江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2007年1月10日祈祷会(サムエル記上15章、最良のものを捧げられない存在)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.自分を養うサウルの罪

・サウルは王に任命されたのに主を信じきることが出来ず、ペリシテとの戦いで、自分で戦争開始の献げ物を捧げて主の信頼を失くした。そのサウルにやり直しの機会が与えられる。アマレク人を滅ぼし尽くせとの命令であった。
―?サムエル15:1-3「サムエルはサウルに言った「万軍の主はこう言われる。イスラエルがエジプトから上って来る道でアマレクが仕掛けて妨害した行為を、私は罰することにした。行け。アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない」。
・アマレク人は荒野を旅するイスラエルに略奪を繰り返した(申命記25:17-19)。彼らはイスラエルの国家建設にとって癌になる故に、すべて取り除けと主は命令された。サウルは討伐するが、王と家畜の最上のものは取っておいた。
―?サムエル15:7-9「サウルは・・・アマレク人を討った。アマレクの王アガグを生け捕りにし、その民をことごとく剣にかけて滅ぼした。しかしサウルと兵士は、アガグ、および羊と牛の最上のもの、初子ではない肥えた動物、小羊、その他何でも上等なものは惜しんで滅ぼし尽くさず、つまらない、値打ちのないものだけを滅ぼし尽くした」。
・家畜の最上のものを取っておいたのは、兵もサウルも分捕り品の多さに目がくらんだからだ。主はそのようなサウルを見て、彼を王に立てたことを後悔された。サムエルはサウルのためにとりなしたが、無駄であった。
―?サムエル15:10-11「主の言葉がサムエルに臨んだ「私はサウルを王に立てたことを悔やむ。彼は私に背を向け、私の命令を果たさない」。サムエルは深く心を痛め、夜通し主に向かって叫んだ」。
・サムエルはサウルに会い、彼を問い詰める。サウルは自己弁護を繰り返すだけだ。サムエルは絶望する。
―?サムエル15:13-16「サムエルがサウルのもとに行くと、サウルは彼に言った「主の御祝福があなたにありますように。私は主の御命令を果たしました」。サムエルは言った「それなら、私の耳に入るこの羊の声、私の聞くこの牛の声は何なのか」。サウルは答えた「兵士がアマレク人のもとから引いて来たのです。彼らはあなたの神、主への供え物にしようと、羊と牛の最上のものを取って置いたのです。他のものは滅ぼし尽くしました」。サムエルはサウルに言った「やめなさい。あなたに言わねばならないことがある。昨夜、主が私に語られたことだ」。
・人間は自分を養うために、最良のものは捧げることが出来ない。いつもそうだ。その時、主の恵みは私たちを去る。
―ハガイ1:2-9「万軍の主はこう言われる。この民は、『まだ、主の神殿を再建する時は来ていない』と言っている。・・・今、お前たちは、この神殿を廃虚のままにしておきながら、自分たちは板ではった家に住んでいてよいのか。・・・山に登り、木を切り出して、神殿を建てよ。私はそれを喜び、栄光を受けると主は言われる。お前たちは多くの収穫を期待したが、それはわずかであった。しかも、お前たちが家へ持ち帰るとき、私は、それを吹き飛ばした。それはなぜか・・・私の神殿が廃虚のままであるのに、お前たちが、それぞれ自分の家のために、走り回っているからだ」。

2.心から悔い改めることの出来ないサウルの罪

・サムエルはサウルに言う「何故主に従わないのか。何故、戦利品の多さに心を奪われたのか。主が喜ばれるのは献げ物やいけにえではない。御心に従う心だ」。サムエルはサウルに「王権はあなたから離れた」と宣言する。
―?サムエル15:17-23「サムエルは言った「主は油を注いで、あなたをイスラエルの上に王とされたのだ。主はあなたに出陣を命じ、行って、罪を犯したアマレクを滅ぼし尽くせ・・・と言われた。何故あなたは、主の御声に聞き従わず、戦利品を得ようと飛びかかり、主の目に悪とされることを行ったのか。・・・主が喜ばれるのは焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。・・・主の御言葉を退けたあなたは王位から退けられる。」
・神はいけにえも犠牲も必要とされない。私たちに求められるのは砕けた心だ。神が私たちにいけにえや犠牲を求められるのは、その行為を通して私たちが執着から解放されるためだ。献げ物を捧げることが出来ることは恵みなのだ。
―詩篇51:18-19「もしいけにえがあなたに喜ばれ、焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら、私はそれを捧げます。しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません」。
・サウルは悔い改める。しかし、神はそれを受け入れらない。彼は形だけ悔い改め、実質は人の目を気にしているだけだ。私たちが気にすべきは神の目であり、人の目ではない。
―?サムエル15:24-30「サウルはサムエルに言った「私は、主の御命令とあなたの言葉に背いて罪を犯しました。兵士を恐れ、彼らの声に聞き従ってしまいました。・・・しかし、民の長老の手前、イスラエルの手前、どうか私を立てて、私と一緒に帰ってください。そうすれば、あなたの神、主を礼拝します」。
・私たちが神を喜ばそうとしても何も出来ないだろう。ただ、私たちが神の言葉を喜ぶ時に、神は私たちを喜ばれる。
―ルカ15:7「悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」

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