江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2023年4月12日祈祷会(使徒言行録10:1-48、コルネリウスの回心とその後)

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1.コルネリウスとペテロが幻を見る

 

・ローマ兵士コルネリウスの回心物語は使徒言行録の中で最長(66節)である。ユダヤ人のための福音が初めて異邦人にも伝えられた画期的な事件であった。ルカは「カイサリアにいたローマ軍の百人隊長コルネリウスに神の啓示が下った」と書き始める。コルネリウスは「神を畏れる人」とある。神を畏れる人とは、割礼を受けていないが(完全に改宗していない)、ユダヤ教の教えに従った信仰生活を送る異邦人信徒を指す。カイサリアはローマ総督府とその軍隊が駐留している町だった。

-使徒10:1-3「カイサリアにコルネリウスという人がいた。『イタリア隊』と呼ばれる部隊の百人隊長で、信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。ある日の午後三時ごろ、コルネリウスは、神の天使が入って来て、『コルネリウス』と呼びかけるのを、幻ではっきり見た。」

・天使はコルネリウスに、「ヤッファにいるペトロを呼べ」と命じる。

-使徒10:4-8「天使は言った。『あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられている。今、ヤッファへ人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい』、天使がこう話して立ち去ると、コルネリウスは二人の召し使いと、側近の部下で信仰あつい一人の兵士とを呼び、すべてのことを話してヤッファに送った。」

・同じころペテロにも神からの啓示があった。それは「食べるのを禁止されていた食物が天から下り、食べよと声があった」という。ペテロはためらう。

-使徒10:9-16「ペトロは祈るため屋上に上った。昼の十二時ころである・・・人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。そして、『ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい』という声がした。『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。』すると、また声が聞こえてきた。『神が清めた物を清くないなどとあなたは言ってはならない。』こういうことが三度あり、その入れ物は天に引き上げられた。」

・幻の意味を理解できず、思案にふけるペテロのところに異邦人コルネリウスからの使者が来る。

-使徒10:17-20「ペトロが今見た幻はいったい何だろうかと、ひとりで思案に暮れていると、コルネリウスから差し向けられた人々が、シモンの家を探し当てて門口に立ち、声をかけて、『ペトロと呼ばれるシモンという方が、ここに泊まっておられますか』と尋ねた・・・“霊”がこう言った『三人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。私があの者たちをよこしたのだ。』」

・コルネリウスの使いは語る「百人隊長コルネリウスは、正しい人で神を畏れ、すべてのユダヤ人に評判の良い人ですが、あなたを家に招いて話を聞くようにと、聖なる天使から、お告げを受けたのです」。ペトロはコルネリウスの招きに応えて、カイサリアに赴く。

-使徒10:23b-29「翌日、ペトロはそこをたち、彼らと出かけた。ヤッファの兄弟たちも何人か一緒に行った。次の日、一行はカイサリアに到着した。コルネリウスは親しい友人たちを呼び集めて待っていた。ペトロが来ると、コルネリウスは迎えに出て、足元にひれ伏して拝んだ・・・話しながら家に入ってみると、大勢の人が集まっていたので、彼らに言った。『あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神は私に、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました』」。

・コルネリウスが天使に導かれた次第を話したので、ペトロは幻の意味が分かった。初代教会はユダヤ人以外の人々には伝道しなかった(使徒11:19「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった」)。しかし、教会の思いを変える出来事(神が清めた異邦人を清くないなどと言ってはならない)が起こり、教会は神の啓示に従った。

 

2.コルネリウスのバプテスマ

 

・ペトロはコルネリウスの証しを聞き、ヤッファで見た幻が神の導きだと分かった。

-使徒10:34-35「そこで、ペトロは口を開きこう言った。『神は人を分け隔てなさらないことがよく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです』」。

・ペトロはナザレのイエスの業と生涯、そして復活をコルネリウスに語った。イエスの直接の弟子であったペトロの証しは説得力があった。ペトロの説教がまだ終わらぬ内に、彼ら異邦人のうえに聖霊が降った。

-使徒10:44-46a「ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来ている人は皆、聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを、聞いたからである。」

・ペトロは異邦人たちが聖霊を受けたのを見て、彼らにバプテスマを授けた

-使徒10:46b-48「そこでペトロは『私たちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水でババプテスマ(洗礼)を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか』と言った。そしてイエス・キリストの名によってバプテスマ(洗礼)を受けるようにとその人たちに命じた。それから、コルネリウスたちは、ペトロになお数日滞在するようにと願った。」

・出来事を聞いたエルサレム教会の人々は、ペトロを「無割礼者と食事をした」と批判した。ペテロは事の次第を粘り強く説明し、教会指導者たちも出来事をようやく神のみ旨として受け入れる。

-使徒11:1-18「ペトロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、『あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした』と言った。そこで、ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた・・・『主イエス・キリストを信じるようになった私たちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、私のような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。』この言葉を聞いて人々は静まり、『それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ』と言って、神を賛美した」。

・戦前の日本陸軍には、コルネリウスに因んだ「コルネリオ会」という日本軍人のクリスチャングループがあった。今日でも自衛官に対する宣教活動を行う「コルネリウス会」がある。自衛官を軍人として拒否するのではなく、宣教の対象とするのは大事なことだ。特に佐世保や呉、沖縄等の地域では必要であろう。

 

3.物語の意味を考える

 

・コルネリウスは熱心な求道者だったが、まだユダヤ教の割礼を受けていなかった。信仰はあったが、それを形あるものにはしておらず、傍観者に留まっていた。そのコルネリウスに聖霊が働きかけてペテロを招かせ、バプテスマまで導き、コルネリウスは傍観者から主体者へと変えられた。ペテロも聖霊に動かされて行為している。“異邦人と交わるな、交わればあなたも汚れる”と教えられて育ったペテロが変わった。

・ペトロもコルネリウスも、一歩を歩み出すために、多くのものを捨てなければならなかった。ペトロは律法に従った生活を捨てた。エルサレムに戻ったペテロは、教会の人たちから「あなたは割礼を受けていない者たちの所へ行き、一緒に食事をした」と非難されている。コルネリウスもローマ人でありながら、ユダヤ人の前に跪いた。これはローマ社会で生きるコルネリウスに多くの困難をもたらす出来事であった。それにもかかわらず、神はバプテスマ決心者を起こして下さる。それが聖霊の働きである。

・この出来事が教会を異邦人に向かわせ、教会はユダヤ教ナザレ派から、キリスト教に脱皮していく。しかし、エルサレム教会はその後も異邦人伝道には消極的であった。コルネリウスにバプテスマを授けたペテロも、やがてエルサレム教会保守派の圧力で、無割礼の人と食事を共にするのを避けるようになる。

-ガラテヤ2:11-12「ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、私は面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです」。

・日本では底辺労働の多くを、アジアや中南米からの出稼ぎ者に行わせている。日本の中小企業は「外国人技能実習」という名目でアジア諸国からから若い労働者を大量に受け入れ、法定賃金を下回る過酷労働を課している。日本人がつきたがらない介護労働を外国人にさせようという動きも強い。戦時中の日本は、韓国や中国から多くの労働者を強制連行して、鉱山や工場での重労働に従事させたが、同じことが現在も行われている。今、政府でも、外国人の技能実習制度についての見直しが進められている。外国人労働者は日本の産業に不可欠の存在だからだ。

・私たちはこの現実を見つめる必要がある。江戸川区には、数万人を超える外国の人々が住んでおられる。日本人と結婚されたフィリッピンの婦人たちと子どもたち、在日韓国の人々、さらには中国やインド、ブラジル等から来られた人々だ。私たちはこの外国の人々に対して伝道の責任があるが、外国人伝道は容易ではない。言葉の壁だけでなく、習慣や考え方の相違がある。さらに、聖書の解き明かしだけでなく、生活改善の問題にも教会が対応を迫られる(医療保険や生活保護等)。しかしそれらこそが現代の癒しの業だ。カトリック教会では礼拝参加者の半数は外国人(フィリッピンやブラジル人)であり、バプテストでも茂原教会や船橋教会では外国語礼拝も行っている。私たちも週報の英訳化等の工夫が必要だ。

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