江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2007年5月2日祈祷会(ヨハネ黙示録4章、天上の幻)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.何故迫害が起きるのか

・ヨハネ黙示録はドミティアヌス皇帝時代のキリスト教徒迫害に苦しむ諸教会への手紙である。ある教会は多くの殉教者を出した。スミルナ教会に対しては「死に至るまで忠実であれ」と言われている。
―黙示録2:10「受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。見よ、悪魔が試みるために、あなたがたの何人かを牢に投げ込もうとしている。・・・死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう」。
・他方、ラオディキア教会に対しては「冷たくも熱くもないからあなたを吐き出す」と言われている。
―黙示録3:15-16「私はあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。・・・冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、私はあなたを口から吐き出そうとしている」。
・何故、ある教会は迫害に苦しみ、別の教会は迫害を受けないのか。それは信仰的な妥協をすれば、皇帝像を神として拝めば、そこには迫害はない。迫害や殉教は自動的に起こるものではなく、選び取っていくものである。
―ヨハネ15:18-19「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前に私を憎んでいたことを覚えなさい。あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。私があなた方を世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである」。
・信仰に徹すれば世と対立する。逆に世と対立しないのは、信仰に徹しないからである。その時、救いはない。
―マタイ 5:11-12「私のためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられる時、あなたがたは幸いである。喜びなさい・・・あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」
・ヨハネは世と妥協しなかった。だから、パトモス島に流刑された。その彼に、天が開け、幻が示される。
―黙示録4:1「その後、私が見ていると、見よ、開かれた門が天にあった。そして、ラッパが響くように私に語りかけるのが聞こえた、あの最初の声が言った『ここへ上って来い。この後必ず起こることをあなたに示そう』」。

2.天が開いた

・ヨハネが天で見たものは、玉座に座っておられる神であった。玉座は光り輝いていた。
―黙示録4:2-3「私は、たちまち“霊”に満たされた。すると、見よ、天に玉座が設けられていて、その玉座の上に座っている方がおられた。・・・玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いていた」。
・地上では、迫害の嵐が吹き荒れている。地上の現実を見る時、そこに何の救いもない。国が滅ぼされ、流刑地のバビロンでエゼキエルが見たのも天の幻であった。その幻はヨハネの幻と酷似している。
―エゼキエル1:26-28「大空の上に、サファイアのように見える王座の形をしたものがあり、王座のようなものの上には高く人間のように見える姿をしたものがあった。腰のように見える所から上は、琥珀金が輝いているように私には見えた。それは周りに燃えひろがる火のように見えた。腰のように見える所から下は、火のように見え、周囲に光を放っていた。周囲に光を放つ様は・・・虹のように見えた。これが主の栄光の姿の有様であった」。
・主の周りには24人の長老が座り、四つの生き物が絶え間なく讃美していた。
―黙示録4:4-8「玉座の周りに二十四の座があって、それらの座の上には白い衣を着て、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老が座っていた。・・・この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいたが、前にも後ろにも一面に目があった。第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。・・・彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた『聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主、かつておられ、今おられ、やがて来られる方』」。
・伝統的な解釈では、四つの生き物は、四人の福音書記者、24人の長老は諸教会を示す。地上世界ではローマの絶対支配の中で信仰者は苦しんでいるが、天上世界では神が支配し、神の証し人が讃美している。
―黙示録4:10-11「二十四人の長老は、玉座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝し、自分たちの冠を玉座の前に投げ出して言った『主よ、私たちの神よ、あなたこそ、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、御心によって万物は存在し、また創造されたからです』」。
・「あなたこそ栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方」とは、当時のローマ皇帝に捧げられた賞賛の言葉である。地上の現実がどのようであれ、支配者は皇帝ではなく主であることが示された。これが私たちの信仰だ。―カール・バルトの最後の言葉「意気消沈だけはしないでおこう。何故なら、支配していたもう方がおられるのだから。モスクワやワシントン、あるいは北京においてだけではない。支配していたもう方がおられる。神が支配の座についておられる。だから、私は恐れない。最も暗い瞬間にも信頼を持ち続けようではないか。希望を捨てないようにしよう。すべての人に対する、全世界に対する希望を。神は私たちを見捨てたまいはしない」。

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