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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

聖書教育の学び

2020年8月9日聖書教育の学び(2016年8月4日祈祷会、出エジプト記2章、モーセの誕生とエジプトからの逃亡)

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1.モーセの誕生

 

・神の祝福がイスラエルの民の数を増やしていくが、この祝福がエジプト人にとって脅威になり始める。国内に住む異民族の数が一定の限度を超えると、治安上脅威になる。

-出エジプト記1:8「イスラエル人という民は、今や、我々にとってあまりに数多く、強力になりすぎた。抜かりなく取り扱い、これ以上の増加を食い止めよう。一度戦争が起これば、敵側に付いて我々と戦い、この国を取るかもしれない」。

・エジプト王はイスラエル民族の人口増大を抑えるために、労働強化による人口減や生まれてくる新生男子の抹殺を助産婦に命じるが、うまくいかない。エジプト王は最後に、「生まれた男の子は全てナイルに投げ込め」との命令を発する。

-出エジプト記1:22「ファラオは全国民に命じた。『生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め。女の子は皆、生かしておけ。』」

・モーセはレビ人の両親から生まれたが、母親は生まれた男の子がエジプト人に殺されるのを待つよりも、後事を神に委ねて、子をナイル川に流した。

―出エジプト記2:1-3「レビの家の出のある男が同じレビ人の娘をめとった。彼女は身ごもり、男の子を産んだが、その子がかわいかったのを見て、三か月の間隠しておいた。しかし、もはや隠しきれなくなったので、パピルスの籠を用意し、アスファルトとピッチで防水し、その中に男の子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置いた。」

・籠はヘブル語ではノアの箱舟と同じ言葉(テーバー)だ。モーセと共に神がおられた事を示す。籠はエジプト王の娘が水浴びをしていた場所に流れ着く。王女は籠を見つけ、開けるとヘブライ人の男の子が泣いているのを見つける。王女は父王がヘブライ人の男の子はすべて殺せと命じたことを知っているが、父に賛同していない。彼女はその男の子を自分の子にする。

-出エジプト記2:5-6「ファラオの王女が水浴びをしようと川に下りて来た。その間侍女たちは川岸を行き来していた。王女は、葦の茂みの間に籠を見つけたので、仕え女をやって取って来させた。開けてみると赤ん坊がおり、しかも男の子で、泣いていた。王女はふびんに思い、『これは、きっと、ヘブライ人の子です』と言った。」

・王女はその子に「モーセ」(ヘブル語=モーシェ)という名前をつける。水の中から「引き上げた=マーシャー」からだ。

-出エジプト記2:7-10「その時、その子の姉がファラオの王女に申し出た。『この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んで参りましょうか。』『そうしておくれ』と、王女が頼んだので、娘は早速その子の母を連れて来た・・・母親はその子を引き取って乳を飲ませ、その子が大きくなると、王女のもとへ連れて行った。その子はこうして、王女の子となった。王女は彼をモーセと名付けて言った。『水の中から私が引き上げた(マーシャー)のですから。』」

 

2.エジプトからの逃亡

 

・成人したモーセは、同族のヘブライ人が重労働を課せられ、虐待を受けているのを見て激怒し、エジプト人の監督を殺してしまう。

-出エジプト記2:11-12「モーセが成人したころのこと、彼は同胞の処へ出て行き、彼らが重労働に服しているのを見た。そして一人のエジプト人が、同胞であるヘブライ人の一人を打っているのを見た。モーセは辺りを見回し、誰もいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺して死体を砂に埋めた」。

・しかし悪事は露見し、モーセはエジプトから逃亡する。逃亡の直接原因は殺人だったが、本当の原因は彼がまだ指導者に相応しくないため、ミディアンの荒野で40年の修練の時が与えられたのだと聖書は言う。

―出エジプト記2:13-14「翌日、また出て行くと、今度はヘブライ人どうしが二人でけんかをしていた。モーセが、『どうして自分の仲間を殴るのか』と悪い方をたしなめると、『誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか。お前はあのエジプト人を殺したように、この私を殺すつもりか』と言い返したので、モーセは恐れ、さてはあの事が知れたのかと思った。」

・エジプトを逃れたモーセはミディアンの地で、祭司レウエルの保護を受け、娘を与えられて、子を持つ。彼はその子をゲルショム(寄留者)と名付けた。

―出エジプト記2:15-22「ファラオはこの事を聞き、モーセを殺そうと尋ね求めたが、モーセはファラオの手を逃れてミディアン地方にたどりつき、とある井戸の傍らに腰を下ろした・・・モーセがこの人のもとに留まる決意をしたので、彼は自分の娘ツィポラをモーセと結婚させた。彼女は男の子を産み、モーセは彼をゲルショムと名付けた。彼が『私は異国にいる寄留者(ゲール)だ』といったからである」。

・そして時が満ちた時、モーセを通してのイスラエルの救済が始まる。

―出エジプト記2:23-25「それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ。その間イスラエルの人々は労働のゆえにうめき叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた。」

 

3.寄留者モーセ

 

・立教大学チャプレン香山洋人氏は「寄留者モーセ」について興味深い説教をしている。以下、要約する。

「旧約聖書には『寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない』という表現が何度も出てくる。寄留者は、その土地に生まれ育ったのではなく、よそ者である。モーセはエジプトで失敗し、殺人犯としてお尋ね者となり、遠くミディアンという処まで逃げていく・・・外国で暮らすモーセは、そこで結婚し家庭を築くが、子供にゲルショムと名づけた。これはモーセが『私は外国にいる寄留者(ゲール)だ』と言ったことに由来する。モーセはエジプトでヘブライ人たちの蜂起を先導しようとして失敗、仲間から受け入れられず、エジプト人殺しを密告されて指名手配となり、挫折の中にいる。そのモーセが外国で亡命生活を送っている。現在の彼は子供も生まれ、幸せな家庭を持っているが、寄留者であることに違いはない」。

・香山氏は続ける「エジプトでの寄留生活は神の導きだった」と。

「聖書の世界では、外国にあること、異教の地にあること、外国人、異邦人であることは不安定な状態を象徴している。自分の本来の場所、祖国、家、から離れていることのつらさの体験が、聖書の人々の原体験であり、それがまさにエジプトでの奴隷生活だった。ヘブライ人たちがなぜエジプトで暮らすようになったか・・・創世記は飢饉から逃れるための緊急避難の結果であったと説明している。ヘブライ人たちは自分から好んで、あるいは野心を持ってエジプトに行ったのではなく、状況の中でやむを得ずエジプトに向かった。こうしたおそらく客観的とも言える事情を、創世記は驚くべき神の摂理、救済史の一幕であると語っている。それが『ヨセフ物語』だ。」

・香山氏は続ける「挫折と孤独感、寄留者としての喪失感の只中で、神体験は起こる」と。

「かろうじてエジプトに逃げ込むことで生き延びたヘブライ人たちは、結局エジプトという異教の地、外国において奴隷となり、自由を奪われ、搾取される。エジプト暮らしの最大の問題は、主体性の喪失だ。彼らは自分たちを不当に扱うエジプト人たちを恐れ、立ち上がって抵抗しようなどとは思えないでいる。・・・世間の苦労も挫折も知らないモーセは、エジプトに住むヘブライ人たちの現実を知り、ヘブライ人としてのアイデンティティーに目覚めてゆく。そして、このように意識化されたモーセには同朋が受けている仕打ちの不当さ、不正義が明らかであり、抵抗運動を起こそうとする。しかし、その企てが突発的であり、感情的であったので、失敗した。挫折体験である。モーセはそのような挫折体験を引きずりながらミディアンに亡命し、寄留者となって、更なる挫折感と、喪失感、孤独を蓄積させていく。モーセが神と出会うのはこの時である。挫折と孤独感、寄留者としての喪失感の只中で、モーセの神体験は起こる。モーセはミディアンで『あなたの立っている土地は聖なる土地だ』という声を聞く。」(立教大学2000年6月24日始業礼拝説教)。

・信仰者は寄留者としてこの世を生きて行く旅人だ。私たちにとって地上の人生とは神の国を目指す旅であり、自身は寄留者であり、国籍は天にあると信じて生きて行く。

-へブル11:13-16「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです」。

-聖書教育の学び

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