江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2024年4月25日祈祷会(申命記18章、神の御心をどのようにして知るのか)

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1.占いの禁止

 

・イスラエルにおいては、占いや呪術が禁止された。それは神の意思を人間の方から知ろうとする試みだからである。

-申命記18:9-12「あなたがあなたの神、主の与えられる土地に入ったならば、その国々のいとうべき習慣を見習ってはならない。あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者、易者、呪術師、呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。これらのことを行う者をすべて、主はいとわれる。これらのいとうべき行いのゆえに、あなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるであろう」。

・宗教は神の意思を人間の側から知ろうとする。そして自分の都合の良いことを神の意思と思い込む。このような行為がここで禁止されている。聖書は神の意思は啓示されるから、それを待てと教える。

-申命記18:13-14「あなたは、あなたの神主と共にあって全き者でなければならない。あなたが追い払おうとしているこれらの国々の民は、卜者や占い師に尋ねるが、あなたの神、主はあなたがそうすることをお許しにならない」。

・人は自分に都合の良いことを聞きたがる。それが人々を偶像礼拝に走らせ、偽預言者を生む。それが、神の民の共同体を混乱させる。コリント教会でパウロ派とアポロ派が分かれたのも、自分たちの好む指導者を人々が求めたからだ。

-第一コリント1:11-13「あなたがたはめいめい、『私はパウロにつく』『私はアポロに』『私はケファに』『私はキリストに』などと言い合っているとのことです。キリストは幾つにも分けられてしまったのですか」。

・占いの禁止が意味することは、自分勝手な礼拝の禁止だ。礼拝とは神の前に畏れて、神の言葉を聴く行為だ。

-ヨブ36:15「神は貧しい人をその貧苦を通して救い出し、苦悩の中で耳を開いてくださる」。

 

2.祭司と預言者

 

・神の言葉を聞くものとして祭司と預言者が立てられる。祭司はレビ人から立てられ、神殿で犠牲を捧げた。祭司はその全ての時間を礼拝の奉仕にささげる。故に礼拝の献げ物を食べることが出来る。主が彼の嗣業となる。

-申命記18:1-2「レビ人である祭司、レビ族のすべての者には、イスラエル人と同じ嗣業の割り当てがない。彼らは、燃やして主にささげる献げ物を自分の嗣業の分として食べることができる。同胞の中で彼には嗣業の土地がない。主の言われたとおり、主が彼の嗣業である」。

・祭司の役割は犠牲を献げて民の罪を購い、民の罪を執り成すことだ。

-レビ19:22「祭司が献げ物の雄羊をもって、彼の犯した罪のために主の御前で彼のために贖いの儀式を行うと、彼の罪は赦される」。

・今日で言えば、バプテスマを執り行い、主の晩餐を行い、祝祷することに祭司の役割がある。その祭司は神から召命を受けて任じられる。

-申命記18:5「あなたの神、主が全部族の中から彼を選び、彼とその子らを永久に主の名によって仕える者とされたからである」。

・預言者の役割は異なる。預言者は神の言葉を聞き、それを民に告げる者である。

-申命記18:18-19「私は彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立ててその口に私の言葉を授ける。彼は私が命じることをすべて彼らに告げるであろう。彼が私の名によって私の言葉を語るのに、聞き従わない者があるならば、私はその責任を追及する」。

・しかし、聞いていないものを聞いたとして告げるものが出てくる。偽預言者である。神の言葉ではなく、民が聞きたがる言葉を預言者が語り始めた時、その預言者は死ななければならないと命じられる。

-申命記18:20「ただし、その預言者が私の命じていないことを、勝手に私の名によって語り、あるいは、他の神々の名によって語るならば、その預言者は死なねばならない。」

・偽預言者はいつの時代でも出る。捕囚は短期で終わるとして、エレミヤと対峙したハナンヤもそうであった。

-エレミヤ28:1-17「アズルの子ハナンヤが、祭司とすべての民の前で私に言った。『イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。私はバビロンの王の軛を打ち砕く。二年のうちに、私はバビロンの王ネブカドネツァルがこの場所から奪って行った主の神殿の祭具をすべてこの場所に持ち帰らせる』。・・・預言者エレミヤは、預言者ハナンヤに言った。「ハナンヤよ、よく聞け。主はお前を遣わされていない。お前はこの民を安心させようとしているが、それは偽りだ」。

・預言の正しさはその実現で知られる。

-申命記18:22「その預言者が主の御名によって語っても、そのことが起こらず、実現しなければ、それは主が語られたものではない。預言者が勝手に語ったのであるから、恐れることはない」。

 

3.申命記18章の黙想(人はなぜ偽預言を求めるのだろうか)

 

・偽預言は重大な欺瞞であるが、その代わりに権力者から優遇され、快適な生活が報いとして与えられる。ヒゼキヤの時代、宮廷には王に仕える預言者たちがいたが、彼らは王に逆らう預言はしない。ビリー・グラハムは大衆伝道者として著名であるが、子のフランクリン・グラハムは同時多発テロ直後に「大統領の祈祷者チーム」を立ち上げ、イスラム教を「邪悪な宗教」と呼んで報復戦争に加担して行った。彼らもまた偽預言者なのだろうか。

-エゼキエル13:13-16「主なる神はこう言われる。私は憤りをもって、暴風を起こし、怒りをもって豪雨を降らせ、怒り狂って雹を石のように降らせ、すべてを破壊する。お前たちが漆喰を塗った壁を私は破壊し、地面に打ちつけて、その基礎をむき出しにする。それが崩れ落ちるとき、お前たちもその中で滅びる。そのとき、お前たちは、私が主であることを知るようになる。私は、壁とそれに漆喰を塗った者たちに対し怒りを注ぎ尽くし、『壁もなくなり、それに上塗りをした者たちもいなくなった』とお前たちに言う。エルサレムに預言するイスラエルの預言者たちよ。平和がないのに都のために平和の幻を見る者たちよ、と主なる神は言われる」。

・社会が混乱し、人々が不安になる時、その不安を慰めるために、巫女や占い師たちが現れる。日本も明治から大正期にかけて、多くの巫女たちが現れ、現代も続いている(中山みき=天理教、出口なお=大本教、北村サヨ=天照皇大神宮教)。占いや魔術は聖書に禁止されていたのに無くならなかった。今日でも人々は占いや魔除けに依存している。

・偽預言には必ず耳を傾ける聴衆がいる。何故なら人は自分の希望が満たされ、不幸が取り除かれることを求め、それを語る者を好むからである。しかし偽預言は結局役に立たない。真実ではないからだ。その時、宗教は麻薬になる。調査によれば人々は仏教に好感を持つが、寺院や僧侶に対する好感度は極端に低い。寺院が経営主体となり、真理を探究していないと人々は見ている。預言者が職業化・世襲化した時、偽預言者が出やすい。

・2500年前に語られた偽預言者への警告は今日では、宗教を商売にする牧師たちに向かって語られる。E.H.ピーターソンはその著「牧会者の神学」の中で、神の言葉を取次ごうとしない牧師たちに警告する。

-牧会者の神学から「アメリカの牧師たちは企業経営者の一群に変容してしまった・・・それは『宗教という商店経営』であって、商店経営という点においては他の商売となんら変わることはない。目覚めている時、これらの企業家たちの心を占めていることはファーストフード店の経営戦略と同じような関心である。眠っている時、彼らが夢見ていることはジャーナリストの注目を集めるようなたぐいの成功である」

・カール・バルトも「人々を満足させる牧師」という説教を通して同じことを言った。

-カール・バルト説教選集6巻より「偽りの預言者とは、人々に満足を与える牧師のことである。彼は福音の説教者、牧会者、奉仕者と呼ばれるが、しかし彼は人間たちの被用者にすぎない。彼は自分が神の名において語っていると夢想しているが、彼は世論の名において、立派な人々の名において語っているに過ぎない。キリスト教はあなた方にとって好ましく重要なものである。あなた方は生活の美しい飾りとしてそれを好む。しかし、神の霊とこの世の霊との間には平和はない。神の意志と人間の意志との間の平和を説教し、現在の生と新しい生を穏やかに賢く結び付け、民が築く隙間の多い壁に宗教と言う漆喰を上塗りし、人々を満足させようとする、そのようなことには何の意味もない」

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