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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

聖書教育の学び

2020年1月19日聖書教育の学び(2015年3月18日祈祷会、ヨハネ6:1‐33、五千人の給食と湖上歩行)

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1.五千人に食べ物を与える

 

・イエスのもとに大勢の人々が押し寄せた。その理由をヨハネは、「イエスが病人になさったしるしを見たからである」と記している。人々は病の癒しを求めてイエスの所に来た。

-ヨハネ6:1‐3「その後、イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向う岸へ渡られた。大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。」

・過越祭が近づいていた。イエスは群衆が飢えているのを見抜き、「彼らに食べさせるにはどうすれば良いだろうか」とフィリポに尋ねられた。フィリポは「二百デナリオン分のパンを買っても足りない、5千人もの人に食べさせるのは無理です」と答えた。

-ヨハネ6:4‐7「ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、『この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか』と言われたが、こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしょうとしているか知っておられたのである。フィリポは、『めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう』と答えた。」

・少年が五つのパンと二匹の魚を持っていることが分かった。しかし、この大群衆を養えるわけはない。イエスはまず人々を座らせた。男だけで五千人、女や子どもも含めると1万人以上の人がいたであろう。

-ヨハネ6:8‐10「弟子の一人で、シモン・ペテロの兄弟アンデレが、イエスに言った。『ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持った少年がいます。けれども、こんな大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。』イエスは、『人々を座らせなさい』と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。」

・イエスは五つのパンと二匹の魚をとり、感謝の祈りを捧げた後、人々に配られる。パンと魚は増え、五千人が飽きるほど食べて、食べ残しが十二の籠いっぱいになった。人々はイエスの業に感嘆の声をあげた。

-ヨハネ6:11‐15「さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、『少しも無駄にならない』ように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお、残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、『まさにこの人こそ、世に来られる預言者である』と言った。イエスは人々が来て自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、一人でまた山に退かれた。」

・イエスが天を仰いで感謝してパンを分けられると、そのパンは十分な量に増えた。子供が自分のパンをみんなのために差し出したのを見て、他の人々も心動かされ、それぞれが持っているパンを差し出し、みんなが食べることが出来たのかもしれない。奇跡をどう考えるか、現代の課題である。治癒奇跡のあるものは実際に生じたと青野太潮は論文の中で語る。

-青野太潮「苦難と救済」から「絶対的に帰依した対象である教祖なり指導者なりの一言一句が、血となり肉となる形で、信徒の内に本来備わっている能力(自然治癒力)を引き出し、想像もしなかったような病気の治癒がそこで為されたりする」。「イエスといえども、相手が彼を全く信用しなければ、そこから何かを引き出すことは全く出来なかった」(マルコ6:5-6、「苦難と救済p241」)。

 

2.湖の上を歩く

 

・弟子たちは先に船出したが、乗った小舟は、荒れ狂う夜の湖で、いまにも沈没しそうになった。その時、思いがけなく、イエスが現れ、嵐は静まり、彼らは救われた。

-ヨハネ6:16‐20「夕方になったので、弟子たちは湖畔に降りて行った。そして、舟に乗り、湖の向う側のカフアルナウムに行こうとした。既に暗くなっていたが、イエスはまだ彼らのところには来ておられなかった。強い風が吹いて湖が荒れ始めた。二十五ないし三十スタディオンばかり漕ぎ出したころ、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、彼らは恐れた。イエスは言われた。『私だ。恐れることはない。』そこで彼らはイエスを舟に迎えいれようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた。」

・福音書に現れる自然奇跡は概ね伝承の拡大であるとされる。マルコ4:35-41ではイエスは嵐を静め、同6:47-51(並行ヨハネ6:16-21)ではガリラヤ湖の水の上を歩く。これは復活のイエスの顕現を見て、彼を神の子と理解した人々の神顕現物語が背景にあると荒井献は理解する(「イエス・キリスト、その言葉と業、下」(pp307-308)。

 

3.湖の上を歩く(並行記事:マルコ6:47-51から)

 

・五千人の群衆に食べさせた後、イエスは弟子たちに命じて舟に乗せ、対岸のべトサイダへ向かわせ、群衆を解散させた。イエス自身は祈るため山に入られた。

-マルコ6:45-47「それから、イエスは弟子たちを強いて舟に乗らせ、向こう岸のべトサイダへ先に行かせ、その間に御自分は群衆を解散させられた。群衆と別れてから、祈るために山に行かれた。夕方になると、舟は湖の真ん中に出ていたが、イエスだけは陸地におられた。」

・弟子たちの舟が、湖の半ばに差しかかった頃、逆風が吹き始め、舟の進行を阻んだ。イエスは沖で行き悩む弟子たちの舟を見て、湖上を歩いて弟子たちのところに行かれた。イエスを見た弟子たちは幽霊と思い、怯えた。イエスは彼らに声をかけ、「安心せよ」と励まされた。

-マルコ6:48-50「逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。弟子たちはイエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ話し始めて、『安心しなさい。私だ。恐れることはない』と言われた。」

・イエスが舟に乗り込まれると風は静まった。マルコは、弟子たちはパンの奇跡を理解しなかったと記す。五つのパンで五千人を養われた方は、湖を歩いて弟子たちを助けることも出来るお方だ。

-マルコ6:51-52「イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは、心の中で非常に驚いた。パンの出来事を理解せず。心が鈍くなっていたからである。」

 

4.イエスの湖上歩行の物語をどう読むか

 

・多くの聖書学者たちは、イエスの湖上歩行の記事はもともと「復活のイエスとの出会い」を描いたものではないかと考える。復活のイエスとの出会い体験が書き伝えられる過程で、記事がイエスの地上の働きとして伝承されていったのであろう。マタイの並行個所ではその構造はもっと明確だ。ペテロはイエスに対して「主よ」という言葉を用いる。「主」とは復活後のイエスに対する尊称であり、この物語が復活のイエスとの出会いであれば、闇の中を歩いてこられるイエスを見て、幽霊だと思っても不思議はない。

-マタイ14:28-32「ペトロが答えた『主よ、あなたでしたら、私に命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください』。イエスが『来なさい』と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので『主よ、助けてください』と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』と言われた。そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった」。

・復活体験は言葉では説明の出来ない出来事だ。しかしイエスの十字架刑の時に逃げ去った弟子たちが、やがてまた集められ、「イエスは死からよみがえられた。私たちはそれを見た。イエスこそ神の子であった」と宣教を始め、死を持って脅かされてもその信仰を捨てなかったことは歴史的事実だ。復活のイエスとの出会いが彼らを変えた。その後、弟子たちの宣教により、ローマ帝国の各地に教会が立てられ、ローマにも教会が生まれた。

・マルコ福音書は紀元70年頃、そのローマで書かれたと言われている。マルコが福音書を書いた当時、教会は迫害の中にあった。ペテロやパウロという指導者を相次ぐ迫害の中で失い、今なおローマからの迫害に直面する教会は、まさに「逆風の中で」漕ぎ悩んでいた。困難に次ぐ困難で、「教会という舟はまさに沈もう」としていた。彼らは勇気を無くし、主は自分たちを見捨てられたのではないかとさえ思い始めていた。そのマルコの教会に「嵐の中で漕ぎ悩む弟子たちを助けるためにイエスが来られた」という伝承が与えられた。マルコはその伝承を知り、「主は私たちを捨てられたのではない、今、主は共におられなくとも、私たちの苦難を知っていてくださる。そして夜中であっても、私たちを救うために来てくださる」との使信を教会に伝えた。

・アウグスチヌスは語る「私には出来ませんが、あなたによって出来ます」。嵐の中で私たちの信仰は揺さぶられる。極度の困難の中で「神はおられるのか」、「おられるのならば何故救ってくださらないのだ」と叫ぶこともある。聖書が教えることは、嵐の只中において、私たちは神と出会うということだ。私たちは平安の中ではなく、困窮の中で救い主と出会う。何故なら、平安の時には神を求めないからだ。私たちは泣くことを通して、私たちを造られた神が憐れみの方であり、私たちに呪いではなく、祝福を与えようとしておられる事を知る。嵐は祝福の第一歩なのである。

 

5.命のパン

 

・五千人にパンを与えたイエスは、夜の間にカファルナウムへ帰っていた。パンを食べて満腹した群衆は、「もっとパンがほしい」として、イエスを追いかけてきた。

-ヨハネ6:22‐24「その翌日、湖の向う岸に残っていた群衆は、そこには小舟が一そうしかなかったこと、また、イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り込まれず、弟子たちだけが出かけたことに気づいた。ところが、ほかの小舟が数そうティベリアスから、主が感謝の祈りを唱えられた後に人々がパンを食べた場所へ近づいて来た。群衆はイエスも弟子たちもそこにいないと知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り、イエスを捜し求めてカファルナウムに来た。」

・イエスの与えた食べ物への群衆の期待が大きければ大きいほど、イエスは冷めていた。「食べればなくなる肉体の食べ物ではなく、永遠の命に至る霊の食べ物を求めよ」と、イエスは彼らを諭した。

-ヨハネ6:25‐27「そして、湖の向う岸でイエスを見つけると、『ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか』と言った。イエスは答えて言われた。『はっきり言っておく。あなたがたが私を捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働き働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。』

・「永遠の命に至る食べ物を得るにはどうしたら良いか」と問う人々に、イエスは、「神が遣わした私を信じ、私の言葉を信じなさい」と説いた。しかし、彼らには通じず、「先祖が天からのマンナを食べたような奇跡を見せてくれたら信じる」と言う。彼らは肉体の食べ物にこだわり、イエスの教えが理解できない。

-ヨハネ6:28‐31「そこで彼らが、『神の業を行うためには、何をしたら良いでしょうか』と言うと、イエスは答えて言われた。『神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。』そこで、彼らは言った。『それでは、私たちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。私たちの先祖は荒れ野でマンナを食べました。「天からのパンを彼らに与えて食べさせた」と書いてあるとおりです。』」

・しかしイエスは、「天からのパンはモ-セが与えたのではなく、神が与えたのである。あなたがたの信仰は根底から誤っている」と指摘される。

-ヨハネ6:32‐33「するとイエスは言われた。『はっきり言っておく。モ-セが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、私の父が天からのまことのパンをお与えになる。神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。』」

・人にとって命ほど大切なものはない。しかし、イエスは「人はパンだけで生きるのではない。神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる」(マタイ4:4)と言われた。D.ボンヘッファーは語る。「われわれが、われわれのパンを一緒に食べている限り、われわれは極めて僅かのものでも満ち足りるのである。誰かが自分のパンを、自分のためだけに取っておこうとする時に、初めて飢えが始まる。これは不思議な神の律法である。二匹の魚と五つのパンで五千人を養ったという福音書の奇跡物語は、他の多くの意味と並んで、このような意味を持っているのではないか」(「共に生きる生活」から)。この社会は「誰かが自分のパンを、自分のためだけに取っておこうとする」社会だ。その社会の中で教会は、「一粒の麦が地に落ちて死ねば多くの実を結ぶ」(12:24)というイエスの言葉を聴いていく。

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