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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2008年7月16日祈祷会(ルカ16章、委託された富をどのように用いるか)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.不正な管理人〜この世の賢い子の例え

・イエスは弟子たちに不正な管理人の例えを語られる。主人から解雇を通告された管理人の話である。
−ルカ16:1-2「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄使いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない』」。
・彼には肉体労働を行う体力もないし、物乞いするのはプライドが許さない。追い込まれた彼は自分に委託されていた主人の金を用いて人々に恩を売り、解雇後の生活のめどを立てようとした。
-ルカ16:4-7「『そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ』。そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に『私の主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい』。また別の人には『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい』」。
・油100パトスは油100樽、小麦100コロスは小麦100石だ。取引には、利子が含まれていたので、管理人は利子を免除することによって主人の取引先に恩を売った。彼が免除したのは律法で禁止されていた利子相当分であり、主人は彼をとがめることは出来ない。追い詰められた管理人は必死で委託されたものの活用を考え、主人はこれをほめた。
-ルカ16:10-12「小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか」。
・パリサイ人は例えを聞いてあざ笑った。彼らは自分たちの富は正しさに対する正当な報酬だと考えていた。近代のプロテスタンティズムも同じように考えた。ピルグリム・ファーザーの建国したアメリカが金儲けの国になった。
-ルカ16:14-15「金に執着するファリサイ派の人々が、この一部始終を聞いて、イエスをあざ笑った。そこで、イエスは言われた『あなたたちは人に自分の正しさを見せびらかすが、神はあなたたちの心をご存じである。人に尊ばれるものは、神には忌み嫌われるものだ』」。

2.自分のためだけに富を用いた愚かな金持ちの例え

・イエスは自分のために富を用いた愚かな金持ちの例えを話される。彼は多くの富を与えられたのに、門前の貧乏人のために少しも用いようとしなかった。彼は富が自分のものではなく、委託されていることに気づかなかった。
-ルカ16:19-21「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた」。
・貧乏人は死んで天国に行った。金持ちも死んだがその行き先は地獄だった。金持ちは苦しさにあえぎ、ラザロを遣わしての救済を願う。彼は今でもラザロを召使のように思っている。天のアブラハムはきっぱりと拒否する。
-ルカ16:22-25「金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。そこで、大声で言った『父アブラハムよ、私を憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、私の舌を冷やさせてください。私はこの炎の中でもだえ苦しんでいます』。しかし、アブラハムは言った『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ』」。
・金持ちはここで初めて自分の愚かさに気づき、兄弟に警告するために、ラザロを遣わして欲しいと願うが、再び拒否される。聖書に聞かないものは、復活の主が現れてもそれを信じないだろう。
−ルカ16:29-31「『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい・・・もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう』」。
・この例えを自分に語られたと聞いて人生を変えられたのは、A.シュバイツアーだった。彼は30歳の時に医学を学ぶことを決意し、38歳で医者として赤道アフリカに赴いた。自伝「水と原生林のはざまで」に彼は書く。
-「金持ちと貧乏なラザロとのたとえ話は我々に向かって話されているように思われる。我々はその金持ちだ。我々は進歩した医学のおかげで、病苦を治す知識と手段を多く手にしている。しかも、この富から受ける莫大な利益を当然なことと考えている。かの植民地には貧乏なラザロである有色の民が我々同様、否それ以上の病苦にさいなまれ、しかもこれと戦う術を知らずにいる。その金持ちは思慮がなく、門前の貧乏なラザロの心を聞こうと身を置き換えなかったため、これに罪を犯した。我々はこれと同じだ」。

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