江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2023年12月21日祈祷会(申命記1章、過去の振り返りと将来への展望)

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1.モーセの訣別説教

 

・申命記は、出エジプトの後、40年の荒野放浪を終えて、約束の地に入ろうとする民に、モーセが語る訣別説教の形をとる。モーセは罪を犯したゆえに約束の地に入れない。そのためにこの説教を民に行う。

-申命記1:1-3「モーセはイスラエルのすべての人にこれらの言葉を告げた。それは、ヨルダン川の東側にある荒れ野・・・においてであった・・・第四十年の第十一の月の一日に、モーセは主が命じられたとおり、すべてのことをイスラエルの人々に告げた」。

・出エジプトの出来事は紀元前1290~1250年頃とされる。他方申命記が書かれたのは700年後のバビロン捕囚中と言われている。申命記を書いたのはバビロンに捕囚となった祭司たちで、彼らはバビロン捕囚を神の裁きとみて、神が何故イスラエルを裁かれたのかを歴史の出発点(出エジプト)に遡って記している。歴史家らはイスラエルを今一度荒野に連れ戻し、モーセに語らせる。彼らは、「神が何故イスラエルを滅ぼされたのか」に焦点を当てて、先祖の歴史を描く。

・出エジプトの民は、エジプトからヨルダン川東岸まで来た。川を渉れば約束の地だ。「土地を与える」という約束の成就は、今モーセを通じて与えられる神の言葉に従うかどうかにかかっている。将来の展望は過去への回顧から始まる。その出発点は神の戒め(十戒)が与えられたシナイ山である。

-申命記1:6-8「我々の神、主はホレブ(シナイ山)で仰せになった。『あなたたちは既に久しくこの山にとどまっている。向きを変えて出発し、アモリ人の山地に行き、更にその近隣地方・・・に行きなさい。更にカナン人の土地、レバノン山、大河ユーフラテスにまで行きなさい』」。

・民はシナイ山を離れ、約束の地に向かって旅をした。モーセは「恐れるな」と民を励ました。

-申命記1:19-21「我々は神、主が命じられたとおり、ホレブをたち、あなたたちが見たあの広くて恐ろしい荒れ野を通り、アモリ人の山地に至る道を、カデシュ・バルネアまで来た。私(は)『あなたたちは、我々の神、主が与えられたアモリ人の山地まで来た。見よ、あなたの神、主はこの土地をあなたに与えられた。あなたの先祖の神、主が仰せになった通り、上って行って取りなさい。恐れてはならない。おののいてはならない』と言った」。

・しかし、民は約束の地に入ることをためらった。偵察隊が見たのは、身体の大きい先住民が強固な城壁の町を築き、攻め入っても勝てないとの思いであった。そこに行けば、自分たちは滅ぼされると恐れた。

-申命記1:26-28「しかし、あなたたちは上って行こうとはせず、あなたたちの神、主の命令に逆らって、天幕にとどまって不平を言い合った。『主は我々を憎んで、エジプトの国から導き出し、アモリ人の手に渡し、我々を滅ぼそうとしておられるのだ。どうして、そんな所に行かねばならないのだ。我々の仲間も、そこの住民は我々よりも強くて背が高く、町々は大きく、城壁は天に届くほどで、しかもアナク人の子孫さえも見たと言って、我々の心を挫いたではないか』」。

・モーセは民を励ました「神は、あなた方のために、戦ってこられたではないか。神を信じよ」と。

-申命記1:29-31「うろたえてはならない。彼らを恐れてはならない。あなたたちに先立って進まれる神、主御自身が、エジプトで、あなたたちの目の前でなさったと同じように、あなたたちのために戦われる。また荒れ野でも、あなたたちがこの所に来るまでたどった旅の間中も、あなたの神、主は父が子を背負うように、あなたを背負ってくださったのを見た。」

・しかし民は約束の地にはいることを拒み、そのかたくなな民に主の怒りが下る。民は荒れ野に追い戻され、40年間の荒野の旅が始まる。

-申命記1:34-40「主はあなたたちの不平の声を聞いて憤り、誓って言われた。『この悪い世代の人々のうちで、私が与えると先祖に誓った良い土地を見る者はない』・・・あなたたちが略奪されてしまうと言っている乳飲み子や、まだ善悪をわきまえていない子供たちは、そこに入ることができる。彼らに私はその土地を与える。彼らがそれを取るであろう。あなたたちは向きを変え、葦の海の道を通って荒れ野に向けて出発しなさい。」

 

2.約束の成就と信仰

 

・神を信頼しない者には神の約束は実現しない。彼らは荒野に追い返され、荒野の放浪の中で、第一世代は死に絶え、約束の地に入ったのは次の世代であった。モーセは荒野の40年を思い返せと民に語る。

-申命記8:1-3「今日、私が命じる戒めをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたたちは命を得、その数は増え、主が先祖に誓われた土地に入って、それを取ることができる。あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。」

・私たちもバプテスマを受け、主の晩餐に養われても、信仰から離れる時には約束は果たされない。パウロは出エジプトの出来事を思い起こせと教会の人々に語る。

-第一コリント10:1-6「私たちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授けられ、皆、同じ霊的な食物を食べ、 皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。しかし、彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまいました。これらの出来事は、私たちを戒める前例として起こったのです。彼らが悪をむさぼったように、私たちが悪をむさぼることのないために」。

 

3.荒野の40年の意味を考える

 

・1985年5月8日、ドイツ敗戦から40年目の記念式典で、当時のドイツ連邦大統領だったヴァイツゼッカーは「荒れ野の40年」と題する演説を行った。「荒れ野の40年」、民数記に描かれたイスラエルの民の40年間の旅路を振り返りながら、ヴァイツゼッカーはドイツ民族の戦後40年を振り返る。

-「5月8日は心に刻むための日であります・・・われわれは今日、戦いと暴力支配とのなかで斃れたすべての人びとを哀しみのうちに思い浮かべております。ことにドイツの強制収容所で命を奪われた600万のユダヤ人を思い浮かべます」。

-「問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」。

-「人間の一生、民族の運命にあって、40年という歳月は大きな役割を果たしております。当時責任ある立場にいた父たちの世代が完全に交替するまでに40年が必要だったのです・・・人間は何をしかねないのか、これをわれわれは自らの歴史から学びます。でありますから、われわれは今や別種の、よりよい人間になったなどと思い上がってはなりません」。

・古い世代が死に絶えて新しい世代が生まれても、私たちは同じ過ちを繰り返し続ける罪人だ。だから歴史を心に刻むのだとヴァイツゼッカーは語る「ナチスは特殊な犯罪人ではなく、私たちもまた同じ過ちを犯しかねない存在なのだ」。

・2015年に日本は戦後70年を迎え、当時の安倍首相は語った「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」。「いつまでも過去に囚われることをやめよう」と日本の首相は語った。この認識が戦争被害を忘れない中国や韓国との様々な摩擦を生んでいる。加害者は忘れても被害者は忘れないことを認識すべきだろう。

・悔い改めた民もまた過ちを犯す。神はそれをご存じでありながら、民に祝福を与えられる。この赦しの中に私たちはいる。だから私たちは、「聞き続けなければいけない」のである。聞かなかった民は滅ぼされ、今捕囚の地で強制的に聞かされていると申命記史家は語る。

-申命記31:20-21「私がその先祖に誓った乳と蜜の流れる土地に彼を導き入れるとき、彼は食べて満ち足り、肥え太り、他の神々に向かい、これに仕え、私を侮って私の契約を破るであろう。そして多くの災いと苦難に襲われるとき、この歌は、その子孫が忘れずに唱え続けることにより、民に対する証言となるであろう。私は、私が誓った土地へ彼らを導き入れる前から、既に彼らが今日、思い図っていることを知っていたのである。」

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