1.赦されない罪とは何か
・律法学者たちのイエスへの敵意は増大し、いまや彼らは「イエスは悪霊の力で癒しをしている」と非難し始める。
−マルコ3:22「エルサレムから下って来た律法学者たちも、『あの男はベルゼブルに取り付かれている』と言い、また、『悪霊の頭の力で悪霊を追い出している』と言っていた」。
・ベルゼブル=バアル・ゼブブ、ペリシテで信仰されていた「蝿の神」である。古代人は死人にたかる蝿を神の使いとして恐れた。触れることが禁止された病人に触れ、罪人である障害者(当時は病気や障害は罪の結果と考えられていた)をいやすイエスを揶揄して、ベルゼブルに取り付かれていると非難した。イエスはこれに反論される。
−マルコ3:23「イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた『どうして、サタンがサタンを追い出せよう』」。
・「サタンがサタンを追い出す」、内輪争いをすれば国は倒れてしまう。「悪賢いサタンがそんなことをするはずはないではないか。私が悪霊を追い出しているのは神の力なのだ」とイエスは反論される。
−マルコ3:24-27「国が内輪で争えば、その国は成り立たない。家が内輪で争えば、その家は成り立たない。同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ」。
・そしてイエスは言われる「全ての罪は赦されるが、聖霊を冒涜する罪は赦されない」と。
−マルコ3:28-30「『はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う』。イエスがこう言われたのは『彼は汚れた霊に取り付かれている』と人々が言っていたからである」。
・聖霊の働きを汚れた霊の働きとすることは、神の恵みを否定することだ。それは神の救いを拒絶することであり、赦されない。知らないで犯した罪は赦されても、知った上で犯した罪は赦されないのだ。後になるとこの言葉が「背教者は赦されない」に変わっていく。これは聖書の正しい読み方なのか、それとも人間の思いなのだろうか。
-?ヨハネ5:16「死に至らない罪を犯している兄弟を見たら、その人のために神に願いなさい。そうすれば、神はその人に命をお与えになります。これは、死に至らない罪を犯している人々の場合です。死に至る罪があります。これについては、神に願うようにとは言いません」。
2.完成していない神の国で生きる
・イエスの家族が、イエスは気が変になっているとの評判を聞き、取り押さえて家に連れ戻すために来た。
−マルコ3:20-21「イエスが家に帰られると群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た『あの男は気が変になっている』と言われていたからである」。
・家族からすれば、一家の大黒柱である長男が家業を捨てて放浪説教者になり、ユダヤ教権威者と対立している。気が変になったと思わざるを得ないだろう。家族はしばしば伝道の妨害者となる。地の国と神の国は両立しない。
−マタイ10:34-38「私が来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。私は敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる。私よりも父や母を愛する者は、私にふさわしくない。私よりも息子や娘を愛する者も、私にふさわしくない。また、自分の十字架を担って私に従わない者は、私にふさわしくない」。
・イエスが自分を探しに来た家族について「私の母、私の兄弟とは誰か」と言われたのは、家族に理解されない悲しさを述べられたものであろう。
−マルコ3:31-33「イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。大勢の人が、イエスの周りに座っていた『御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます』と知らされると、イエスは、『私の母、私の兄弟とはだれか』と答え(られた)」
・イエスが来られて神の国が始まった。神の御心を行う者は全て兄弟、姉妹となる。教会は神の国の交わりだ。
−マルコ3:34-35「周りに座っている人々を見回して言われた。『見なさい。ここに私の母、私の兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、私の兄弟、姉妹、また母なのだ』」。
・しかし、地上の教会はまだ地の国でもある。従ってそこには争いがあり、離反がある。マタイの教会でさえ、群れにふさわしくないと思われた者を排除せずにはいられなかった。私たちはそれに失望してはいけない。
-マタイ18:15-17「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい」。