江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2008年9月10日祈祷会(ルカ22章後半、イエスの逮捕と裁判)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.神の引渡しとしてのイエスの逮捕

・イエスはオリーブ山にあるゲッセマネの園に向かわれた。エルサレム滞在中はいつも行かれる場所でユダも知っていた。イエスは逮捕を避けようとはせず、むしろ自ら向かわれた(神の引渡しとしての逮捕だった)。
−ルカ22:39-40「イエスがそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに『誘惑に陥らないように祈りなさい』と言われた」。
・イエスは祈り始められた。汗が血の滴るように地に落ちた。若い体は生きることを求め、心は死を恐れた。またこれが本当に神の御心なのか、死ぬことに意味があるのかという疑問もあられたであろう。
−ルカ22:42-44「『父よ、御心なら、この杯を私から取りのけてください。しかし、私の願いではなく、御心のままに行ってください』。〔すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた〕」。
・43-44節はヴァチカン写本にはなく、本文批評上の問題があるため括弧がつけられている。しかし、イエスが苦悶されたのは事実であろう。神の子さえ「理解できないことを受入れる=受容」が難しかったことは私たちを励ます。しかし最後に勝たれた。「御心がなされますように」とは、キリスト者の祈りの中核だ。
−ヘブル2:18「御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです」。
・そこにユダが神殿兵士たちを連れて来た。ペテロはイエスを守るため剣をとって相手に反撃した。
−ルカ22:49-50「イエスの周りにいた人々は事の成り行きを見て取り、『主よ、剣で切りつけましょうか』と言った。そのうちのある者が大祭司の手下に打ちかかって、その右の耳を切り落とした」。
・ペテロの行為は勇敢であるが信仰から出ていない。物事を主に委ねず自分で打開しようとしている。彼は自分の力の限界を知る必要がある。だからイエスはペテロに一つの試練を与えられる。
−ルカ22:34「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度私を知らないと言うだろう」。

2.メシア故に裁かれたイエス

・人々はイエスを捕らえて大祭司の屋敷に連れて行った。ペテロはイエスを心配してついて行き、そこでイエスを裏切るが、その裏切りは愛と勇気ゆえだ。裏切らない者は従わなかったからだ。誰もペテロを非難できない。
−ルカ22:54-55「人々はイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。ペトロは遠く離れて従った。人々が屋敷の中庭の中央に火をたいて、一緒に座っていたので、ペトロも中に混じって腰を下ろした」。
・人々はペテロに「お前も仲間だ」と告発する。ペテロは三度イエスを知らないと否認する。誰でも持つ弱さだ。
-ルカ22:56-60「女中が、ペトロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、『この人も一緒にいました』と言った。しかし、ペトロは『私はあの人を知らない』と言った。・・・他の人がペトロを見て『お前もあの連中の仲間だ』と言うと、ペトロは『いや、そうではない』と言った。・・・また別の人が『確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから』と言い張った。だが、ペトロは『あなたの言うことは分からない』と言った」。
・鶏が鳴いた。イエスが通りすがりにペテロを見つめられた。その目は非難のまなざしではない。もう一度立ち上がるように励ますまなざしだ。ペテロは泣いた。この時流した涙こそ、ペテロを洗うバプテスマの水だ。
−ルカ22:31-32「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、私はあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」。
・最高法院での裁判が始まった。焦点は「イエスが自分をメシアと主張したのか=神の御名を汚したのか」である。ユダヤ当局はイエスを騒乱罪でローマに告発するが、彼らが問題にしたのは涜神罪であった。
−ルカ22:66-67「夜が明けると、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちが集まった。そして、イエスを最高法院に連れ出して、『お前がメシアなら、そうだと言うがよい』と言った」。
・イエスは自分がメシアであることを否定されない。しかし誤解を避けるために「人の子」という言葉を用いられる。当時の人々が期待したメシアはイスラエルをローマの支配から解放する政治的なメシアだったからだ。
−ルカ22:67-70「イエスは言われた『私が言っても、あなたたちは決して信じないだろう。私が尋ねても、決して答えないだろう。しかし、今から後、人の子は全能の神の右に座る』。そこで皆の者が『では、お前は神の子か』と言うと、イエスは言われた『私がそうだとは、あなたたちが言っている』」。

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