江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2008年11月5日祈祷会(マルコ2:18-28、律法と福音)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.断食をすることの意味は何か

・パリサイ人たちは神に対する献身を現すために週に二度断食した(月曜日・木曜日)。イエスの弟子たちはこの断食を守らなかったので、パリサイ人たちは「何故守らないのか」と師であるイエスを問責した。
−マルコ2:18「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々は、断食していた。人々はイエスのところに来て言った『ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか』」。
・記事はマルコの時代におけるユダヤ教会とキリスト教会の争いを反映している。何故ユダヤ教の教えに従わないのかとキリスト者たちを批判された。キリスト者たちはイエスの言葉を用いて、「新しい時代が来た」と反論した。
−マルコ2:19-20「イエスは言われた『花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。花婿が一緒にいるかぎり、断食はできない。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その日には、彼らは断食することになる』」。
・断食=禁欲や修行を通して救われるとする人々はそうしない人を批判する。イエスは自分を賞賛して他者を貶めるパリサイ人の偽善を批判される
−ルカ18:11-12「ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った『神様、私はほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。私は週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています』」。
・花婿が来た、神の国が来た。それは喜ぶべき時であって、人を非難する時ではない。イエスが来られてこの世の意味は変わった。変わったのに前と同じ生活をするのは愚かであろう。
−マルコ2:21-22「だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい布切れが古い服を引き裂き、破れはいっそうひどくなる。また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ」。
・私たちは自分の力(禁欲や修行)で救われようとする。しかし救いは神の出来事だ。
−ローマ9:31-32「イスラエルは義の律法を追い求めていたのに、その律法に達しませんでした。なぜですか。イスラエルは、信仰によってではなく、行いによって達せられるかのように、考えたからです。彼らはつまずきの石につまずいたのです」。

2.安息日はどのような日なのか

・イエスと弟子たちが安息日に麦畑を通っていかれた時、弟子たちは麦の穂を摘み、もんで食べ始めた。お腹がすいていたのであろう。パリサイ人たちはイエスの弟子たちが安息日に禁じられている仕事をしたと非難した。
−マルコ2:23-24「ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。ファリサイ派の人々がイエスに『御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか』と言った」。
・麦の穂を摘んで食べることは許されていたが(申命記23:25)、安息日に働くことは禁じられていた(申命記5:14)。パリサイ人はささいな律法違反であれ、それをとがめることが神への忠誠と考えていた。イエスは彼らの誤りを指摘される「安息日は人のために定められたのに、あなた方はその日を束縛と苦痛の日にしている」。
−マルコ2:27-28「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある」。
・安息日はつらい労働を休み、元気を回復するために創られた制度だ。イエスが安息日に会堂で片手のなえた人を癒された時に、それを安息日ゆえに批判する人々に言われる「安息日は善いことをする日ではないのか」。
−マルコ3:4「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか悪を行うことか。命を救うことか殺すことか」。
・筑豊じん肺訴訟では一審敗訴の国が控訴・上告を行い、判決確定までに19年を要した。この結果、原告170人のうち144人は最終判決前に亡くなった。同じ問題が水俣病訴訟、原爆症訴訟、B型・C型肝炎訴訟でも生じている。何のための、誰のための法律であるかが見失われている。官僚の態度はパリサイ人と同じだ。安息=救いがない。
−ルカ13:15-16「主は彼に答えて言われた『偽善者たちよ、あなたたちはだれでも、安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行くではないか。この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか』」。
・パリサイ人たちはイエスを憎んで殺そうと計画し始める(3:6)。この安息日論争こそ、ユダヤ当局がイエスを憎む原因の一つになった。イエスは命をかけて、安息日の意味を、神の救済の喜びを私たちに教えられたのだ。
-出エジプト記31:14「安息日を守りなさい。それは、あなたたちにとって聖なる日である。それを汚す者は必ず死刑に処せられる。だれでもこの日に仕事をする者は、民の中から断たれる」。

-

Copyright© 日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会 , 2024 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.