江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2009年2月11日祈祷会(マルコ9:1-29、天上の静謐と地上の混乱)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.天上の静謐

・イエスは弟子の三人を連れて山に登られる。その山でイエスの姿は変容し、モーセとエリヤと会われる。「イエスの変貌」として有名な箇所だ。山は神と出会う聖なる場所、モーセもエリヤもシナイ山で神と対面している。
-マルコ9:2-4「六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた」。
・モーセは律法を代表し、エリヤは預言者を代表する。律法と預言、聖書の言葉がイエスにおいて成就したことを物語は象徴する。ルカはモーセとエリヤがイエスの受難(エクソダスという言葉を使用)を励ますために現れたと理解する(ルカ9:30-31)。弟子たちはイエスが彼の使命を語られた時に理解できなかった。そのため神ご自身がイエスの使命を弟子たちに啓示された。父なる神は天を裂いて啓示される「これは私の愛する子、これに聞け」と。
-マルコ9:7-8「すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした『これは私の愛する子。これに聞け』。弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた」。
・何があったのかわからない。ただ、ペテロの告白を見ると、何らかの核になる、弟子たちにとって忘れがたい出来事があったことが推察できる。復活のイエスとの出会いだったのではないかと考える人もいる。
-?ペテロ1:16-18「私たちは、キリストの威光を目撃したのです。荘厳な栄光の中から、『これは私の愛する子。私の心に適う者』というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。私たちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです」。
・イエスと弟子たちは山を降りる。イエスは「自分が復活するまでこのことを誰にも話すな」と言われる。「イエスがどなたであるか」は受難と復活を経た後でなければ誰にも理解できないからだ。イエスはバプテスマのヨハネがエリヤの再来であったと理解され、ヨハネが殺されたように自分も殺されるであろうと予期されている。
-マルコ9:9-13「一同が山を下りるとき、イエスは『人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない』と弟子たちに命じられた・・・イエスは言われた『エリヤは来たが、彼について聖書に書いてあるように、人々は好きなようにあしらったのである』」。

2.地上の混乱

・天上の静謐と対照的に地上では混乱が起こっている。癲癇に苦しむ子を父親が連れてきたが、弟子たちは癒すことが出来ず、律法学者たちの物笑いを誘っていた。ラファエルの「イエスの変貌」は天上と地上の双方を描く。
-マルコ9:14-18「 一同がほかの弟子たちのところに来てみると、彼らは大勢の群衆に取り囲まれて、律法学者たちと議論していた・・・イエスが『何を議論しているのか』とお尋ねになると、群衆の中のある者が答えた『先生、息子をおそばに連れて参りました。この子は霊に取りつかれて、ものが言えません。霊がこの子に取りつくと、所かまわず地面に引き倒すのです。すると、この子は口から泡を出し、歯ぎしりして体をこわばらせてしまいます。この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに申しましたが、できませんでした』」。
・弟子たちはイエスから癒しの権能を与えられているのに癒せない。神の力を信じきることが出来ないからだ。
-マルコ9:19「イエスはお答えになった『なんと信仰のない時代なのか。いつまで私はあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子を私のところに連れて来なさい』」。
・癲癇は脳組織の損傷によって生じる病気であるが、当時は悪霊がついたゆえに生じると思われていた。父親はイエスの癒しを求めるが、半信半疑だ。彼は言う「おできになるなら」と。
-マルコ9:21-22「イエスは父親に『このようになったのは、いつごろからか』とお尋ねになった。父親は言った『幼い時からです。霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。おできになるなら、私どもを憐れんでお助けください』」。
・イエスは父親にもう一段の踏み込みを要求される。癒しには信仰が必要だ。「信仰の無い私を助けてください」と言う父親の叫びの中に関根正雄は「無信仰の信仰」を見る。自己の無力を完全に表明した時にこそ神の力が現れる。
-マルコ9:23-27「イエスは言われた『できればと言うか。信じる者には何でもできる』。その子の父親はすぐに叫んだ。『信じます。信仰のない私をお助けください』。イエスは、群衆が走り寄って来るのを見ると、汚れた霊をお叱りになった・・・霊は叫び声をあげ、ひどく引きつけさせて出て行った。その子は死んだようになったので、多くの者が『死んでしまった』と言った。しかし、イエスが手を取って起こされると、立ち上がった」。
・イエスは「祈らなければ癒しは出来ない」と言われた。癒しは神の恵みだ。ブルームハルトは言った「病気になるのも神の御心、病気が癒されるのも神の御心である」。人間の限界を認めて祈った時にこそ神の力は働く。

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