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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2002年7月31日  マタイ7:7-12  求めよ

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1.求めよ(7−11節)

・ルカの文脈では祈りとして語られている(祈り求めよ)。
―ルカ11:1-9「イエスはある所で祈っておられたが、それが終ったとき、弟子のひとりが言った、「主よ、ヨハネがその弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈ることを教えてください」。・・・そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。」
・求めよ、祈りは聞かれる。地上の父親でさえ、子の必要なものは与えるではないか。
―マタイ7:9-10「あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。」
・ましてや、天の父がお与えにならないことがあろうか。
―マタイ7:11「このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。」

2.自分にしてほしいことを他人にせよ(12節)

・元々はギリシャの格言から来ると言われている。
―「あなた方が他人からされると怒るようなことを他人に対して行うな」
・ユダヤの律法学者ラビ・ヒレルはこれを神の律法として語った。
―「あなたにとって好ましくないことをその隣人に対してするな。これが全律法であり、他の全てはその解説である」
・イエスはこの格言を引用して、肯定的に語られた。
―マタイ7:12「だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。」
・そして、この黄金律を行う力である聖霊が、祈り求めるとき、上より与えられると言われた。
―ルカ11:13「このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。
・神を愛するとは人を愛することだ。救いを求めるなら人に仕えよ。
―マタイ22:37-40「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」

3.求めよ、祈りは必ず聞かれる。

・天の父はあなた方に必要なものは全てご存知で、必要なものは与えられる。
―マタイ6:31-32「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。」
・しかし、それが私たちの願う形と願う時に与えられるかどうかは別だ。父はあなたがたの必要を最善の形と時でお与えになる。それは私たちの願いと異なるかも知れない。そのため、祈りが聞かれないと人は誤解する。
―?ペテロ3:8「愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。」
・祈りが全て、人の願う形と時に聞かれるとしたら、その人が求めているのは偶像の神である。聖書の神は、偶像の神ではなく、人間の創造主であり、人は被造物に過ぎない。私たちは全ての結果を恵みとして受け取ろう。
―?コリント13:12-13「わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。」

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