江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2023年3月16日祈祷会(詩編142編「敵の攻撃の中で敵を呪わない詩」)

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1.洞窟で祈るダビデを詩編編集者は思い起こした

 

・本詩の前書きには「ダビデが洞窟にいた時」とある。ダビデがサウルの迫害を避けて、エン・ゲディの洞窟に逃れた時のダビデの気持ちを歌ったと後代の詩編編集者は理解したのであろう(文体その他より本詩は第二神殿時代(ダビデより500年後)とされる)。

-詩編142:1「マスキ-ル。ダビデの詩。ダビデが洞穴にいた時。祈り。」

・ダビデはペリシテ人ゴリアトを倒し、その後も、戦では相次ぐ勝利をおさめ、国民的人気が高まる。その中でサウル王はダビデの能力に嫉妬し、恐れ、彼を殺そうとした。

-サムエル上18:6-8「皆が戻り、あのペリシテ人を討ったダビデが帰ってくると、イスラエルのあらゆる町から女たちが出て来て、太鼓を打ち、喜びの声をあげ、三弦琴を奏で、歌い踊りながらサウル王を迎えた。女たちは樂を奏し、歌い交わした『サウルは千を討ち、ダビデは万を討った』サウルはこれを聞いて激怒し、悔しがって言った『ダビデには万、私には千。あとは、王位を与えるだけか。』この日以来、サウルはダビデを妬みの目で見るようになった」

・ある時、サウル王は竪琴を弾いていたダビデを殺そうと突然槍で突きかかるが、交わされてしまう。サウルのダビデへの恐れと憎しみは増してゆくばかりだった。

-サムエル上19:9-10「ときに、主からの悪霊がサウルに降った。サウルは館で槍を手にして座り、ダビデはその傍らで竪琴を奏でていた。そのとき、サウルがダビデを壁に突き刺そうとねらったが、ダビデはサウルを避け、槍は壁に突き刺さった。ダビデは逃げ、その夜は難を免れた」。

・ダビデはサウルを逃れて荒野に逃亡するが、サウルは軍隊を率いてダビデの後を追う。ある時サウルはダビデが隠れていた洞窟に入り、そこで用を足す。ダビデの部下たちはサウル王を殺すように進言するが、ダビデは「主が油注がれた方を私は殺さない」と拒否する。

-サムエル記上24:4-7「途中、羊の囲い場の辺りにさしかかると、そこに洞窟があったので、サウルは用を足すために入ったが、その奥にはダビデとその兵たちが座っていた。ダビデの兵は言った。「主があなたに、『私はあなたの敵をあなたの手に渡す。思い通りにするがよい』と約束されたのは、この時のことです。」ダビデは立って行き、サウルの上着の端をひそかに切り取った。しかしダビデは、サウルの上着の端を切ったことを後悔し、兵に言った。『私の主君であり、主が油を注がれた方に、私が手をかけ、このようなことをするのを、主は決して許されない。彼は主が油を注がれた方なのだ』」。

・詩篇142編では迫害下にありながら、敵を呪う言葉も、敵を滅ぼしてほしいとの祈りもないことより、編集者は迫害者サウルを殺さなかったダビデを想起して、「ダビデが洞穴にいた時」という前書きがつけたのであろう。しかしこの詩はダビデの祈りの歌ではない。詩篇57篇にも「ダビデがサウルを逃れて洞窟にいた時」との前書きがあるが、同様にダビデの歌ではない。どこにも救いを見出せず、神以外に頼るものがなくなった状況は、洞窟にいたダビデの心境と同じであろうと推測から前書きが書かれた。(注解者月本昭男によれば、言葉遣い等より、本詩は第二神殿時代の作)。

-詩編57:2「憐れんでください、神よ、私を憐れんでください。私の魂はあなたを避けどころとし、災いの過ぎ去るまで、あなたの翼の陰を避けどころとします」。

 

2.敵からの攻撃を嘆くが、神に報復を求めない詩人

 

・詩人は現在の苦境からの解放を主に願う。

-詩篇142:2-3「声をあげ、主に向かって叫び、声をあげ、主に向かって憐れみを求めよう。御前に私の悩みを注ぎ出し、御前に苦しみを訴えよう」。

・詩人は彼を襲う苦難と、その苦難が敵から来ることを嘆く。

-詩篇142:4-5「私の霊がなえ果てているとき、私がどのような道に行こうとするか、あなたはご存じです。その道を行けば、そこには罠が仕掛けられています。目を注いで御覧ください。右に立ってくれる友もなく、逃れ場は失われ、命を助けようとしてくれる人もありません」。

・敵によって四面楚歌の状況に追い込まれながら(罠が仕掛けられ、逃げ場は失われ)、詩人は敵を呪うことをしない。ただ現在の苦境からの解放を願う。

-詩篇142編6-8節a「主よ、あなたに向かって叫び、申します『あなたは私の避けどころ、命あるものの地で、私の分となってくださる方』と。私の叫びに耳を傾けてください。私は甚だしく卑しめられています。迫害する者から助け出してください。彼らは私よりも強いのです。私の魂を枷から引き出してください。あなたの御名に感謝することができますように」。

・新共同訳では「私の魂を枷から引き出してください」とある箇所を、聖書協会訳は「私の魂を、牢獄から連れ出し、私があなたの御名に感謝するようにしてください」と訳す。「枷」ではなく「牢獄」の方が数段わかりやすい。

-聖書協会訳142:8a「私の魂を牢獄から引き出してください。あなたの名に感謝するために」。

・「あなたは私の分の土地(嗣業)」と詩人は歌うところから、この歌い手は祭司またはレビ人と想定されると月本昭男は語る。祭司やレビ人は世襲の職であり、「主が彼の嗣業」とされた。

-申命記18:1-2「レビ人である祭司、レビ族のすべての者には、イスラエル人と同じ嗣業の割り当てがない。彼らは、燃やして主にささげる献げ物を自分の嗣業の分として食べることができる。同胞の中で彼には嗣業の土地がない。主の言われた通り、主が彼の嗣業である」。

・142:8b「主に従う人々が私を冠としますように。あなたが私に報いてくださいますように」(新共同訳)もわかりにくい表現である。新しい聖書協会共同訳は「あなたが私に報いて下さるので、正しき人々が私の周りに集まります」と数段とわかりやすい表現になっている。

 

3.詩篇142編の黙想(詩編における訳文の変化について)

 

・日本語訳聖書は1945年口語訳、1987年新共同訳、2018年聖書協会共同訳があるが、「教会で朗読することに重点を置くか、学問的正確性に重点を置くか」、「意訳や敷衍を大胆に用いるか、意味の分かりづらい箇所でも可能な限り直訳するか」により訳文が異なってくる。聖書協会の訳文は礼拝朗読を主目的にしているが、聖書協会共同訳では原文への忠実性が保たれている。他方、2004年岩波訳聖書が刊行され、学問的正確性に重点を置く編集方針が評価され、専門家の多くは当該訳を用いている。

・最新の聖書である聖書協会共同訳2010年10月に新翻訳事業がスタートし、7年間の翻訳作業、1年間の出版準備を経て、2018年12月『聖書協会共同訳 引照・注付き』が発行された。今回の翻訳事業では、目的や対象に応じて翻訳を行う「スコポス理論」が採用された。また、聖書翻訳支援ソフト「パラテキスト」を使用し、翻訳・編集作業を効率的に進めた。新しい聖書の特徴は、スコポス理論に基づき、礼拝での朗読にふさわしいものとしたこと、聖書協会訳として初めて旧新約全体に注が付いたこと、日本語の変化に対応したことなどである。

・新しい訳文では旧約の詩編は、全体的に簡潔で締まった文体になった。詩編7編10節は、新共同訳では「あなたに逆らう者を災いに遭わせて滅ぼし、あなたに従う者を固く立たせてください」だったが、「悪しき者の悪を断ち、正しき者を堅く立たせてください」である。これは、原語担当者と日本語担当者が最初期から組になって翻訳作業を進めた成果である。

・近年の聖書学の進展により訳文が変わった箇所として、旧約では、出エジプト記3章14節に現れる神の名「私はある」が「私はいる」となった。新約では、従来「キリストへの信仰」と訳されてきた「ピスティス・クリストゥ」がローマの信徒への手紙3章22節などで「キリストの真実」となった。

-ローマ3:22(新共同訳)「すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません」。

-ローマ3:22(聖書協会訳)「神の義は、イエス・キリストの真実によって、信じる者すべてに現されたのです。そこには何の差別もありません」。

・訳文は正確で、かつ分かりやすいことが求められる。直訳が一番伝わりやすのではないか。ヨブ記1:21を対比する。

-新共同訳ヨブ記1:21「私は裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」。

-新共同訳草稿(直訳)「何一つ持たずに生まれたのだ。何一つ持たずに死のう。主はお与えになり、またお取りになる。主の御名をほめたたえよう」。

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