江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2017年5月18日祈祷会(民数記13章、約束の地の偵察)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.偵察隊の派遣

・モーセと民は約束の地の入り口にあたるカデシ・バルネアまで進んだ。モーセは12人を偵察隊として派遣し、「どのような人々が住んでいるのか、彼らの防衛力や装備はどうか、土地は耕作や居住に向いているのか、どのような果物が実っているのか」を調べるように命じた。
-民数記13:1-3「主はモーセに言われた。『人を遣わして、私がイスラエルの人々に与えようとしているカナンの土地を偵察させなさい。父祖以来の部族ごとに一人ずつ、それぞれ、指導者を遣わさねばならない。』 モーセは主の命令に従い、パランの荒れ野から彼らを遣わした。彼らは皆、イスラエルの人々の長である人々であった」。
・それは約束の地への侵攻の準備のためであり、12部族からそれぞれに選ばれた精鋭たちであった。
−民数記13:17-20「モーセは、彼らをカナンの土地の偵察に遣わすにあたってこう命じた。『ネゲブに上り、更に山を登って行き、その土地がどんな所か調べて来なさい。そこの住民が強いか弱いか、人数が多いか少ないか、彼らの住む土地が良いか悪いか、彼らの住む町がどんな様子か、天幕を張っているのか城壁があるのか、土地はどうか、肥えているかやせているか、木が茂っているか否かを。あなたたちは雄々しく、行き、その土地の果物を取って来なさい』」。
・カナンの地ヘブロンには民族の父祖アブラハム、イサク、ヤコブが葬られていた。40日後、彼らは帰って来て、報告した。そこは「乳と蜜の流れる、豊かな地」であることは一致して報告された。
−民数記13:25-27「四十日の後、彼らは土地の偵察から帰って来た。パランの荒れ野のカデシュにいるモーセ、アロンおよびイスラエルの人々の共同体全体のもとに来ると、彼らと共同体全体に報告をし、その土地の果物を見せた。彼らはモーセに説明して言った『私たちは、あなたが遣わされた地方に行って来ました。そこは乳と蜜の流れる所でした。これがそこの果物です』」。
・しかし、同時にその地には、「強そうな民族が、城塞を作って住んでおり、相手は手ごわい」こともまた、一致して報告された。
−民数記13:28-29「その土地の住民は強く、町という町は城壁に囲まれ、大層大きく、しかもアナク人の子孫さえ見かけました。ネゲブ地方にはアマレク人、山地にはヘト人、エブス人、アモリ人、海岸地方およびヨルダン沿岸地方にはカナン人が住んでいます」。
・報告を基にした判断は二つに分かれた。偵察者の一人、カレブは言う「主が与えると言われるのだから、攻め上って行きましょう。必ず勝てます」。
−民数記13:30「カレブは民を静め、モーセに向かって進言した。『断然上って行くべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます』」。
・しかし、他の報告者たちは恐れて言った「彼らは我々より強い。攻めるのは無理だ」。
−民数記13:31-33「彼と一緒に行った者たちは反対し『いや、あの民に向かって上って行くのは不可能だ。彼らは我々よりも強い』と言い、イスラエルの人々の間に、偵察して来た土地について悪い情報を流した。『我々が偵察して来た土地は、そこに住み着こうとする者を食い尽くすような土地だ。我々が見た民は皆、巨人だった。そこで我々が見たのは、ネフィリムなのだ。アナク人はネフィリムの出なのだ。我々は、自分がいなごのように小さく見えたし、彼らの目にもそう見えたにちがいない』」。

2.信仰と不信仰を分けるもの

・同じ事実認識をしても、人々の判断は分かれる。神を信頼しない時、現実は絶望的になる。5000人の群集を前に、イエスの弟子たちは口々に言った「パンは五つあるが、こんなに大勢では何の役にも立たない」。
−ヨハネ6:8-9「弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。『ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう』」。
・絶望的な現実を見る時、私たちは怖気づく。人生の試練や責任に直面するよりも、それを放棄しようという誘惑は常に起こる。しかし主は私たちに言われる。「信じて行ってみよ、その時あなたは奇跡を見る」。
−マラキ3:10「十分の一の献げ物をすべて倉に運び、私の家に食物があるようにせよ。これによって、私を試してみよと万軍の主は言われる。必ず、私はあなたたちのために、天の窓を開き、祝福を限りなく注ぐであろう」。
・この神の言葉に信頼し続ける。信仰とはそういうものだ。
−ローマ8:31-32「もし神が私たちの味方であるならば、誰が私たちに敵対できますか。私たち凡てのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒に全てのものを私たちに賜らないはずがありましょうか。」
・私たちはこの神に信を置かなければいけない。そうしないと、私たちの存在全ては崩れ去るだろう。
−民数記14:7-9「我々が偵察して来た土地は、とてもすばらしい土地だった。もし、我々が主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる土地を与えてくださるであろう。ただ、主に背いてはならない。あなたたちは、そこの住民を恐れてはならない。彼らは我々の餌食にすぎない。彼らを守るものは離れ去り、主が我々と共におられる。彼らを恐れてはならない。」
・教会形成もこれと同じだ。自分の不信仰を知りながら、ためらいつつも、なお従っていくのだ。
−マルコ9:23-24「イエスは言われた。『できればと言うか。信じる者には何でもできる』。その子の父親はすぐに叫んだ。『信じます。信仰のない私をお助けください』」。

3.この物語をどう読むか

・民数記は荒野流浪の物語であり、内容は「民の不信の歴史、反逆の旅の物語」だ。人々はエジプトを出て13ヶ月目にシナイを出発した(10:11-13)。人々は契約の箱を先頭にして進むが、水や食糧が不足するとつぶやき始める「誰か肉を食べさせてくれないものか。エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。今では私たちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで何もない」(11:4-6)。荒野の旅は苦労の連続だった。しかし2年間の放浪の後に、やっと約束の地カナンの入り口にあたるカデシまで進んできた。約束が果たされる時が来た。
・モーセは12人を偵察隊として派遣し、40日後、彼らは帰って来て報告する。その地は「乳と蜜の流れる豊かな地だ」(13:25-27)であるが、同時に「強そうな民族が城塞を堅固にして住んでいる」(13:28-29)地でもあった。人々の情勢判断は二つに分かれた。カレブは言う「主が与えると言われるのだから、攻め上って行こう」。神を信頼する者たちは、神の指示に従って攻め入ることを主張した。
-民数記14:8「我々が主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる土地を与えてくださるであろう」。
・他の報告者たちは言う「彼らは我々より強い。攻めるのは無理だ」。同じ事実認識をしても、人々の判断は分かれた。神を信頼しない時、現実は恐怖になり、人々は怖気づく。民衆の多くは、偵察隊の報告を聞いて恐怖に襲われ、エジプトに帰ろうと言い始めた。
-民数記14:3-4「どうして、主は我々をこの土地に連れて来て、剣で殺そうとされるのか。妻子は奪われてしまうだろう。それくらいなら、エジプトに引き返した方がましだ・・・さあ、一人の頭を立てて、エジプトへ帰ろう」。
・イスラエルの民はここで決定的な過ちを犯した。主がエジプトから、奴隷の民を引き出して下さり、シナイ山で祝福の契約を結ばれ、約束の地にまさに導き入れようとされたその時に、怖気づいて、エジプトに帰ろうとした。彼らはまだ約束の地に入る資格はない、主は彼らを再び荒野に追い返される。こうして2年で終わるはずだった荒野の旅が40年もの長期にわたるようになる。40年、古い世代が死に、新しい世代と交代する年月だ。主はかたくなな旧世代を断念され、新世代に期待を持たれた。こうして民は再び荒野に送りだされる。
−申命記8:2-5「あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい。」

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