江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2023年3月9日(詩編141編「あなたを呼ぶ声に耳を傾けてください」)

投稿日:

 

 

1.速やかに私の祈りを聴いてください

 

・詩篇141編は「速やかに祈りを聴いてください」という、切迫した呼びかけから始まる。古代エルサレムの聖所では香を礼拝に用いていた。香から立ち昇る芳香は、神の元まで届き、その香りを神が賞で、祈りが聴かれると信じられていた。詩人は捧げものや香りの代わりに私の祈りを捧げますと歌う。

-詩篇141:1-2「賛歌。ダビデの詩。主よ、私はあなたを呼びます。速やかに私に向かい、あなたを呼ぶ声に耳を傾けてください。私の祈りを御前に立ち昇る香りとし、高く上げた手を、夕べの供え物としてお受けください。」

・神殿で捧げものを捧げることが宗教儀礼であった。しかし神は犠牲の捧げものなど必要とされない。本当の捧げものは、「砕かれた心」である。

詩篇51:18-19「もし生贄があなたに喜ばれ、焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら、私はそれをささげます。しかし、神の求める生贄は打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません」。

・詩人は敵に対する報復を願うが、自分が言葉において罪を犯さず、心を悪事に向けず、邪悪な行為にふけることのないように祈る。

-141:3-5「主よ、私の口に見張りを置き、唇の戸を守ってください。私の心が悪に傾くのを許さないでください。悪を行う者らが共にあなたに逆らって、悪事を重ねることがありませんように。彼らの与える好餌に誘われませんように。」

・「唇の犯す過ちからお守り下さい」と詩人は祈る。唇は心に浮かんだ思いを言葉にする。良い思いも悪しき思いも人の唇から出る。そして、唇を出た言葉はもう取り戻せない。そうして唇の争いに巻き込まれ、悪い言葉に悪い言葉で応酬し続ければ、心は悪に傾く。言葉は悪の好餌なのだ。

-ヤコブ3:5-10「舌は火です。舌は『不義の世界』です。私たちの器官の一つで、全身を汚し、移り変わる人生を焼き尽くし、自らも地獄の火によって燃やされます・・・舌を制御できる人は一人もいません。舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。私たちは舌で、父である主を讃美し、また舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。同じ口から讃美と呪いが出て来るのです」

・自分の中に悪への誘惑があり、悪に傾斜する性向があることを詩人は知り、どうか「悪に染まることがありませんように」と詩人は祈る。

-141:5「主に従う人が私を打ち、慈しみをもって戒めてくれますように、私は油で頭を整えることもしません。彼らの悪のゆえに祈りをささげている間は。」

 

2.主は私の避けどころです

 

・私を戒め罰するのが、主に従う人であったら、私は責めも罰も厭わない。厭うどころか、どうか慈しみをもって私を戒めてくださいと詩人は願う。悪に誘われないように祈っている間は、頭に油を塗り、髪を整え、外見を良くして、行い澄ますようなことはいたしませんと詩人は語る。

-141:6-7「彼らの支配者がことごとく、岩の傍らに投げ落されますように。彼らは私の言葉を聞いて喜んだのです。『あたかも地を裂き、地を割ったかのように、私たちの骨は陰府の口に散らされている。」

・詩人は神に裁きを委ねる。悪の支配者が神によって、岩に投げつけられ、砕かれることを詩人は祈る。悪しき者たちは、詩人の滅びを喜ぶ。詩人の骨がばらばらにされ、裂かれた地、割れた岩、地獄の入り口に散らされるのを喜ぶ。詩人の滅びを喜ぶ悪が神の裁きを受けるよう祈る。

-141:8-10「主よ、私の神よ、私の目をあなたに向け、あなたを避けどころとします。私の魂をうつろにしないでください。どうか、私をお守りください。私に対して仕掛けられた罠に。悪を行う者が掘った落とし穴に陥りませんように。主に逆らう者が皆、主の網にかかり、私は免れることができますように。」

・詩人は自らの信仰を神に訴え、神の守護を願う。そして、「神は私たちの避けどころ」と歌う。

-詩編141:8「主よ、私の神よ、私の目をあなたに向け、あなたを避けどころとします。私の魂をうつろにしないでください。」

・詩人は自分を罠にかけようとする者たちが自らその罠にかかり、滅びるように願って、詩を閉じる。

-詩篇141:9-10「どうか、私をお守りください。私に対して仕掛けられた罠に、悪を行う者が掘った落とし穴に陥りませんように。主に逆らう者が皆、主の網にかかり、私は免れることができますように」。

 

3.詩篇141編の黙想

 

・詩人は自らが悪を犯しかねない存在であり、悪を遠ざける力が自分の中にないことを知るゆえに、悪に傾斜することが無いように神に祈る。人間の本質は悪であると断じたパウロの罪理解に近いものがここにある。

-ローマ3:9-18「ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。次のように書いてある通りです。『正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない。彼らののどは開いた墓のようであり、彼らは舌で人を欺き、その唇には蝮の毒がある。口は、呪いと苦味で満ち、足は血を流すのに速く、その道には破壊と悲惨がある。彼らは平和の道を知らない。彼らの目には神への畏れがない。』」

・これが私たちの究極の姿である。平和時には私たちは社会の道徳や法律を守って生きている。しかし、戦争のような非常時になると私たちの生活は一変する。戦争において私たちは相手を殺し、弱い者たちを暴行し、相手の食べ物を奪う。そうしなければ生き残れないからだ。この世は罪と不正に満ちている。パウロは厳しい言葉をローマの信徒に送る。読んだ人は不愉快になったであろう。しかし、その厳しさゆえに、ローマ書はたびたび歴史を塗り替える働きをしてきた。何故ならば、救いとは「自分の罪を知る」ことから始まるからだ。

・その私たちが救われる道はキリストしかない。だからパウロはキリストに倣えと語る。

-ローマ12:9-17「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい・・・あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい」。

・しかし誰もこのような戒めは守れない。だからパウロは言う「少なくとも自分で復讐せず、神に委ねよ。この言葉で、私たちは詩篇141編の祈りに近づく。

-ローマ12:18-21「できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐は私のすること、私が報復する』と主は言われる」と書いてあります。『あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。』悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」。

-

Copyright© 日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会 , 2024 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.