江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2023年4月19日祈祷会(使徒言行録11:1-30、異邦人伝道の進展)

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1.コルネリウスのバプテスマの後で

 

・ペトロは異邦人コルネリウスにバプテスマを授けたが、それを聞いたエルサレム教会は反発する。彼らが問題にしたのは、異邦人と食事したことである。ユダヤ人は異邦人と口をきくことさえ避けていたので、ペトロのように異邦人と食事するなど考えることすらできなかった。

-使徒11:2-4「ペトロがエルサレムに上って来た時、割礼を受けた者たちは彼を非難して『あなたは割礼を受けていない者たちの所へ行き、一緒に食事をした』と言った。そこでペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた。」

・ペトロは彼らの非難を受け止め、臆することなく、筋道を立て釈明した。ペトロは、彼が祈っている時に、神から幻が与えられたとその経緯を説明する。ユダヤ人には厳挌な食物規定があり、律法で汚れているとされた動物は食べることを禁じられていた。ペトロは「屠って食べよ」と言われた時、反論した。しかし神は「神が清めた物を、清くないなどと言ってはならない」と戒められる。神は食べ物のタブーを取り除くことで、異邦人伝道への壁も取り払おうとされた。ペトロを非難した人々に対するペトロの釈明が堂々として、説得力があるのは、すべてはペトロの意志ではなく、背後に神の御心があったからだ。「異邦人伝道の端緒を与えたのは神であり、自分はその命令に従ったに過ぎない」とペテロは述べた。

・ペテロは説明を続ける。コルネリウスの使いが到着した時、ペトロは自分が見た幻の意味が分かったと説明する。ペトロとコルネリウスの出会いは、コルネリウスに幻が与えられ、導き手を求めたのがきっかけだった。ペトロがコルネリウスの家で福音を語り始めると、聖霊が降った。それは、神が彼ら異邦人の信仰を承認した証しであり、聖霊はその賜物であった。教会の人々もそれを聞いて讃美した。

-使徒11:15-18「『私が話し出すと、聖霊が私たちの上に降ったように彼らの上にも降ったのです・・・主イエス・キリストを信じるようになった私たちに与えてくださった同じ賜物を、神が彼らにお与えになったのなら、私のような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。』この言葉を聞いて人々は静まり『それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えて下さったのだ』と言って神を賛美した。」

 

2.アンティオキアの教会の誕生

 

・異邦人伝道はアンティオキアを拠点として本格的に始まった。アンティオキアはシリア州の首都で、ロ-マ、アレキサンドリアに次ぐ地中海沿岸の大都市で、諸文化、諸民族が入り混じる国際都市であった。まさに異邦人伝道のための地の利を得ていた。

-使徒11:19-20「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外の誰にも御言葉を語らなかった。しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。」

・アンティオキア教会の働きを助けるために、エルサレム教会はバルナバを派遣した。

-使徒11:21-24a「主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち返った人は多かった。このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。バルナバはそこへ到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。バルナバは立派な人物で聖霊と信仰に満ちていたからである」。

・バルナバは今後の異邦人伝道のためには、既にダマスコやタルソスでの豊富な体験を持つパウロが必要だと考え、故郷のタルソスで伝道していたパウロをアンティオキアに招く。ここに、将来の大伝道者パウロが初めて歴史の舞台に登場する。回心から15年の時が経っていた。このアンティオキアで、教会の人々は初めて「クリスティアノス」と呼ばれるようになる。クリストス(キリスト)に属する人々、キリスト派、あるいはキリスト党の意味であり、彼らはユダヤ教と決別した。

-使徒11:24b-26「こうして多くの人が主に導かれた。それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアへ連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」

・アンティオキア教会は豊かになり、やがてはエルサレム教会を支援するほどになっていった。

-使徒11:27-30「そのころ、預言する人々がエルサレムからアンティオキアに下って来た。その中の一人のアガボという者が立って、大飢饉が世界中に起こると“霊”によって予告したが、果たしてそれはクラウディウス帝の時に起こった。そこで、弟子たちはそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた。そして、それを実行し、バルナバとサウロに託して長老たちに届けた。」

 

3.キリスト教会の成立の意味を考える

 

・エルサレム教会の中心は、イエスの兄弟ヤコブであった。彼らは信仰的には「律法を守り、神殿を尊ぶ」保守的なユダヤ教徒だった。だからユダヤ教中核の人々も彼らの存在を容認し、彼らはユダヤ教イエス派として活動していた。彼らはあくまでも「ユダイオン」(ユダヤ教徒)であり、誰も彼らを「キリスト教徒(クリスティアノス)」とは呼ばなかった。

・一方、アンティオキア教会を形成したのはギリシア語を話すユダヤ人たち(ヘレニスタイ)で、彼らは「人はイエスの十字架を通して救われる、律法や割礼は不要だ」と説き、「神は人が造った神殿には住まわれない」と公言していた(7:49-50)。体制の枠内でイエスの言葉を聞き続ける限り、迫害はないが進展もない。イエスはユダヤ教の枠組みを大きく超えたために殺された。人々がイエスの言葉に忠実に従い始めた時、その集団は体制を超え、体制側からの迫害が始まる。キリスト教会を形成したのはエルサレム教会等の体制派の人々ではなく、迫害されて追放されていった反体制の人々で、彼らこそ「キリスト者=クリスティアノス」と呼ばれた人々だった。

・アンティオキアは、シリア人、ギリシア人、ローマ人、ユダヤ人等が混在する国際都市だった。それを反映して、教会に集まっていた人たちも様々な出身の人々が集っている国際教会だった。それぞれが違う伝統、異なる国民性を持ち、そこでは割礼を受けなければ救われないとか、エルサレム神殿の犠牲奉献により罪が赦される等の教理は何の力も持ってない。そこに、「イエス・キリストのみに従う」信仰者の集団が生まれた。

・日本の教会も世の中の動きを受けて国際化している。日本には200万人の外国人が住んでいるが、その多くはキリスト教徒で、カトリックでは既に構成員の半分は外国人になっている(日本人信徒44万人、外国人信徒も同数、多くはブラジル・ペルー・フィリッピンからの移住者)。そのため、カトリック教会では既に英語・スペイン語・タガログ語の礼拝が持たれるようになっている。プロテスタント教会は従前どおり日本人中心だが、それでも信徒の中に中国系、韓国系、フィリッピン系等の人々も増えている。国際化にどう対応するかは、アンティオキア教会の課題だったが、日本の教会の課題にもなりつつある。

・経済学者であり、熱心な信徒でもあった隅谷三喜男は「日本の信徒の神学」の中で述べる「日本において神学者(牧師)は2階にいて、勉強している。信徒は日曜日だけ2階に行って、後は1階で生活している。両者がこの辺の問題点を互いに指摘し、生活様式にまで踏み込み、問いかけながら、時には戦っていかなくては、展開はないのではないか」。

・この文章はドイツの哲学者レーヴィットの日本知識人批判(2階に欧米の思想、1階に日本的心情、両者を結ぶ階段がない)を日本の教会の現状に当てはめたものだ。牧師宅の2階にはバルトやテーリッヒ等の神学書が並んでおり、説教は2階で準備され、意味不明の難しい教理が語られる。他方、1階には信徒が主の言葉を生活の中で聞きたいと集まるが、語られるのは神学者の言葉であり、生活の中の信仰ではない。その結果、信徒における信仰と生活の分離、牧師における説教と現実の分離が生じている。そこには「世に仕える教会」との認識はない。

・ヘンドリック・クレーマーは1958年「信徒の神学」を書いた。

-「神は世と関わりを持たれる方であるゆえに、教会もまた世のために存在する。しかし、現実には、教会の関心は、それ自身の増大と福祉に注がれてきた。教会は自己中心的に思考し、世に対する関心は二次的であった」。

-「信徒は世にあり、世のもろもろの組織・企業・職業の中にくまなく存在する。その場所こそ彼らの宣教の場所だ。世にあるキリスト者、それが信徒であり、教会はその信徒を助け支える役割を持つ。教会は信徒を通じて、この世にキリストのメッセージを伝えていく。信徒こそが世に離散した教会である」。

-ある人は語る「クリスチャンに成ることは良いことだ。クリスチャンで有ることはさらに良い。クリスチャンで在り続けることは最良である」。一人一人が自分はキリスト者(クリスティアノス)であるという自覚を持つ時、教会は世に仕える共同体になる。

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