江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2008年9月3日祈祷会(ルカ22章前半、最後の晩餐)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.新しい契約としての最後の晩餐

・イエスは弟子たちと最後の晩餐を取るために準備された。最後の晩餐は過越し=出エジプトを記念する食事だ。出エジプトでは犠牲の子羊の血が流されて民が救われた。イエスは死を覚悟しておられる。
−ルカ22:7-13「過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして『行って過越の食事ができるように準備しなさい・・・都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、家の主人にはこう言いなさい。先生が、弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこかとあなたに言っています。すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい』」。
・過越しの食事が準備されている時、イスカリオテのユダは祭司長たちのところに行き、イエスを売渡す申し出をした。ルカは「サタンが彼のうちに入った」と述べる。ユダが何故裏切ったかは、不明のまま残されている。
−ルカ22:2-6「祭司長たちや律法学者たちは、イエスを殺すにはどうしたらよいかと考えていた。・・・十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。ユダは祭司長たちや神殿守衛長たちのもとに行き、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談をもちかけた。彼らは喜び、ユダに金を与えることに決めた」。
・イエスは弟子たちと食事の席につかれた。そして言われた「これがあなたたちと行う最後の食事だ」と。
-ルカ22:15-16「イエスは言われた『苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、私は切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、私は決してこの過越の食事をとることはない』」。
・イエスはパンを取り、感謝してこれを裂き、弟子たちに与えられた。最後の晩餐が最初の聖餐になった。聖餐(ユーカリスト)という言葉は感謝(ユーカリステオ)から来る。聖餐とはイエスの贖罪死を感謝する食事なのだ。
−ルカ22:17-19「イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた『これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、私は今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい』。それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた『これは、あなたがたのために与えられる私の体である。私の記念としてこのように行いなさい』」。
・この最後の晩餐の席上でイエスはユダに悔い改めを迫られた。しかし、ユダは悔い改めなかった。
−ルカ22:21-23「『しかし、見よ、私を裏切る者が、私と一緒に手を食卓に置いている。人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ』。そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた」。

2.イエスの最後の教え

・誰が裏切るのかの議論が、やがて誰が一番偉いのかという議論に変わって行く。何故最後の晩餐の時に、自己主張が出てくるのか。弟子たちはまだわかっていない。イエスはそのような弟子たちに忍耐強く、教えられる。
−ルカ22:24-26「使徒たちの間に、自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、という議論も起こった。そこで、イエスは言われた『異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。しかし、あなたがたはそれではいけない。あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい』」。
・イエスは何も理解しない弟子たちを、新しいイスラエルと呼び、彼ら12人に今後のことを委託される。
−ルカ22:27-30「食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。しかし、私はあなたがたの中で、給仕する者である。・・・あなたがたは、私の国で私の食事の席に着いて飲み食いを共にし、王座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。」
・イエスはペテロの離反も予告される。ペテロは反論するがその通りになった。イエスを裏切る、その罪責がペテロを弟子たちに仕える者へと成長させていく。試みが来ないことではなく、試みの後、立ち上がることこそ大事だ。
−ルカ22:31-34「サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、私はあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい・・・ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度私を知らないと言うだろう。」
・イエスは受難後の弟子たちへの迫害も予告され、準備するように命じられる。最初に派遣した時は何も持たずにいけた(9:1-6)。しかし、今は違う、必要な準備をせよとイエスは言われた。「全てを捨てて献身せよ、必要なものは与えられる」と言われるが、9章は22章と合わせて読むべきだ。イエスは精神論のみを言われていない。
−ルカ22:36-37「今は、財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい。言っておくが、『その人は犯罪人の一人に数えられた』と書かれていることは、私の身に必ず実現する。私にかかわることは実現するからである」」。

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