江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2006年8月23日祈祷会(士師記15―16章、弱かったのに強くされたサムソン)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.サムソンとペリシテ人との戦い

・サムソンはペリシテの女をめとるが裏切られ、怒ってペリシテ人の畑を焼いてしまう。
―士師記15:3-5「サムソンは言った『今度は私がペリシテ人に害を加えても、私には罪がない』。サムソンは出て行って、ジャッカルを三百匹捕らえ、松明を持って来て、ジャッカルの尾と尾を結び合わせ、その二つの尾の真ん中に松明を一本ずつ取り付けた。その松明に火をつけると、彼はそれをペリシテ人の麦畑に送り込み、刈り入れた麦の山から麦畑、ぶどう畑、オリーブの木に至るまで燃やした」。
・怒ったペリシテ人たちはサムソンの嫁と舅を殺す。サムソンはペリシテ人を殺し返し、エタムに逃れる。
―士師記15:7-8「サムソンは彼らに『これがお前たちのやり方なら、私はお前たちに報復せずにはいられない』。と言って、彼らを徹底的に打ちのめし、下って行って、エタムの岩の裂け目に住んだ」。
・ペリシテ人は報復のためにイスラエルに攻め入り、恐れたイスラエルの人々はサムソンを縛って、ペリシテ人に差し出す。サムソンと共に戦おうというイスラエル人はいなかった。しかし、主はサムソンと共におられた。
―士師記15:14-16「サムソンがレヒに着くと、ペリシテ人は歓声をあげて彼を迎えた。そのとき、主の霊が激しく彼に降り、腕を縛っていた縄は、火がついて燃える亜麻の糸のようになり、縄目は解けて彼の手から落ちた。彼は、真新しいロバのあご骨を見つけ、手を伸ばして取り、これで千人を打ち殺した」。
・ここには敵を殺すことに対する罪悪感はなく、殺した敵の数を誇る。サウルやダビデの時もそうだった。「敵を愛せ」と言われた神の言葉はここには響いていない。場合によっては敵を殺すことが正義であるのだろうか。
―?サムエル18:5-7「イスラエルのあらゆる町から女たちが出て来て、太鼓を打ち、喜びの声をあげ、三絃琴を奏で、歌い踊りながらサウル王を迎えた『サウルは千を討ち、ダビデは万を討った』」。

2.サムソンの罪と悔い改め

・サムソンはまたもペリシテの女に迷う。デリラは欲と脅しの中で、サムソンの力の秘密を暴こうとする。デリラはサムソンに言い寄り、彼の力の秘密を探ろうとするがことごとく失敗する。しかし、デリラの度重なる哀願の前に、サムソンは自分の秘密を教える。彼は女を失いたくないばかりに、ナジル人の誓願を破る。
―士師記16:15-17「デリラは彼に言った『あなたの心は私にはないのに、どうしてお前を愛しているなどと言えるのですか。もう三回もあなたは私を侮り、怪力がどこに潜んでいるのか教えてくださらなかった』。来る日も来る日も彼女がこう言ってしつこく迫ったので、サムソンはそれに耐えきれず死にそうになり、ついに心の中を一切打ち明けた『私は母の胎内にいたときからナジル人として神にささげられているので、頭にかみそりを当てたことがない。もし髪の毛をそられたら、私の力は抜けて、私は弱くなり、並の人間のようになってしまう』」。
・サムソンは髪の毛をそられ、力は彼を去った。彼は捕らえられ、目をくりぬかれて奴隷にさせられる。
―士師記16:20-21「サムソンは眠りから覚めたが、主が彼を離れられたことには気づいていなかった。ペリシテ人は彼を捕らえ、目をえぐり出してガザに連れて下り、青銅の足枷をはめ、牢屋で粉をひかせた」。
・サムソンの髪の毛はまた伸び始めた。サムソンは自分の罪を悔い、祈りの中に神との交わりが回復した。おごり高ぶるものは砕かれる。しかし労苦の中から主の名を呼び求めれば主は再び答えて下さる。
―詩篇107:10-14「彼らは、闇と死の陰に座る者、貧苦と鉄の枷が締めつける捕われ人となった。神の仰せに反抗し、いと高き神の御計らいを侮ったからだ。主は労苦を通して彼らの心を挫かれた。彼らは倒れ、助ける者はなかった。苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らの苦しみに救いを与えられた。闇と死の陰から彼らを導き出し、束縛するものを断ってくださった」。
・サムソンは最後の力を振り絞ってペリシテ人と戦う。そこには自分の命をも捨てる真剣な祈りがあった。
―士師記16:28-30「サムソンは主に祈って言った『私の神なる主よ。私を思い起こしてください。神よ、今一度だけ私に力を与え、ペリシテ人に対して私の二つの目の復讐を一気にさせてください』。それからサムソンは、建物を支えている真ん中の二本を探りあて、一方に右手を、他方に左手をつけて柱にもたれかかった。サムソンは『私の命はペリシテ人と共に絶えればよい』と言って、力を込めて押した。建物は領主たちだけでなく、そこにいたすべての民の上に崩れ落ちた。彼がその死をもって殺した者は、生きている間に殺した者より多かった」。
・新約聖書・ヘブル書はサムソンを信仰の勇者とする。彼は罪を犯しても幼子のように神に立ち返ることが出来た。放蕩息子の信仰が彼にはあったのだ。弱かったのに強いものとされたのだ。
―ヘブル11:32-34「これ以上、何を話そう。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、また預言者たちのことを語るなら、時間が足りないでしょう。信仰によって、この人たちは国々を征服し、正義を行い、約束されたものを手に入れ、獅子の口をふさぎ、燃え盛る火を消し、剣の刃を逃れ、弱かったのに強い者とされ、戦いの勇者となり、敵軍を敗走させました」。

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