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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

聖書教育の学び

2020年3月22日聖書教育の学び(2015年7月15日祈祷会、ヨハネ18:1‐27、イエスの逮捕)

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1.裏切られ、逮捕される

 

・弟子たちに語り終えられると、イエスは弟子たちを連れてゲッセマネに向かわれた。祈るためである。14章は18章に繋がり、15章-17章の「イエスの惜別の言葉」は長い挿入である。

-ヨハネ14:31-18:1「さあ立て。ここから出かけよう・・・こう話し終えると、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。」

・その場所はイエスが祈るためにしばしば来られた場所であり、ユダもよく知っていた。ユダが良く知っている場所、イエスは自ら捕らえられる所に進んで身を置かれた。ある人は言う「イエスは逮捕されたのではなく、逮捕させたのだ」と。何故ならば、それが父の御心であることを知っておられたからだ。

―ヨハネ18:2「イエスを裏切ろうとしていたユダも、その場所を知っていた。イエスは、弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである。」

・そこにユダがローマ兵や神殿兵士を案内してきた。イエスは民衆に熱狂的に迎えられた預言者であり、当局は騒乱の可能性があると見て、多くの兵士達を遣わしたのであろう。

―ヨハネ18:3「ユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た。松明やともし火や武器を手にしていた。」

・武装した集団の前に、イエスは何の防御もなく立ち、「私である」と答えられた。そのとき、彼らは後ずさりして地に倒れたとヨハネは記述する。

-ヨハネ18:4‐6「イエスは自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、『だれを捜しているのか』と言われた。彼らが、『ナザレのイエスだ』と答えると、イエスは『私である』と言われた。イエスを裏切ろうとしているユダも一緒にいた。イエスが『私である』と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた」。

・イエスは迫害する者に対し、まったく無抵抗であった。「父が私に下さった杯はのむべきではないか」。イエスの無抵抗の根底にあるのは、父なる神への服従であった。

-ヨハネ18:7‐9「そこでイエスが『だれを捜しているのか』と重ねて尋ねると、彼らは『ナザレのイエスだ』と言った。するとイエスは言われた。『私であると言ったではないか。私を探しているのなら、この人々を去らせなさい。』それは、『あなたが与えてくださった人を、私は一人も失いませんでした』とイエスの言われた言葉が実現するためであった」。

・ペトロはただ一人、剣を抜き、立ち向かった。この時のペトロは師イエスを守ろうとする一心だった。しかし、イエスは彼を戒められた。イエスは無抵抗で逮捕される覚悟だったからである。

-ヨハネ18:10‐11「シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。手下の名はマルコスであった。イエスはペトロに言われた。『剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は飲むべきでないか。』」

・マルコやマタイは「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」と弟子たちの背信を描く(マルコ14:50)。しかし、ヨハネは弟子たちが逃げたことを批判せず、むしろ、イエスが逃げるように言われたことを強調する。イエスは「無駄な命を捨てるな、逃げよ、逃げることを通して、証人になるのだ」と言っておられる。この箇所に関連して、説教者・由木康は「歴史は弟子たちが逃げることを通して、教会が形成されて行ったことを伝える」と語る。

-由木康・イエス・キリストを語る「徳川時代のキリシタン迫害が残酷を極めた一因は、信徒に逃げよと教えなかったことだ。教職者は殉教の死を遂げても、信徒には逃れる道を与えるべきであった。信徒には、踏み絵を迫られたら、どんどん踏んで生きながらえ、心の中で信仰を持ち続け、信仰の火を絶やすなと教えるべきだった」。

 

2.大祭司のもとに連行される

 

・捕縛されたイエスは、最初に大祭司の舅アンナスの邸に連れて行かれた。

―ヨハネ18:12-13「一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、まず、アンナスのところへ連れて行った。彼が、その年の大祭司カイアファの舅だったからである。」

・アンナスは大祭司を退任していたが、退任後も彼の息子や娘婿たちが大祭司職を受け継ぎ、勢力を保っていた。彼らの勢力の背景には、神殿から上がる膨大な神殿税や租税があった。イエスが神殿清めをされたことは、大祭司やその一族の勢力基盤を脅かすものだった。

―ヨハネ 18:19「大祭司はイエスに弟子のことや教えについて尋ねた」。

・これに対してイエスは反論される。「あなたは私が誰で、何を話したかは、よく知っているではないか、何故また尋ねるのか」と

-ヨハネ18:20-21「私は、世に向かって公然と話した。私はいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。ひそかに話したことは何もない。なぜ、私を尋問するのか。私が何を話したかは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。その人々が私の話したことを知っている」。

・権力者に逮捕された者は、体に縄を巻かれ、大勢の手下の前で、尋問される。普通の人は悄然としてうなだれるか、強がって虚勢を張る。しかし、イエスはそうされず、冷静に反論される。何故ならば、「イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられた」(18:4)、自ら進んで捕縛されたからだ。大祭司の手下はそのイエスを見て、「生意気な」と思い、平手で打つ。イエスはそれにも抗議される。

-ヨハネ18:22‐24「イエスがこう言われると、そばにいた下役の一人が、『大祭司に向かって、そんな返事のしかたがあるか』と言って、イエスを平手で打った。イエスは答えられた。『何か悪いことを私が言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜ私を打つのか。』アンナスは、イエスを縛ったまま、大祭司カイアファのもとへ送った。」

 

3.ペトロの否認

 

・イエスが捕らえられた後、ペトロとヨハネは、イエスの後を追って、大祭司の邸にまで行ったが、門番の女中はペトロの顔を知っており、あなたもイエスの弟子だと言い、ペトロは即座にこれを否認した。

-ヨハネ18:15‐18「シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の中庭に入ったが、ペトロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いであるもう一人の弟子は、出て来て門番の女に話し、ペトロを中に入れた。門番の女中はペトロに言った。『あなたもあの人の弟子の一人ではありませんか。』ペトロは、『違う』と言った。僕や下役たちは、寒かったので、炭火をおこし、そこに立って火にあたっていた。ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた」。

・ペトロとユダ、二人の弟子がイエスを裏切る。ユダは迫害者にイエスを売り、ペトロは迫害者の前で師弟関係を否定した。ユダには悪意があるが、ペトロにはない。それぞれ違いはあるが、共通しているのは、どちらにも人間の心の弱さが滲み出ていることである。大祭司邸の中庭にいたペトロは、大祭司の手下の耳を斬り落としたペトロと、同一人と思えないほど、怯えていた。

-ヨハネ18:25‐27「シモン・ペトロは立って火にあたっていた。人々が、『お前もあの男の弟子の一人ではないのか』と言うと、ペトロは打ち消して、『違う』と言った。大祭司の僕の一人で、ペトロに片方の耳を切り落とされた人の身内の者が言った。『園であの男と一緒にいるのを、私に見られたではないか。』ペトロは、再び打ち消した。するとすぐ鶏が鳴いた」。

・もしペトロが大祭司の屋敷で、イエスを否認せずに、「私はイエスの弟子だ」と肯定したら、何が起こったのだろうか。彼はイエスと共に捕らえられ、イエスと共に処刑されただろう。ヒーローは生まれても、伝道者は生まれなかった。しかし、彼は踏み絵を踏んで生き残った。そのことによって、教会が生まれ、イエスの福音が世界中に伝えられていった。死ぬことだけが殉教ではない。

・ペトロは決定的な過ちを犯した。そのような者でも悔い改めれば赦される。ペトロはこの赦しを知った。ペトロはこの自分の過ちを繰り返し弟子たちに語ったのであろう。だから4福音書全てにこの物語が記載されている。過ちを赦された者は、イエスのために死ねる者となる。後にユダヤ当局に迫害された時、ペトロはこれを喜んだ。

-使徒行伝5:40-41「(議員達は)使徒たちを呼び入れて鞭で打ち、イエスの名によって話してはならないと命じたうえ、釈放した。それで使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行った。」

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