルカが『使徒言行録』で語りたかったのは、キリストの福音は「エルサレムから始まり、ローマにまで届いた」、神は全世界の人々に福音を伝えることを望まれ、そのようになったということである。

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