江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2020年9月10日祈祷会(詩篇17編、み翼の陰に)

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1.無実の罪に苦しむ者の祈り

 

・本詩は無実の罪を告発されて苦しむ祈り手が、エルサレム神殿に行って身の潔白を主張し、敵の攻撃の不当性を訴え、法的保護と不法者の処罰を訴えたものであろう。エルサレム神殿は当時の最終裁判所でもあった。

-詩篇17:1-2「主よ、正しい訴えを聞き、私の叫びに耳を傾け、祈りに耳を向けてください。私の唇に欺きはありません。御前から私のために裁きを送り出し、あなた御自身の目をもって公平に御覧ください」。

・祈り手は「自分には何の不義もない。どうか調べて下さい」と神に訴える。

-詩篇17:3-5「あなたは私の心を調べ、夜なお尋ね、火をもって私を試されますが、汚れた思いは何ひとつ御覧にならないでしょう。私の口は人の習いに従うことなく、あなたの唇の言葉を守ります。暴力の道を避けて、あなたの道をたどり、一歩一歩、揺らぐことなく進みます。あなたを呼び求めます、神よ、私に答えてください。私に耳を向け、この訴えを聞いてください」。

・祈り手は、「敵が私を包囲し、破滅させようとしています。どうか、主よ、私をあなたのみ翼の陰にかくまってください」と訴える。

-詩篇17:6-9「あなたを呼び求めます、神よ、私に答えて下さい。私に耳を向け、この訴えを聞いて下さい。慈しみの御業を示して下さい。あなたを避けどころとする人を、立ち向かう者から、右の御手をもって救って下さい。瞳のように私を守り、あなたの翼の陰に隠して下さい。あなたに逆らう者が私を虐げ、貪欲な敵が私を包囲しています」。

・敵のイメージは獰猛な獅子だ。彼らは肥え太り、高ぶりの中にある。はやり立つ獅子が自分を倒そうととびかかろうとしている。

-詩篇17:10-12「彼らは自分の肥え太った心のとりことなり、口々に傲慢なことを言います。私に攻め寄せ、私を包囲し、地に打ち倒そうとねらっています。そのさまは獲物を求めてあえぐ獅子、待ち伏せる若い獅子のようです」。

・感情の激した祈り手は敵への報復を切実に祈る。「あなたの剣で彼らを滅ぼしてください」と。

-詩篇17:13-14「主よ、立ち上がってください。御顔を向けて彼らに迫り、屈服させて下さい。あなたの剣をもって逆らう者を撃ち、私の魂を助け出して下さい。主よ、御手をもって彼らを絶ち、この世から絶ち、命ある者の中から彼らの分を絶って下さい」。

 

2.み翼の陰に

 

・「み翼の陰に」、かつてモーセがエジプトを脱出し、荒野を放浪したとき、守ってくださった主の慈愛を歌った歌の一節だ。先祖を約束の地に導かれた主に、「私も平安に導いてください」と祈り手は祈る。

-申命記32:9-11「主に割り当てられたのはその民、ヤコブが主に定められた嗣業。主は荒れ野で彼を見いだし、獣のほえる不毛の地でこれを見つけ、これを囲い、いたわり、御自分のひとみのように守られた。鷲が巣を揺り動かし、雛の上を飛びかけり、羽を広げて捕らえ、翼に乗せて運ぶように」

・この詩篇の注解を書いた月本昭男氏は言う「この詩篇は敵からの救いと敵の処罰を求める単純な詩であり、社会的批判の視点はなく、苦難の内面的な深さもない・・・だが、邪悪な横暴に打ちのめされる人々の単純な、それゆえ一層切実な願いは、あらゆる意味で信仰に先立ち、いかなる神学思想も超える」(「詩篇の信仰と思想」から)。この人々のためにイエスが死なれたことを私たちは銘記すべきであろう。

-第一ペテロ2:22-24「この方は・・・ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。そして、十字架にかかって、自らその身に私たちの罪を担って下さいました。私たちが、罪に対して死んで義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました」。

・この詩を歌った祈り手の状況は回復したのだろうか。私たちにはわからない。しかし仮に取り巻く困難さが変わらなくとも、神に会うことが出来た(御顔を仰ぎ望んだ)ことで、祈り手の心は慰められたのではないだろうか。

-詩篇17:15「私は正しさを認められ、御顔を仰ぎ望み、目覚める時には御姿を拝して、満ち足りることができるでしょう」。

・「み翼の陰に」、多くの人々が神の保護を訴えて叫び、詩編にもその叫びが満ち満ちている。

-詩篇57:2「憐れんでください、神よ、私を憐れんでください。私の魂はあなたを避けどころとし、災いの過ぎ去るまで、あなたの翼の陰を避けどころとします」。

-詩篇63:8「あなたは必ず私を助けてくださいます。あなたの翼の陰で私は喜び歌います」。

 

3.詩篇17編とヨッヘン・クレッパー

 

・ヨッヘン・クレッパーはドイツの詩人で讃美歌作者としても知られている。彼は妻がユダヤ人だった故にナチス政権下でいわれのない迫害を受け、妻が強制収容所に入れられることに抗議して自死した。彼はその日記を「み翼の陰に」と題して克明につづり、死後刊行された。「闇は深まり」(新生讃美歌560番)は彼の遺作だ。

-新生讃美歌560番「闇は深まり、夜明けは近し。あけの明星、輝くを見よ。夜ごとに嘆き、悲しむ者に、喜びを告ぐる、朝は近し。おさな子となり、僕となりて、御神みずからこの世に降る。重荷負うもの、かしらを上げよ。信ずるものはみな、救いを受けん」。
・死の二日前の日記、1942・12.9から

「妻ハンニと子どもとを強制追放の中でももっとも残忍で身の毛もよだつそれへ(絶滅収容所)行かせることが、私には耐えられないのは神もご存知だ。ルターがしたように「わが体も、財産も、名誉も、わが妻子も取らばとりね」(讃美歌538番「神はわが力」)と神に誓うことが私に出来ないのは神もご存知だ。「わが体も、財産も、名誉も出来る。しかしわが妻子も取らばとりね」とは歌えない。

*讃美歌538番原曲のドイツ語では「わが妻子も」であるが、この言葉が日本語では「わがたからも」に訳が変えられている。

・ヨッヘン・クレッパー・死の当日の日記(1942・12.9)

「午後、保安情報部での交渉、終に私たちは死ぬ。ああこのことも神の御許でのことだ。私たちは今晩一緒に死につく。私たちの頭上にはこの最後の数時間、私たちのために闘っておられる祝福するキリスト像が立っている。この眼差しの下で、私たちの生は終わるのだ」。

・ヨッヘン・クレッパー「夕べの歌」

「あなたは強き御腕をさしのべたまいました。わざわいも私を苦しめることはありません。私の眠りがなお脅かされることがあるとしても、私は見守りのうちに安らかに生きるのです。あなたは私のまぶたに手をさしのべたもう。私は一切の憂いなく眠ります。この夜、私を導きたもう方は、明日もまた導いて下さるのですから」。

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