江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2015年6月17日祈祷会(ヨハネ福音書14:1‐31、イエスの決別説教)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.イエスは父に至る道

・ヨハネ14章は、死を前にしたイエスの訣別説教である。最後の晩餐の時、ユダはイエスを売るために既に部屋を出た。やがてイエスを逮捕する兵士たちが来るだろう。弟子たちの間に動揺が広がった。
−ヨハネ14:1‐4「『心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい。私の父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろう。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来てあなたがたを私のもとに迎える。こうして、あなたがたは私のいる所にあなたがたもいることになる。私がどこへ行くのか。その道をあなたがたは知っている。』」
・イエスは「場所を用意しに行く」と言われる。イエスは、これから受ける苦しみ(十字架の死)と栄光(復活)を、弟子たちが父の家(神の国)に入ることができるようになるための準備として考えておられる。しかし弟子たちには理解できない。トマスはイエスに聞く「天の父の家があるとしても、そこへ行くまでの道はわかりません」と。そのトマスにイエスは、「私こそ、道であり、私を信じ従うことで、父のもとへ行くことができる」と説かれる。日本人は、「分け登る麓の道は多けれど、同じ高嶺の月を見るかな」歌う。世には多くの教えや宗教があるが、どれでもその道を極めれば、悟りの境地はみな同じだという主張だ。しかし、「復活者イエス・キリストだけがそこに至る道となる」というのが、ヨハネ福音書の主張だ。
−ヨハネ14:5‐7「トマスが言った。『主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。』イエスは言われた。『私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、だれも父のもとへ行くことができない。あなたがたが私を知っているなら、私の父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。』」
・「既に父を見ている」とイエスに言われても、フィリポは納得できず、「私たちに父を見せてください」と言うほかなかった。旧約以来の伝統的信仰は、「神は人には見えない、見てはならない存在だ」と教えられていた。「私を見た者は、父を見た」というイエスの言葉は、彼らの信仰の限界を越えていた。
−ヨハネ14:8‐11「フィリポが『主よ、私たちに御父をお示しください。そうすれば満足できます』と言うと、イエスは言われた。『フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、私が分かっていないのか。私を見た者は、父を見たのだ。なぜ、「私たちに御父をお示しください」と言うのか。私が父の内におり、父が私の内におられることを、信じないのか。私があなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。私の内におられる父が、その業を行っておられるのである。私が父の内におり、父が私の内におられると信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。』」
・父なる神とイエスは別の存在でありながら、その働きは一つであるとイエスは説かれるが、フィリポは理解出来ない。しかし、イエスは言われる「私を信じる者は私と同じ業、否それ以上の業をする」と。弟子たちには奇跡は起こせない。しかし神の福音を告げ知らせるという働きでは、パレスチナの中だけでなされたイエスの働き以上に大きな働きが、弟子たちの手によって全世界に及ぶようになる。
−ヨハネ14:12‐14「『はっきり言っておく。私を信じる者は私が行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。私が父のもとへ行くからである。私の名で願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして父は子によって栄光をお受けになる。私の名によって何かを願うならば、私がかなえて上げよう。』」
・イエスは「あなたがたのために場所を用意したら、戻って来てあなたがたを私のもとに迎える」と言われる。ここの「私は再び来る」というのは、聖霊という形で復活者イエスが弟子たちのところに来られることを指している。

2.聖霊を与える約束

・イエスは、互いに愛し合い、助け合う「愛の掟」の実践を弟子たちに勧め、イエスに代わる弁護者として、真理の霊を遣して弟子たちを守ると約束される。
−ヨハネ14:15‐18「『あなたがたは、私を愛しているならば、私の掟を守る。私は父にお願しよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は真理の霊である。世はこの霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。』」
・この弁護者(パラクレイトス)こそ、聖霊である。パラ=傍らに、カレオー=呼び出される者、傍らに呼び出される者、イエスは復活し、昇天後は聖霊として共にいると宣言される。
−ヨハネ14:19‐21「『私は、あなたがたを孤児にしてはおかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもう私を見なくなるが、あなたがたは私を見る。私が生きているので、あなたがたも生きることになる。かの日には、私が父の内におり、あなたがたが私の内におり、私もあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。私の掟を受け入れ、それを守る人は、私を愛する者である。私を愛する人は、私の父に愛される。私もその人を愛して、その人に私自身を現わす。』」
・ユダは、世から孤立し迫害される共同体の疑問を代表してイエスに尋ねる「主よ、私たちには御自分を現わそうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」。イエスが復活者キリストであり、神の栄光を現す方であるならば、そのことを少数の弟子集団だけに現して、広く世界に現そうとされないのはなぜか。御自身の栄光を世にも現して、世がすべて救われたキリストの民となるようにされないのはなぜか。ヨハネ共同体が、そして代々のキリストの民が抱くこの疑問を、ユダが代表して訊ねる。
−ヨハネ14:22‐24「イスカリオテでない方のユダが、『主よ、私たちには御自分を現わそうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか』と言った。イエスはこう答えて言われた。『私を愛する人は私の言葉を守る。私の父はその人を愛され、父と私はその人のところに行き、一緒に住む。私を愛さない者は私の言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉は私のものではなく、私をお遣わしになった父のものである。』」
・「私を愛する人は私の言葉を守る」、イエスは後に続く者たちの愛の行為により、真理は啓示されると言われた。そのイエスは弟子たちとの別離を前に「心を騒がせるな、おびえるな」と弟子たちを励まされた。
−ヨハネ14:25‐27「私はあなたがたといた時に、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父が私の名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、私が話したことをことごとく思い起こさせてくださる。私は平和をあなたがたに残し、私の平和を与える。私はこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」
・イエスは弟子たちにまた会うと言われる。
−ヨハネ14:28‐29「『私は去って行くが、また、あなたがたのところに戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。私を愛しているなら、私が父のもとへ行くのを喜んでくれるはずだ。父は私より偉大な方だからである。」
・やがてイエスのもとに世の支配者たちが追手を送り、彼らはイエスを逮捕し、殺すだろう。しかし彼らはそれ以上の事はできない。イエスは弟子たちにこの場所からの出発を促す。
−ヨハネ14:29‐31「事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、そのことが起こる前に話しておく。もはや、あなたがたと多くを語るまい。世の支配者が来るからである。だが、彼らは私をどうすることもできない。私が父を愛し、父がお命じになったとおりに行っていることを、世は知るべきである。さあ、立て。ここから出かけよう。」
・本来のヨハネ福音書はここから18章に移る。15−17章は後世の編集・挿入と見られている。
-ヨハネ18:1「こう話し終えると、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた」。
・イエスは聖霊として共におられる。この同伴者イエスを歌った詩が「足あと」である。7月に当教会で開かれるチャペルコンサートの主題歌である。
-足跡(FOOTPRINTS)マーガレット・パワーズ「ある夜、私は夢を見た、私は、主と共に、なぎさを歩いていた。暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。どの光景にも、砂の上に二人の足あとが残されていた。一つは私の足あと、もう一つは主の足あとであった。これまでの人生の最後の光景が映し出された時、私は、砂の上の足あとに目を留めた。そこには一つの足あとしかなかった。私の人生でいちばんつらく、悲しい時だった。このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ねした。『主よ、私があなたに従うと決心した時、あなたは、すべての道において、私と共に歩み、私と語り合ってくださると約束されました。それなのに、私の人生のいちばんつらい時、一人の足あとしかなかったのです。一番あなたを必要とした時に、あなたが、なぜ、私を捨てられたのか、私にはわかりません』。主は、ささやかれた『私の大切な子よ、私は、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に、足あとが一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていた』」。

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