江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2008年9月24日祈祷会(ルカ23章後半、イエスの死と埋葬)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.イエスの死

・イエスは刑場まで十字架を背負って歩くが、体力が消耗しており、途中からキレネ人シモンが代わりに背負った。
−ルカ23:26「人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた」。
・このシモンはマルコによれば「ルフォスの父」であり、パウロはルフォスの母を「私の母」と呼んでいる。シモンはイエスの十字架を不本意に担ぐことによって、彼とその家族が救われるに至ったことを推測させる。
−マルコ15:21「そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた」。
−ローマ16:13「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女は私にとっても母なのです」。
・イエスは「されこうべ」と呼ばれる所で十字架につかれた。「されこうべ」、アラム語ではゴルゴダ、ラテン語ではカルバリである。二人の犯罪者が共に十字架についた。
−ルカ23:32-33「二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。『されこうべ』と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた」。
・イエスは十字架上で自分を殺そうとする者たちのために祈られた。イエスの生き方を象徴する祈りである。
−ルカ23:34「イエスは言われた『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです』」。
・人々はイエスの祈りに無頓着であった。兵士はくじを引いてイエスの衣服を奪い、議員たちはイエスを嘲笑した。
−ルカ23:34-35「人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った『他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい』」。
・「メシアなら自分を救え」、荒野で現れた悪魔の声である。イエスは自分のためには神の力を求められなかった。―ルカ4:9「悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った『神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ』」。
・十字架につけられた犯罪人の一人はイエスに救いを求め、イエスは彼を祝福された。
−ルカ23:42-43「『イエスよ、あなたの御国においでになるときには、私を思い出してください』と言った。するとイエスは『はっきり言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる』と言われた」。

2.イエスの埋葬

・イエスは昼の3時に息を引き取られた。イエスの最後の言葉は「父よ、私の霊を御手に委ねます」だった。
−ルカ23:44-46「全地は暗くなり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。イエスは大声で叫ばれた『父よ、わたしの霊を御手にゆだねます』。こう言って息を引き取られた」。
・それを見てローマの百卒長は「この人は正しい人であった」と言った。マルコでは「この人は神の子であった」という信仰告白を記す。
−マルコ15:39「百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て『本当に、この人は神の子だった』と言った」。
・見物に来ていた群集もこの光景に打たれた。婦人たちは遠くから従っていた。
−ルカ23:48-49「見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた」。
・イエスの遺体を埋葬したのはアリマタヤのヨセフだった。彼は最高法院の議員であったが、この時初めて自分の信仰を公にした(ヨハネによればニコデモもそこにいた)。
−ルカ23:50-53「ヨセフという議員がいたが、善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった。ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいたのである。この人がピラトのところに行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出て、遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩に掘った墓の中に納めた」。
・イエスの十字架死は多くの回心者を生んでいる。十字架を代わりに負ったシモン、共に十字架につけられた犯罪者、十字架を見守っていた百卒長、アリマタヤのヨセフ等。復活前に信じた人々がいたことは銘記すべきであろう。
−イザヤ53:4-5「彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであったのに、私たちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは私たちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは私たちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、私たちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、私たちはいやされた」。

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