江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2009年3月18日祈祷会(マルコ11:20-33、いちじくの木の例えと権威問答)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.いちじくの木の例え

・エルサレムに入る途上、イエスは、いちじくの木が葉を茂らすだけで実を結ばないことを怒って呪われた。すると木は翌日枯れてしまった。何故イエスはこのような行為をされたのか。不思議な物語がここに語られている。
-マルコ11:12-21「翌日、一行がベタニアを出るとき、イエスは空腹を覚えられた。そこで、葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなってはいないかと近寄られたが、葉の他は何もなかった・・・イエスはその木に向かって『今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように』と言われた。・・・ 翌朝早く、一行は通りがかりに、あのいちじくの木が根元から枯れているのを見た。ペトロはイエスに言った『先生、御覧ください。あなたが呪われたいちじくの木が、枯れています』」。
・この物語に挟み込まれるように、宮清めの出来事が記されている。おそらくは「期待されている実を結ばないイスラエルの民の不信仰」を嘆かれる、預言者的象徴行為と見るべきであろう。
-マルコ11:15-17「イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された・・・そして、人々に教えて言われた『私の家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった』」。
・不信仰のイスラエルは、旧約ではしばしば実を結ばない、いちじくの木に例えられる。
-エレミヤ8:13「私は彼らを集めようとしたがと主は言われる。ぶどうの木にぶどうはなく、いちじくの木にいちじくはない。葉はしおれ、私が与えたものは、彼らから失われていた」。
・ルカでは実を結ばないいちじくの木を切り倒せと命じる主人に僕が言う「猶予を下さい。だめな時には切り倒してください」と(ルカ13:6-9)。いちじくの木を切り倒す時が来た。エルサレム神殿があることによって人々の信仰が偶像化するならば、神殿は壊されるだろう。事実、エルサレム神殿は紀元70年にローマに滅ぼされた。
-マルコ13:1-2「イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った『先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう』。イエスは言われた『これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない』」
・22−26節以下の言葉は唐突だ。おそらくはユダヤ教の迫害に悩む教会へのマルコが編集した使信であろう。目の前に山のように立ちふさがるユダヤ教に対して、「神殿を壊された主は、教会を守ってくださるだろう」と。
-マルコ11:22-23「イエスは言われた「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる」。

2.イエスの権威はどこから来るのか

・イエスの宮清めと神殿崩壊預言は、神殿に依存する祭司たちに大きな衝撃を与えた。彼らはイエスを殺そうと謀り、その口実を得るためにイエスに問う「何の権威であんなことをしたのか」と。
-マルコ11:27-28「一行はまたエルサレムに来た。イエスが神殿の境内を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちがやって来て、言った『何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか』」。
・イエスは彼らに問い返される「ではバプテスマのヨハネの権威は天からのものか、人からのものか」。イエスはヨハネこそエリヤであったと思っておられたが、祭司たちはヨハネを信じず、ヨハネを殺した。
-マルコ9:12-13「イエスは言われた『確かに、まずエリヤが来て、すべてを元どおりにする。・・・言っておく。エリヤは来たが、彼について聖書に書いてあるように、人々は好きなようにあしらったのである』。
・民衆はヨハネを預言者だと信じていた。民衆に人気のあったヨハネを否定することは祭司たちには出来なかった。
-マルコ11:31-32「彼らは論じ合った『天からのものだと言えば、では、なぜヨハネを信じなかったのかと言うだろう。しかし、人からのものだと言えば・・・』。彼らは群衆が怖かった。皆が、ヨハネは本当に預言者だと思っていたからである」。
・イエスは言われる「あなた方が答えないのであれば私も答えない」と。
-マルコ11:33「そこで、彼らはイエスに『分からない』と答えた。すると、イエスは言われた『それなら、何の権威でこのようなことをするのか、私も言うまい』」。
・ヨハネを受入れない祭司たちはイエスを受入れない。神の権威は受入れるかどうかの決断だ。祈りもそうだとイエスは言われる。信じた時に祈りは適えられる。私たちの思いではなく、最善の形で適えられる。それを信じるか。
-マルコ11:24-25「だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる」。

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