江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2020年4月23日祈祷会(列王記下22-23章、運命は変えうるのか)

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1.申命記の発見に伴うヨシヤ王の悔い改め

 

・マナセ王は主の預言者たちを殺し、アッシリアの異教礼拝を取り入れた。マナセの時代、アッシリアはエジプトを制圧し、ユダはその支配下に置かれ、親アッシリア政策を採らざるを得なかった。後継者ヨシヤの時代になるとアッシリアは衰退を始める。ヨシヤはマナセの導入した偶像を廃棄し神殿を改修した。その時、大祭司ヒルキヤは神殿で律法の書を見つけたとしてヨシヤ王に差し出した。この書は原申命記とされる。イザヤの影響下に為されたヒゼキヤの宗教改革が挫折し、マナセの時代に異教化した宗教を清めることによって国を再出発させようとした祭司たちが、宗教改革案をまとめたが発表できず、神殿書庫にその書を収めた。その原申命記を大祭司ヒルキヤが王に渡したものと推測される。

-列王記下22:11-13「王はその律法の書の言葉を聞くと、衣を裂いた。王は祭司ヒルキヤ・・・書記官シャファン、王の家臣アサヤにこう命じた。『この見つかった書の言葉について、私のため、民のため、ユダ全体のために、主の御旨を尋ねに行け。我々の先祖がこの書の言葉に耳を傾けず、我々についてそこに記されたとおりにすべての事を行わなかったために、我々に向かって燃え上がった主の怒りは激しいからだ』」。

・大祭司ヒルキヤはヨシヤ王の命に従い、預言者フルダの元を訪れる。彼女はユダ滅亡の預言を行う。

-列王記下22:16-17「主はこう言われる。見よ、私はユダの王が読んだこの書のすべての言葉の通りに、この所とその住民に災いをくだす。彼らが私を捨て、他の神々に香をたき、自分たちの手で造ったすべてのものによって私を怒らせたために、私の怒りはこの所に向かって燃え上がり、消えることはない」。

・主の怒りは消えない、ユダは滅ぼされる。しかし、ヨシヤが悔改めの意を示したので、滅びはヨシヤの時代には起きないと約束された。

-列王記下22:18-20「主の心を尋ねるためにあなたたちを遣わしたユダの王にこう言いなさい。あなたが聞いた言葉について、イスラエルの神、主はこう言われる。私がこの所とその住民につき、それが荒れ果て呪われたものとなると言ったのを聞いて、あなたは心を痛め、主の前にへりくだり、衣を裂き、私の前で泣いたので、私はあなたの願いを聞き入れた、・・・私はあなたを先祖の数に加える。あなたは安らかに息を引き取って墓に葬られるであろう。私がこの所にくだす災いのどれも、その目で見ることがない」。

・ヨシヤ王は見出された契約の書に基づいて改革を進める。最初に行ったのは主の契約の更新である。

-列王記下23:2-3「王は、ユダのすべての人々、エルサレムのすべての住民、祭司と預言者、下の者から上の者まで、すべての民と共に主の神殿に上り、主の神殿で見つかった契約の書のすべての言葉を彼らに読み聞かせた。それから王は柱の傍らに立って、主の御前で契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、魂を尽くして主の戒めと定めと掟を守り、この書に記されているこの契約の言葉を実行することを誓った。民も皆この契約に加わった」。

・申命記はイスラエルの神に対する絶対的忠誠を求める。王はカナンの偶像であるバアルやアシェラ、アッシリアの偶像である天の万象のための祭具を神殿から取り除き、それらを焼いた。次に地方聖所を取り壊し、偶像礼拝の温床を取り除いた。

-列王記下23:8-9「王はユダの町々から祭司をすべて呼び寄せ、ゲバからベエル・シェバに至るまでの祭司たちが香を焚いていた聖なる高台を汚し、城門にあった聖なる高台をも取り壊した・・・聖なる高台の祭司たちは、エルサレムの主の祭壇に上ることはなかったが、兄弟たちにまじって酵母を入れないパンを食べた」。

・彼はアッシリアの支配下にあったサマリヤも奪回し、その聖所も清めた。

-列王記下23:15「彼はまたベテルにあった祭壇と、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムが造った聖なる高台即ちその祭壇と聖なる高台を取り壊し、更に聖なる高台を焼いて粉々に砕き、アシェラ像を焼き捨てた」。

・改革の頂点は盛大な過越祭の祝いであった。カナン農耕神の影響下、刈入れ祭りである「七週の祭り」や収穫祭である「仮庵の祭り」は祝われていたが、出エジプトを記念する「過ぎ越しの祭り」は忘れられていた。

-列王記下23:21-23「王はすべての民に命じて言った『この契約の書に記されている通り、あなたたちの神、主の過越祭を祝え』。士師たちがイスラエルを治めていた時代からこの方、イスラエルの王、ユダの王の時代を通じて、このような過越祭が祝われることはなかった。ヨシヤ王治世第十八年に、エルサレムでこの主の過越祭が祝われた」。

 

2.改革の挫折~救いの見えない中で

 

・ヨシヤ王は宗教改革を断行し、宗教的に正しい方向へ国を導いた。それにもかかわらず、主はユダを滅ぼすとの決定を変えられなかった。ユダ王国は滅亡の道を歩む。

-列王記下23:26-27「しかし、マナセの引き起こした主のすべての憤りのために、主はユダに向かって燃え上がった激しい怒りの炎を収めようとなさらなかった。主は言われた『私はイスラエルを退けたようにユダも私の前から退け、私が選んだこの都エルサレムも、私の名を置くと言ったこの神殿も私は忌み嫌う』」。

・ヨシヤの改革は挫折する。彼はエジプトとの戦いで負傷し、戦死する。歴代誌はその事情を詳説する。

-歴代誌下35:20-24「ヨシヤが神殿を整えるために行ったこれらのすべての事の後、エジプトの王ネコがユーフラテス川の近くのカルケミシュを攻めようとして上って来た。ヨシヤはこれを迎え撃つために出陣した。しかしネコは使いを送って言った『ユダの王よ・・・今日攻めて来たのはあなたに対してではなく、私が敵とする家に対してである。神は私に急ぐようにと命じられた。私と共にいる神に逆らわずにいなさい。さもなければ、神はあなたを滅ぼされる』・・・彼はメギド平野の戦いに臨んだ。射手たちがヨシヤ王を射た。王が家臣たちに、『傷は重い。私を運び出してくれ』と言ったので、家臣たちは王を戦車から降ろし、王の第二の車に乗せてエルサレムに連れ帰った。王は死んで、先祖の墓に葬られた。ユダとエルサレムのすべての人々がヨシヤの死を嘆いた」。

・ヨシヤは「メギドの戦い」に敗れて死んだ。このヘブル語「メギド」が、ギリシャ語「ハルマゲドン」と翻訳され、ヨハネ黙示録の中で、神の軍勢とサタンの軍勢が争い、終末が来る場所とされて行く。その後の歴史の中で、多くの人々は敵との戦いを「ハルマゲドンの戦い」と呼び、終末の象徴的言語になっていく。

-ヨハネ黙示録16:14-16「これはしるしを行う悪霊どもの霊であって、全世界の王たちのところへ出て行った。それは、全能者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである・・・汚れた霊どもは、ヘブライ語で「ハルマゲドン」と呼ばれる所に、王たちを集めた」。

 

3.ヨシヤ王の改革とエレミヤ

 

・ヨシヤ王はユダ王国における最後の宗教改革をなした王であった。ヨシヤ王は、治世第8年に16歳の若さでダビデの模範に従って主を求め始め、第12年には偶像除去を開始した。ヨシヤの主への熱意が勇気ある改革事業を断行させた。それはかつてのヒゼキヤの宗教改革よりも徹底したもので,その中には偶像礼拝者への厳しい処置も含まれていた。その改革は、第18年目には、宮で律法の書が発見された出来事をきっかけに頂点に達した。

・ヨシヤ死後、国はエジプトの支配下に置かれ、やがてエジプト軍を破ったバビロニアに占領され、滅ぶ。ヨシヤは正しい改革を行ったが、主はユダを滅ぼされた。信仰は取引ではない、信じれば報われると思うのは安価な救済だ。エレミヤは国の荒廃の中で「苦しみを味わえ、その苦しみの中で主の名を求めよ」と叫ぶ。

-哀歌3:28-33「くびきを負わされたなら黙して、独り座っているがよい。ちりに口をつけよ、望みが見いだせるかもしれない。打つ者に頬を向けよ、十分に懲らしめを味わえ。主は、決してあなたをいつまでも捨て置かれはしない。主の慈しみは深く、懲らしめても、また憐れんでくださる。人の子らを苦しめ悩ますことがあってもそれが御心なのではない」。

・エレミヤの召命はヨシヤ王の13年(前626年)。北イスラエルは既に滅び、南ユダもアッシリアの支配下にあった。しかし、アッシリアも国力を失くし、胎頭してきたバビロンと、南の大国エジプトとの覇権争いの中に新しい秩序が始まる、世界史の転換期であった。エレミヤはその中にあって「神の裁きがユダに来る」と預言し、実際に国の滅亡(バビロン捕囚)を見る。愛する祖国を救うために立たされ、最終的には祖国滅亡を見た悲哀の預言者だ。

-エレミヤ1:1-3「エレミヤの言葉。彼はベニヤミンの地のアナトトの祭司ヒルキヤの子であった。主の言葉が彼に臨んだのは、ユダの王、アモンの子ヨシヤの時代、その治世の第十三年のことであり、更にユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの時代にも臨み、ユダの王、ヨシヤの子ゼデキヤの治世の第十一年の終わり、すなわち、その年の五月に、エルサレムの住民が捕囚となるまで続いた」。

・預言者は前8世紀と前6世紀に集中的に現れる。前8世紀は北イスラエル王国がアッシリアに滅ぼされた時(前721年)であり、前6世紀は南ユダ王国がバビロンに滅ぼされた時(前587年)だ。国が滅びる時は国が病巣を抱えている時であり、その病巣を告発するために預言者が立つ。しかし病巣が薬を排除するように、預言者は指導者や民から嫌われ、排斥される。イエスご自身も預言者は迫害されると言われた。エレミヤの生涯も迫害の生涯だった。

-マタイ5:11-12「私のためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」。

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