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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2012年8月1日(水)祈祷会、箴言1:20-33「知恵の勧め」(一)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

−箴言1:20-21「知恵は巷に呼ばわり、広場に声をあげる。雑踏の街角で呼びかけ、城門の脇の通路で語りかける。」
・ここでは知恵が擬人化され、知恵自身が街中で呼び声をあげ、語りかけると語ります。知恵は親が子に、教師が生徒に教えるだけが知恵の伝達法でなく、知恵は何処にでもあるのだから、そこから学べと教えているのです。知恵はどこからても学べるのです。
−箴言1:22-23「いつまで、浅はかな者は浅はかであることに愛着をもち、不遜な者は不遜であることを好み、愚か者は知ることをいとうのか。立ち帰って、わたしの懲らしめを受け入れるなら、見よ、わたしの霊をあなたたちに注ぎ、わたしの言葉を示そう。」
・三種類の愚か者がいる。まず「浅はかな者」は経験のない若者たちや、経験から何も学ばない年配者たち、そして、自分の古い体験から抜け出せない頑固な老人たちです。不遜な者とは、神を畏れず、人を見下している傲慢な人です。愚か者とはここでは知恵を学ぶことを嫌う者になっており、「わたしの懲らしめを受け入れるなら」と条件まで示され、いちばん厳しく批判されています。イエスは傲慢な者たちを戒めています。
−マタイ23:1-4「それから、イエスは群衆と弟子たちにお話になった。『律法学者やファリサイ派の人々はモ−セの座に着いている。だから、彼らの言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで実行しないからである。彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうとしない。』」
−マタイ23:5-12『そのすることは、すべて人に見せるためである。聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。宴会では上席に座ることを好み、また、広場で挨拶されたり、「先生」と呼ばれたりすることを好む。だが、あなたがたは「先生」と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。
−マタイ23:9-12『また地上の者を「父」と呼んではならない。あなたがたの父は天の父お一人だけだ。「教師」と呼ばれてもいけない。あなたがたの教師はキリスト一人だけである。あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者となりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。』」
・このイエスの戒めを聞いた世の先生方は耳が痛いことでしょう。先生と呼ばれる職業、学校の先生、医師を初め、弁護士、国会議員、作家、もちろん牧師だって含まれています。敬称の常用は習慣化することで、謙虚さを失わせます。自らを戒めることが肝要です。
−箴言1:24-27「しかし、わたしが呼びかけても拒み、手を伸べても意に介せず、わたしの勧めをことごとくなおざりにし、懲らしめを受け入れられないなら、あなたたちが災いに遭うとき、わたしは笑い、恐怖に襲われるとき、嘲笑うであろう。恐怖が嵐のように襲い、災いがつむじ風のように起こり、苦難と苦悩があなたたちを襲うとき。そのときになって、彼らがわたしを呼んでもわたしは答えず、捜し求めても、わたしを見いだすことはできない。彼らは知ることをいとい、主を畏れることを選ばず、わたしの勧めに従わず、懲らしめをすべてないがしろにした。」
・これまでの経過でも分かるように、知恵の勧めはけっして穏やかな言葉で行われてはいません。知恵の勧めの拒絶があったからと、知恵の勧めは次第に激しさを増し、懲らしめを予告するようになり、懲らしめの反省がないと、ついに破滅の予告に変化します。
−箴言1:31-33「だから、自分たちの道が結んだ実を食べ、自分たちの意見に飽き足りるがよい。浅はかな者は座して死に至り、愚か者は無為のうちに滅びる。わたしに聞き従う人は確かな住まいを得、災難を恐れることなく平穏に暮らす。」
・「だから、自分たちの道が結んだ実を食べ」は自業自得ということなのだろうか。この言葉はたいへん恐ろしい響きをもっています。これは神に従わない者に対する裁きなのです。破滅は旧約聖書では、裁きを表す暗喩なのです。
−ホセア8:12-13「わたしは多くの戒めを書き与えた。しかし、彼らはそれを無縁のものとした。わたしへの贈り物としていけにえをささげるが、それを食べるのは彼らだ。主は彼らを喜ばれない。いまや、主は彼らの不義に心に留め、その罪を裁かれる。」
・愚かな者は知恵を無視し破滅に向かって行く。知恵は愚か者の破滅を五つの言葉で述べています。破滅は予期しないときにやって来る。破滅は破壊的かつ圧倒的である。破滅は当然正気をもたらす。しかし、それでは遅すぎる。自ら破滅を招くことになるからだ。そして結局責めるべきは自分自身なのです。そして、33節は神の知恵の勧めを聞かない愚か者の破滅と、知恵の言葉に耳を傾ける者が楽しむ安定した状態が比べられています。愚かな者が愚行を止めて生きるよう「知恵の勧め」をしているのです。

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