江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2004年3月3日祈祷会(レビ記7章、清いものと清くないもの)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.食べて良いものといけないもの

・献げ物については、食べて良いものと、食べてはいけない物が区別された。第一は脂肪である。
―レビ記7:23「イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。牛、羊、山羊の脂肪を食べてはならない。」
・脂肪は肉の中でも最上のものである。最上のものは、その本来の持ち主に返せと命じられている。
―レビ記3:3-5「奉納者がこの牛を燃やして主にささげる和解の献げ物とする場合は、内臓を覆っている脂肪、内臓に付着するすべての脂肪、二つの腎臓とそれに付着する腰のあたりの脂肪、および腎臓と共に切り取った肝臓の尾状葉を取る。アロンの子らはこれを、祭壇の燃えている薪の上の焼き尽くす献げ物と共に煙にする。これが燃やして主にささげる宥めの香りである。」
・血は食べてはいけない。
―レビ記7:26「あなたたちがどこに住もうとも、鳥類および動物の血は決して食用に供してはならない。」
・血は生命であり、生命は神のものだからである。
―レビ記17:11「生き物の命は血の中にあるからである。私が血をあなたたちに与えたのは、祭壇の上であなたたちの命の贖いの儀式をするためである。血はその中の命によって贖いをするのである。」
・不浄なものも食べてはいけない。食べることによって、共同体に汚れを持ち込むからだ。
―レビ記7:19「汚れたものに触れた肉は一切食べてはならない。これは焼き捨てねばならない。」
・エホバの証人は「血を食べるな」を文字通りに受け取り、輸血まで拒否する。しかし、外から入るもので人を汚すものはない。血や脂肪を食べるなという戒めは、食べることにより、人の健康が損なわれるからだ。
―マルコ7:15「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」

2.救いは個人ではなく、民に与えられる

・汚れたものや、血を食べる者は、民から断たれるとレビ記は記す。
―レビ記7:21「人体から生じた汚れであれ、汚れた動物、汚れた爬虫類であれ、何か汚れたものに触れた後に、主にささげられた和解の献げ物の肉を食べるならば、その人は自分が属する民から断たれる。」
―レビ記7:27「血を食用に供する者はすべて自分が属する民から断たれる。」
・民から断たれた時、救いからも断たれる。旧約において、救いは個人に与えられたものでなく、イスラエルの民に与えられている。
―出エジプト記「あなたたちは、私にとって祭司の王国、聖なる国民となる。これが、イスラエルの人々に語るべき言葉である。」
・新約においてもそうだ。救いは新しいイスラエルである教会に与えられている。
―マタイ19:28「イエスは一同に言われた。『はっきり言っておく。新しい世界になり、人の子が栄光の座に座るとき、あなたがたも、私に従って来たのだから、十二の座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。』」
・救いは共同体、教会に集う者に与えられている。だから、私たちには教会が必要であり、教会を離れては、「救いはない。だから、教会の中にどのようなことがあろうとも、教会に留まることが必要なのだ。
―マタイ18:18-20「あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。・・・どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、私の天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである。」
・祭司も罪を犯すし、構成員も罪を犯す。それは当然なのだ。だから、購いのために献げ物をせよと命じられているのだ。「祭司の王国,聖なる民」と呼ばれる共同体=教会の中にも罪はあるのだ。
―レビ記4:3「油注がれた祭司が罪を犯したために、責めが民に及んだ場合には、自分の犯した罪のために、贖罪の献げ物として無傷の若い雄牛を主にささげる。」
―レビ記4:13-14「イスラエルの共同体全体が過ちを犯した場合、・・・会衆は若い雄牛を贖罪の献げ物としてささげ、それを臨在の幕屋の前に引いて行く。」
・そして悔い改めの献げ物をした時に、罪は赦される。共同体=教会は赦しの上に構成されるのだ。
―レビ記4:20「祭司がこうして罪を贖う儀式を行うと、彼らの罪は赦される。」

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