江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2008年7月23日祈祷会(ルカ17章、神の国はいつ来るのか)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.いやしから救いへ

・イエスは「限りなく他者を赦せ」と言われる。それに対して弟子たちは「人を赦せるように信仰を増して下さい」と願う。イエスは「信仰は与えられるもので、獲得するものではない」と言われた。弟子が使徒に、イエスが主に変えられている。ルカの教会の人々への警告が挿入されている。
-ルカ17:5-6「使徒たちが『私どもの信仰を増してください』と言ったとき、主は言われた『もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、抜け出して海に根を下ろせと言っても、言うことを聞くであろう』」。
・ルカの教会の中に、「功績主義」がはびこっている。「善行を行えば救いは贖われる」という思いを主は否定される。僕が主人の命じることを行うのは当然ではないか、恵みは要求するものではなく、与えられるものだ。
-ルカ17:7-10「僕が畑から帰って来たとき『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。むしろ『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、私が食事を済ますまで給仕してくれ・・・』と言うのではなかろうか。命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ」。
・らい病人のいやしが11-19節に語られる。エルサレムへの途上で、らい病者たちがイエスのいやしを請い求めた。
-ルカ17:11-13「ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて「イエスさま、先生、どうか、私たちを憐れんでください」と言った」。
・イエスは彼らを憐れみ、その病をいやされた。しかし、感謝して戻ってきたのは、サマリア人一人であった。
-ルカ17:14-16「イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て『祭司たちのところに行って、体を見せなさい』と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった」。
・何故サマリア人だけなのか。お互いが病の苦しみの中にある時はユダヤ人もサマリア人もなかった。しかし日常生活に復帰した時、差別が再燃する。その差別の中でサマリア人はいやされた恵みの意味を知った。ユダヤ人は「自分たちは救われて当然」と思う故に恵みに感謝できない。こうして救いはユダヤ人から異邦人に移る。
-ルカ17:17-19「イエスは言われた『清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか』。それから、イエスはその人に言われた『立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った』」。

2.神の国はあなたがたの只中にある

・パリサイ人が「神の国はいつ来るのか」と尋ねた。イエスは「神の国は今あなたがたの中にあるではないか」と言われた。「私が来た、それこそが神の国(神の支配)の始まりではないか」と。
-ルカ17:20-21「イエスは答えて言われた。『神の国は、見える形では来ない。ここにある、あそこにあると言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ』」。
・イエスが来られた、そのことの中に神の国のしるしを見る者は幸いだ。その人はもう救いの中にある。
-ルカ4:18-21「『主の霊が私の上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主が私に油を注がれたからである。主が私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである』。イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。・・・イエスは『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した』と話し始められた」。
・神の国はイエスが十字架で死なれたときに完結した。神はイエスの復活を通してそれを示された。
-ヨハネ3:16-18「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている」。
・神の国が来たのであれば、いつまでも日常生活にのみ囚われる生き方をやめよとイエスは言われる。終末の時には、終末にふさわしい生き方があるのではないかと。
―ルカ17:26-29「ノアの時代にあったようなことが、人の子が現れる時にも起こるだろう。ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、洪水が襲って来て、一人残らず滅ぼしてしまった。ロトの時代にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降ってきて一人残らず滅ぼしてしまった」。
・ユダヤ教の神学者マルテイン・ブーバーはキリスト教を次のように批判するが、どのように反論すべきだろうか。-「イエスにおいてメシアは来ているとの主張は真実でありえない。さもなくば、世界はこのように全く贖われていないように見えるはずはない。それゆえ、なお来るべきメシアというユダヤ教の期待はより信頼に値する」。

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