江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2023年4月5日祈祷会(使徒言行録9:1-32、サウロの回心)

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1.サウロの回心

 

・サウロ(後のパウロ、サウロはヘブライ語読み、ギリシア語読みではパウロ)は熱心なファリサイ派であり、モーセ律法を軽視するキリスト教会を迫害していた。

-使徒8:1-3「サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った・・・一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた」。

・そのサウロがダマスコ途上で復活のイエスとの劇的な出会いを体験したと使徒言行録9章は記録する。

-使徒9:1-4「サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。ところが、サウロが旅をしてダマスコに近付いた時、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、私を迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。」

・使徒言行録はサウロの回心を3回にわたって記述する(22:4-16、26:9-18)。共通しているのは「天から光があった」、「地に倒された」、「声が聞こえた」という記述だ。何かの非日常がそこにあった。

-使徒9:5-9「『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、『私はあなたが迫害しているイエスである。起きて町へ入れ、そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。』同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは起きあがって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。」

・サウロの導き手にアナニアが選ばれた。アナニアは迫害者サウロを助けることに躊躇するが、主の命令なのでいやいやながら従う。

-使徒9:13-16「アナニアは答えた。『主よ、私はその人がエルサレムで、あなたの聖なる者に対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも御名を呼び求める人をすべて捕えるため、祭司長たちから権限を受けています。』すると、主は言われた。『行け、あの者は、異邦人や王たち、また、イスラエルの子たちに私の名を伝えるために、私が選んだ器である。私の名のためにどんなに苦しまねばならないかを、私が彼に示そう。』」

・主の前に降伏し、再び目が開いた時のサウロは、もう元の迫害者サウロではなかった。

-使徒9:17-19a「そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上の手を置いて言った。『兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、私をお遣わしになったのです。』するとたちまち目から「うろこのようなもの」が落ち、サウロは元通り見えるようになった。そこで、身を起こしてバプテスマ(洗礼)を受け、食事をして元気を取り戻した。」

・パウロはこの出来事についてほとんど語らない。唯一ガラテヤ書の中で彼はこの時の経験について語る。

-ガラテヤ1:13-17「あなたがたは、私がかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。私は、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。神が、御心のままに、御子を私に示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされた時、私は、すぐ血肉に相談するようなことはせず、私はまた、エルサレムに上って、私より先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。」

 

2.回心後のパウロ

 

・回心は神の側からの働きかけだ。それは私たちが「自分の魂の平安、自分の安心立命を得る」ために与えられるのではない。キリストはアナニアに言われた「私の名を伝える器としてパウロを選んだ。私の名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを彼に知らせるよう」(9:16)。ガラテヤ書によれば、パウロはこの後すぐアラビアの荒野に行き、黙想の時を持つ。主が何故彼を召したかを祈り考えるためだ。彼は荒野で力をいただき、ダマスコに戻り、会堂で「イエスこそ救い主だ。私はその方にお会いした」と述べた。使徒言行録ではダマスコの宣教の結果については詳しく記さないが、彼はそこで3年間伝道したといわれている。しかし、思うような成果はなかった。成果がなかったどころか、彼を裏切り者とするユダヤ人に命を狙われ、危うく難を逃れてダマスコを脱出した(9:25)。

・それからパウロはエルサレムに行き、イエスの弟子たちの所に行った(9:26)。しかし、そこでも受け入れられなかった。何故ならば、彼はかって「家々に押し入って、男や女を引きずり出し、次々に獄に送って、教会を荒らし回った」(使徒8:3)男だったからだ。これまで教会を迫害してきた人が、「回心しました」と言って、弟子の仲間に加わろうとしても誰も信じない。バルナバの執り成しで、ようやくペテロたちも受け入れ始めたが、今度もまたパウロの命を狙う者たちが現れ、パウロはエルサレムからも逃げるように去り、失意のうちに故郷のタルソに戻る。このタルソ時代のパウロについて聖書は何も記述しない。そこでも伝道したのであろうが、目だった成果はなかったのであろう。パウロが再び使徒言行録に登場するにはそれから10年後のことである。

・パウロが回心したのは紀元32年ごろ、エルサレムに行ったのが35年、最初の伝道旅行が紀元48年だ。回心から15年が経っている。パウロは復活のキリストから直接召しを受けるという華々しいデビューをしたが、その後の彼に与えられたものは伝道の失敗であった。15年の長い間、彼には活躍の場が与えられなかった。自分の使命はわかりながら、それを具体化する手立てがない。自分の進んでいくべき道がわからない、自分は本当にキリストの召しを受けたのだろうか、キリストに出会ったのは幻だったのか。パウロは悶々とする年月を送ったものと思われる。その年月がパウロを大伝道者とした。それはパウロが使徒として活動するために必要な熟成の時だった。私たちも熟成するために試練の時が与えられる。

 

3.使徒9章の黙想

 

・パウロのような回心を信仰者はどこかの時点で経験する。聖書学者の佐藤研は語る「聖書の中には、読んでいて、事柄として問題を感じる箇所、あるいは非常に気になる句、あるいは忘れられない事件とかいうものがある。それらを、問題を覚えた時に問題のまま自分の心の深部で受け止めて、それを咀嚼する・・・そしてある時、新しい世界を開いてくれる主体に聖書の言葉自体が変化するという出来事を経験する。一生に一度か二度、そのような危機の状態で、何かに出会った瞬間、全身全霊で自分が飲み込まれるような、そして今まで全く思ってもいなかった何かが、ポカッと開くという、そのような体験だ」(佐藤研、イエスの父はいつ死んだか、聖公会出版)。

・私たちもそれぞれの人生の物語の中で復活のキリストに出会う。聖書を読んでいる時、説教を聞いている時、あるいは苦難の中で泣いている時に、神の言葉が心の中に響く体験をする。それは現代でも繰り返し起こっている、だからこそ、人は洗礼を受けて、自分の信仰を表明する。パウロはかつて自分の信じる正義を人に押し付ける傲慢な人だった。その彼は復活のイエスに出会った後に告白する「生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです」(ガラテヤ2:20)。パウロは自らの熱心を人に押し付ける者から、他者(すなわちキリスト)のために苦しむ者に変えられた。同じ経験をした私たちも唱和する「私たちの古い自分はキリストと共に十字架につけられた」(ローマ6:6)、だから私たちは「キリストとともに生きる」(同6:8)。

・主の呼びかけを聞いて人生が大きく変えられた一人が、サラ・フラワー・アダムズだ。彼女は1805年にイギリスに生まれ、25歳の時にマクベス夫人を見事に演じて、シェークスピア女優として有名になった。しかしやがて肺結核を発症する。当時の結核は不治の病であり、サラは嘆き、療養所で泣き暮らしていた。彼女のもとに一人の牧師が来て語る「あなたが自分の運命に打ち勝つ道は一つです。あなたと同じ立場にいる人々を助けてあげることです」。彼女は43歳で亡くなるが、生前一つの詩を書いた「Nearer ,my God ,to thee」。その詩はやがて讃美歌になり、今日「主よ、御許に近づかん」(新生讃美歌603番)として知られている。憎しみに満ちたマクベス夫人を演じた一人の女性が、自分の苦しみの中から、他の心痛める人のために書き下した詩が、多くの人を慰める贈り物になった(F.アワズラー「二十世紀からの贈り物」から)。

・神は悲しみさえも良きものに変えて下さる、このことを知る時、人生の意味が全く変わっていく。私たちの人生がどのような人生であっても、神はこの人生を良きものとして下さる、自分が一生懸命に生きたことを神は知っていて下さる。この一点を信じる者は、平安のうちに世を去ることが出来る。ビクトール・フランクルはユダヤ人故にアウシュビッツ収容所に捕らえられた。そして奇跡的に生き延びたが、彼は語る「強制収容所の人間を精神的にしっかりさせるためには、未来の目的を見つめさせること、つまり、人生が自分を待っている、誰かが自分が待っていると、つねに思い出させることが重要だった」(ビクトール・フランクル「夜と霧」)。強制収容所を生き残ったのは、体の頑健な人ではなく、生きる希望を持った人々だった。「生きているのではなく、生かされている。自分にはやるべきことがある」。それを知った人の人生は、どのような状況にあっても、喜べるものになる。

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