1.ユダ王国の滅亡
・ヨシヤ王は前609年のエジプトとの戦いで戦死し、後継として子のヨアハズが立てられる。ただユダはエジプトの支配下にあり、三ヶ月でエジプト王により廃位され、後継として親エジプトの兄ヨアキム(エルヤキム)が傀儡として立てられる。
-列王記下23:31-34「ヨアハズは二十三歳で王となり、三か月間エルサレムで王位にあった・・・ ファラオ・ネコは、エルサレムで王位にあった彼をハマトの地のリブラに幽閉し、その国には科料として銀百キカル、金一キカルを課した。ファラオ・ネコはヨシヤの子エルヤキムを父ヨシヤの代わりに王とし、名をヨヤキムと改めさせた。一方、ヨアハズはエジプトに連れて行かれ、そこで死んだ」。
・そのエジプトは前605年に北シリアのカルケミシでバビロニア軍に敗退、以降ユダはバビロニアの支配下に入る。ヨヤキムは当初バビロニアに従うがやがて反乱を起こし、バビロニア軍はエルサレムを包囲する。
-列王記下23:36-24:2「ヨヤキムは二十五歳で王となり、十一年間エルサレムで王位にあった・・・彼の治世に、バビロンの王ネブカドネツァルが攻め上って来た。ヨヤキムは三年間彼に服従したが、再び反逆した。主は彼に対してカルデア人の部隊、アラム人の部隊、モアブ人の部隊、アンモン人の部隊を遣わされた。主はその僕である預言者たちによってお告げになった主の言葉のとおり、ユダを滅ぼすために彼らを差し向けられた」。
・ヨアキムは包囲戦の中で捕らえられ、バビロンに連行されて死んだと歴代誌は記す。
-歴代誌下36:5-6「ヨヤキムは二十五歳で王となり、十一年間エルサレムで王位にあった・・・その彼をバビロンの王ネブカドネツァルが攻めて来て、青銅の足枷をはめ、バビロンに引いて行った」。
・列王記はバビロニアの侵攻を神の意思と見る(24:2「主は・・・ユダを滅ぼすために彼らを差し向けられた」)。列王記記者は国の滅亡を神からの懲らしめであったという視点で書いている。
-列王記下24:3-4「ユダが主の御前から退けられることは、まさに主の御命令によるが、それはマナセの罪のため、彼の行ったすべての事のためであり、またマナセが罪のない者の血を流し、エルサレムを罪のない者の血で満たしたためである。主はそれを赦そうとはされなかった」。
2.バビロンへの捕囚
・ヨアキムの死後、子のヨヤキンが即位した。ヨアキンの治世下、前598年エルサレムは陥落し、王や主だった家臣たちはバビロンに連行された。第一回のバビロン捕囚である。その捕囚民の中に祭司エゼキエルもいた。
-列王記下24:8-14「ヨヤキンは十八歳で王となり、三か月間エルサレムで王位にあった・・・そのころ、バビロンの王ネブカドネツァルの部将たちがエルサレムに攻め上って来て、この都を包囲した・・・ユダの王ヨヤキンは母、家臣、高官、宦官らと共にバビロン王の前に出て行き、バビロンの王はその治世第八年に彼を捕らえた・・・彼はエルサレムのすべての人々、すなわちすべての高官とすべての勇士一万人、それにすべての職人と鍛冶を捕囚として連れ去り、残されたのはただ国の民の中の貧しい者だけであった」。
・これはイザヤが預言し、またエレミヤも警告したことだ。しかしユダは悔い改めない故に捕囚が起こった。
-エレミヤ20:4「主はこう言われる。見よ、私はお前を『恐怖』に引き渡す。お前も、お前の親しい者も皆。彼らは敵の剣に倒れ、お前は自分の目でそれを見る。私はユダの人をことごとく、バビロンの王の手に渡す。彼は彼らを捕囚としてバビロンに連れ去り、また剣にかけて殺す」。
・ヨヤキン退位後、叔父のゼデキヤが王として立たされた。ゼデキヤは当初はバビロニアに従ったがやがて反逆し、ゼデキヤは殺され、エルサレムは破壊され、神殿も燃えた。ユダが滅びたのは前587年であった。
-列王記下24:18-25:7「ゼデキヤは二十一歳で王となり、十一年間エルサレムで王位にあった・・・エルサレムとユダは主の怒りによってこのような事態になり、ついにその御前から捨て去られることになった。ゼデキヤはバビロンの王に反旗を翻した・・・王は捕らえられ・・・裁きを受けた。彼らはゼデキヤの目の前で彼の王子たちを殺し、その上でバビロンの王は彼の両眼をつぶし、青銅の足枷をはめ、彼をバビロンに連れて行った」。
・国は滅びた。王宮は焼け、神殿も消失した。その中で人々はバビロンに捕囚となった人々に、回復の望みを託した。列王記はバビロンで書かれている。
-列王記下25:27「ユダの王ヨヤキンが捕囚となって三十七年目の第十二の月の二十七日に、バビロンの王エビル・メロダクは、その即位の年にユダの王ヨヤキンに情けをかけ、彼を出獄させた」。
・このヨヤキン(エコンヤ)はバビロンで子を産み、その子がイエスにつながるとマタイは系図に記す。
-マタイ1:12-16「バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを・・・マタンはヤコブを、ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」。
3.バビロン捕囚と預言者
・紀元前598年の第一回捕囚ではエホヤキン王をはじめ3,023人の者がバビロニアに連れて行かれた、とエレミヤ書52章28節には記されている。そしてその中には、上級官吏や貴族、専門技術者(特に要塞建築家)、また預言者エゼキエルも含まれていた。エゼキエルは捕囚の第五年に、捕囚地で預言者としての召命を受け、捕囚の民に預言活動をした。
・ユダ本国においては、ネブカデネザルが、ヨシヤの末息子でエホヤキの叔父にあたるマッタニヤを王に任命し、これをゼデキヤと改名させた。ユダ最後の王ゼデキヤの治世の時代は、バビロニアに服従するか、あるいはエジプトに頼ってバビロニアに反抗するか、という問題に終始した。預言者エレミヤは、ネブカデネザルの介入をヤハウェの裁きの行為と解し、ネブカデネザルに服従することを主張した。エレミヤ書27章には、ゼデキヤの第四年にエドム、モアブ、アンモン、ツロ、シドンからエルサレムに使者がやってきたことが記されているが、その目的はバビロニアに反逆する相談であった。エレミヤは、首にくびきをかけてこれに反対した。これに対してバビロニアへの反逆を主張したハナニヤは、エレミヤの首からそのくびきを取って砕いた。エレミヤは立ち去って行った(28章)。エルサレムの宮廷内には、親バビロニア派と反バビロニア派との抗争が絶えなかったことが想像される。
・エジプトは背後で救助を約束して、扇動していた。エルサレムでこれらの抗争が行われていた時、エゼキエルが捕囚の地で預言者としての召命を受けた(前593年)。内部抗争の結果、ゼデキヤはエレミヤの反対にもかかわらず、ネブカデネザルに反抗することに決め、朝貢を中止し、臣属関係を破棄した。これに対してネブカデネザルは、ゼデキヤの第九年(前590年)にエルサレムを包囲した。その間、救助を約束したエジプトのパロ・ホフラは軍隊をエルサレムに送って一時バビロニア軍の包囲を解かせたが、エジプト軍は助けるだけの力をもっていなかった。エゼキエルは諸外国預言の中で、エジプトがいかに頼りにならないかということを語っているが(29-32章)、この時のことを述べているのであろう。
・エルサレムは兵糧攻めにあい、ついにゼデキヤの第11年(前586年)に、城壁に突破口があけられて、バビロニア軍に侵入された。その時ゼデキヤは、エルサレムを脱出して東ヨルダンに向かって逃げたが、その途中エリコでバビロニア軍に捕らえられ、ネブカデネザルの本営の置かれていたシリアのリブラに護送された。ネブカデネザルはゼデキヤの目の前で彼の息子たちを殺し、ゼデキヤの両眼をえぐって、鎖につないでバビロンに送った。エルサレム征服の一カ月後、ネブカデネザルの命令によって、神殿とエルサレムの町に火がつけられて、エルサレムは壊滅した。神殿の炎上と共に、恐らくその中に納められていた古い十二部族連合の聖物であった「契約の箱」も焼失した。
・ネブカデネザルは、ユダの国家としての独立を最終的に奪い、これを属州としてバビロニア帝国に編入した。しかし彼は、かつてアッシリアがしたようには、外国の上層階級をユダに移すということをしなかった。そのためにユダは国家としては滅亡したが、そこに住む者はユダヤ人としてのアイデンティティを保つことが出来、捕囚後はユダヤ教団として存続していくことになる。
・エルサレム陥落は、イスラエルの人々にとっては決定的な出来事であった。四百年続いたダビデの王国が終焉しただけでなく、不滅だと信じられていた神の都は破壊され、神の住まいと信じられていた神殿も破壊された。預言者たちは、神に対する不服従のゆえにやがてこういう形で神の罰が下されると威嚇してきたが、この預言は成就した。この出来事を目の当りに見た申命記的歴史家は、こういう結果に至らせたのはイスラエルの人々が絶えず神に逆らってきたからであるという視点からイスラエルの歴史を叙述した(ヨシュア記から列王記までのいわゆる「申命記的歴史書」)。そしてエゼキエルも同じ視点でイスラエルの歴史を回顧している(16、20、23章)。申命記的歴史は、最後に捕囚となっていたエホヤキンが牢獄から釈放され、バビロニアの王の厚遇を受けるという記事で終わっており、将来に希望を残している。