江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2009年5月6日祈祷会(マルコ15:1-20、ピラトの裁判と死刑の確定)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.ピラトの裁判

・イエスは先に最高法院(ユダヤ人自治団体)で死刑の判決を受けたが、ユダヤ人はイエスをローマ総督ピラトの下に連行する。最高法院は死刑執行権を持っていなかった。最高法院での罪名は「涜神罪=メシアを騙った」であったが、ローマ総督の下では「反乱罪」で裁かれる。涜神罪はローマ法では犯罪を構成しないからだ。
-マルコ15:1-2「夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。ピラトがイエスに『お前がユダヤ人の王なのか』と尋問すると、イエスは『それは、あなたが言っていることです』と答えられた」。
・ピラトは「お前は王か」、お前はローマの支配を否定するのかと問う。だからイエスは「そうではない」と答えられる。イエスは祭司長たちの告発に反論されない。ピラトはイエスが政治的反乱者ではないことを見抜く。
-マルコ15:3-5「祭司長たちがいろいろとイエスを訴えた。ピラトが再び尋問した『何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに』。しかしイエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った」。
・マルコはここでイザヤ書・苦難の僕の姿をイエスに重ねる。僕は告発の声に対して何も答えず、沈黙を守る。
-イザヤ53:7「苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように、毛を切る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった」。
・信仰上の弾圧は容易に政治上の弾圧に変わる。戦時中、不敬罪で告発されたホーリネス教会の菅野牧師の予審調書が残されている。キリストを礼拝することが、天皇の権威を犯すものとして裁かれている。
-係官「信条の根拠旧新約聖書を読むと,すべての人間は罪人だと書いてあるがそれに相違ないか」。菅野「それに相違ありません」。係官「では聞くが天皇陛下も罪人なのか」。菅野「国民として天皇陛下のことを云々することは畏れ多いことですが,御質問にこたえます。天皇陛下が人間であられる限り,罪人であることを免れません」。係官「そうすると聖書の中には罪人はイエス・キリストによる十字架の贖罪なしには救われないと書いてあるが,天皇陛下が罪人なら天皇陛下にもイエス・キリストの贖罪が必要だという意味か」。菅野「畏れ多い話でありますが,先ほど申し上げましたとおり,天皇陛下が人間であられる限り,救われるためにはイエス・キリストの贖罪が必要であると信じます」(小池健治/西川重則/村上重良編『宗教弾圧を語る』pp173-4,岩波書店)

2.死刑の確定

・ピラトはイエスの行為がローマ法の反乱罪を構成しないことを見抜き、イエスを釈放しようとする。
-マルコ15:6-10「ところで、祭りの度ごとに、ピラトは人々が願い出る囚人を一人釈放していた・・・そこで、ピラトは、『あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか』と言った。祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである」。
・しかし民衆はイエスの死刑をあくまでも要求する。イエスが彼らの考えた政治的解放者でないことがわかったからだ。扇動された民衆はかつて歓呼して迎えたイエスを、今は殺せと叫ぶ。政治の怖さがここにある。
-マルコ15:11-14「祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。そこで、ピラトは改めて、『それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか』と言った。群衆はまた叫んだ。『十字架につけろ』。ピラトは言った『いったいどんな悪事を働いたというのか』。群衆はますます激しく『十字架につけろ』と叫び立てた」。
・ピラトはイエスに好意的であったが民衆の圧力に負けて、イエスの死刑を決定したと福音書記者はこぞって書く。帝国内に広がり始めていた教会はユダヤ教会からの迫害は受けていたが、ローマ帝国からの迫害は無かったからだ。他方、ヨハネ黙示録はローマ帝国をサタンと呼ぶ。聖書は歴史的文書であり、時代を抜きにしては語れない。
-マルコ15:15「ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した」。
・マタイはマルコ以上にユダヤ人の責任を強く書き込む。そのことが後世に「ユダヤ人迫害」の種を蒔いた。
-マタイ27:24-25「ピラトは・・・群衆の前で手を洗って言った『この人の血について、私には責任がない。お前たちの問題だ』。民はこぞって答えた『その血の責任は、我々と子孫にある』」。
・10年に一度開かれる有名なオーバーアマガウの受難劇も「ユダヤ人迫害」という悲しい歴史を持つ。
*オーバーアマガウ受難劇の歴史
「バイエルンの村オーバーアマガウは、ペストの危害から村を守ってくれたことへの感謝から10年ごとにキリスト受難劇の上演を続けてきた・・・だが、この受難劇はしばしば熱狂的な反ユダヤ主義の引き金になってきた。1934年に行われた300周年記念公演を観劇したヒトラーは、対ユダヤ人戦争の「貴重な武器」になると大喜びで賛えたという。1990年の前回公演では、パリサイ派のユダヤ人は全身黒ずくめの衣装で悪魔の角のような帽子をかぶり、イエスや弟子たち、ローマ総督のピラトでさえ、白い衣装を身につけていた・・・舞台の上では、ユダヤ人の群衆がイエスの処刑を求めて叫び、そのうちの一人があの悪名高いマタイ伝の「血の誓約」を詠唱している。「彼(イエス)の血の責任は、我々と子孫にある」というマタイ伝の一節(27:25)は、2000年の間ユダヤ人を悩ませてきた」。
・誰がイエスを殺したのか。聖書は「イエスは引き渡された」と言う。主語は神だ。ユダヤ人でも無くローマ人でもなく、イエスは父なる神により死に渡された。そのことの意味を考える必要がある。
-イザヤ53:8「捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか。私の民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり、命ある者の地から断たれたことを」。
*2008年3月9日篠崎キリスト教会説教から
「イエスはこの出来事を避けようと思えば、避けることが出来た状況の中にありました。エルサレムが危険な場所であることは知っておられた、エルサレムに来なければ十字架はなかった。ユダが良く知っているゲッセマネに来なければ、逮捕も免れたかもしれない。しかし、イエスはそうされなかった。良い羊飼いは羊のために死ぬべきだからです。イエスが死ぬことを通して、救いが生まれるからです。ここにおいて、私たちは、イエスの十字架が、「受難」と言う消極的な出来事ではなく、「引渡し」という能動的な行為であったことを知ります。鎌倉・雪ノ下教会の広瀬政明兄は、この「引渡し」についてのバルトの論述を紹介されています。「バルトは『教会教義学』で、イスカリオテのユダについて詳細に語っています。マタイ26章21節と23節に(ユダの)「裏切り」という言葉が出てきます。この言葉(パラドーナイ)はギリシア語では「引渡し」を意味する語で、15節で「引き渡す」と訳されているのと同じ言葉です。バルトはこの言葉に着目し、三つの引渡しがあると言います。第一が神的な引渡し、人間を罪から救うために神が御子イエスをこの世に引き渡された。第二がユダによる引渡し、ユダがイエスを敵に引渡し裏切った。第三が使徒たちによる引渡し、イエスの復活後、使徒たちがイエスのことを人々に伝えた。この「伝える」という語も原語では同じ言葉です。神が御子をこの世にお下しになった、ユダがイエスを裏切った、復活後に使徒たちが伝道を開始したことは、同じ「引渡し」という一つの語でつながっています」(鎌倉雪ノ下通信から)。イエスの十字架は、父なる神が望まれた故に起こった、「引渡し」という積極的な出来事であり、「受難」と言う消極的な出来事ではなかったのです」。

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