江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2011年8月3日祈祷会(詩編108篇、旧い詩編を今に活かす)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.詩編108:1-6は詩編57:8−12を引用する

・詩編108編は詩編57編と詩編60編を合わせたモザイク詩編である。108編を考える前に、それぞれ元の詩編の意味を考察してみる。108:1−6に相当するのは、57:8-12である。詩篇57篇には「ダビデがサウルを逃れて洞窟にいた時」との前書きがある。サムエル記上24章にダビデの命を求めてサウルが追跡してきた時、ダビデはサウルを殺す機会があったのにそうしなかったという故事が記載されている。57篇は直接にはダビデの心境を歌ったものではない。しかしどこにも救いを見出せず、神以外に頼るものがなくなった状況は洞窟にいたダビデの心境と同じであろう。
−詩編57:2「憐れんでください、神よ、私を憐れんでください。私の魂はあなたを避けどころとし、災いの過ぎ去るまで、あなたの翼の陰を避けどころとします」。
・「御翼の陰に」、雛が親鳥の翼の下に安全を求めるように、詩人も神の庇護を求めて神殿に駆け込んでいる。神殿の聖所には、契約の箱を守るようにケルビムが翼を広げて安置されていた。当時、不当な裁きを受けたものは神殿で神の裁きを受けることができた。無実の罪で告発された詩人は裁判を求めて神殿に避難したのであろう。
−詩編57:3-4「いと高き神を呼びます、私のために何事も成し遂げてくださる神を。天から遣わしてください、神よ、遣わしてください、慈しみとまことを。私を踏みにじる者の嘲りから、私を救ってください」。
・敵は中傷と偽りの告訴で詩人を痛めつける。詩人は罠をかけられ、危機の中にある。詩人は夜を徹して祈る。そして朝を迎えた。その朝の光に中で、詩人は神の救いを確信し、「私の心は定まりました」と告白する。詩人の祈りに神は答えて下さった。その確信を与えられ、彼は感謝する。
−詩編57:8-9「私は心を確かにします。神よ、私は心を確かにして、あなたに賛美の歌をうたいます。目覚めよ、私の誉れよ、目覚めよ、竪琴よ、琴よ。私は曙を呼び覚まそう」。
・本詩は教会の中で復活節の中で読まれてきた。夜の闇は過ぎ去り、復活の朝が来たからである。どのような苦難も過ぎ去る。あるいは静かにしていれば、その苦難から脱出する細い道が見えて来る。
−詩編57:10-12「主よ、諸国の民の中で私はあなたに感謝し、国々の中でほめ歌をうたいます。あなたの慈しみは大きく、天に満ち、あなたのまことは大きく、雲を覆います。神よ、天の上に高くいまし、栄光を全地に輝かせてください」。

2.詩編108:7-14は詩編60:7-14を引用する。

・詩編108篇後半は詩編60篇からの引用だ。詩編60篇表題はダビデがエドムを占領した時の歌とする(?サムエル8:13-14)。しかし詩編60篇はイスラエルが敗戦下にある状況を示す。バビロン軍によって王国が滅ぼされ、人々が国の将来を思い、また自分たちの行く末を案じていた時の歌と推測される。
-詩編60:3-4「神よ、あなたは我らを突き放し、怒って我らを散らされた。どうか我らを立ち帰らせてください。あなたは大地を揺るがせ、打ち砕かれた。どうか砕かれたところを癒してください、大地は動揺しています」。
・国の滅亡という災いが臨んだ時、イスラエルの人々はそれが神から来ると受け止めた。またそれは神の警告によるものと理解した。それゆえ人々は神が怒りを収め、その民を救済されるよう祈る。
-詩編60:5-7「あなたは御自分の民に辛苦を思い知らせ、よろめき倒れるほど、辛苦の酒を飲ませられた。あなたを畏れる人に対してそれを警告とし、真理を前にしてその警告を受け入れるようにされた。あなたの愛する人々が助け出されるように、右の御手でお救いください。それを我らへの答えとしてください」。
・人々は神にかつての約束を守ってくれるよう求める「あなたは私たちが失った北イスラエルの領土を回復すると言われた。あなたは二つの分裂した祖国を統合されると約束された。また周辺のモアブ、エドム、ペリシテも下さると約束された。今、その約束を果たして下さい」と。
-詩編60:8-10「神は聖所から宣言された『私は喜び勇んでシケムを分配しよう。スコトの野を測量しよう。ギレアドは私のもの、マナセも私のもの、エフライムは私の頭の兜、ユダは私の采配、モアブは私のたらい。エドムに私の履物を投げ、ペリシテに私の叫びを響かせよう』」。
・バビロン軍の侵攻と共に多くの人々は周辺国に逃れた。戦乱の中で生き残った人々はこれからエドムに逃れようとしている。そのエドムへの道のりを守って下さい、あなたが先導して下さいと詩人は神の加護を祈る。
-詩編60:11-12「包囲された町に誰が私を導いてくれるのか。エドムに、誰が私を先導してくれるのか。神よ、あなたは我らを突き放されたのか。神よ、あなたは我らと共に出陣してくださらないのか」。
・戦乱の敗北の中で詩人は思う「人間の与える救いは虚しい。私たちはエジプト軍に頼って難局を乗り切ろうとしたが無駄であった」。混乱の中で詩人は神こそ救いであることを改めて思う。
-詩編60:13-14「どうか我らを助け、敵からお救いください。人間の与える救いはむなしいものです。神と共に我らは力を振るいます。神が敵を踏みにじってくださいます」。

3.編集詩の与えられた意味を考える

・詩編57編、60編はいずれも、バビロニア軍によって都が焼かれ、人々は殺され、指導者たちは連れ去られ、残った民は周辺諸国に避難する状況の中で書かれた詩である。その状況は現在も変わらない。詩人は苦闘し、悲しみの中にあり、主を賛美することができない。だから過去の讃美を用いて主を賛美する。私たちも祈れない時は主の祈りを祈れば良い。
−詩編108:2-5「神よ、私の心は確かです。私は賛美の歌をうたいます。私の誉れよ、目覚めよ、竪琴よ、琴よ。私は曙を呼び覚まそう。主よ、諸国の民の中で私はあなたに感謝し、国々の中でほめ歌をうたいます。あなたの慈しみは大きく、天に満ち、あなたのまことは大きく、雲を覆います」。
・詩人の切なる願いは6−7節に表明されている「私たちを救って下さい。私たちはあなたの民なのです」と。
−詩編108:6-7「神よ、天の上に高くいまし、栄光を全地に輝かせてください。あなたの愛する人々が助け出されるように、右の御手でお救いください。それを我らへの答えとしてください」。
・その願いに答えて主が応答される。詩人はその応答を詩編60編の中に見た。
−詩編108:8-10「神は聖所から宣言された『私は喜び勇んでシケムを分配しよう。スコトの野を測量しよう。ギレアドは私のもの、マナセも私のもの、エフライムは私の頭の兜、ユダは私の采配、モアブは私のたらい。エドムに私の履物を投げ、ペリシテに私の叫びを響かせよう』」。
・統一王朝時代、モアブもエドムもペリシテもイスラエルの支配下にあった。しかしイスラエルが滅亡すると、周辺諸国は領内を侵略し、占領した。特にエドム人はヘブロン付近まで占領し、イスラエルの恨みを買った。彼らが後のイドマヤ人(ヘロデの出身部族)を形成する。詩人は苦難の中で出口を見つけることができない。
−詩編108:11-12「包囲された町に、誰が私を導いてくれるのか。エドムに、誰が私を先導してくれるのか。神よ、あなたは我らを突き放されたのか。神よ、あなたは、我らと共に出陣してくださらないのか」。
・出口のない苦難の中で詩人は祈る。この苦難から救い出してくださるのは主しかいない事をしるからだ。
−詩編108:13-14「どうか我らを助け、敵からお救いください。人間の与える救いはむなしいものです。神と共に我らは力を振るいます。神が敵を踏みにじってくださいます」。
・苦難から救い出して下さる方は主しかいない。そのことを知っている者は出口の見えない苦難の中でも祈ることが出来、そして祈りは神の応答をもたらす。ヤコブは帰郷を前に、「あなたしか頼るものはないのです」と祈った。
−創世記32:10-13「私の父アブラハムの神、私の父イサクの神、主よ、あなたは私にこう言われました。あなたは生まれ故郷に帰りなさい。私はあなたに幸いを与えると。私は、あなたが僕に示してくださったすべての慈しみとまことを受けるに足りない者です。かつて私は、一本の杖を頼りにこのヨルダン川を渡りましたが、今は二組の陣営を持つまでになりました。どうか、兄エサウの手から救ってください。私は兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、わたしをはじめ母も子供も殺すかもしれません。あなたは、かつてこう言われました。私は必ずあなたに幸いを与え、あなたの子孫を海辺の砂のように数えきれないほど多くすると」。
・神はそれに答えてヤコブを危機から救って下さった。「主は必ず助けて下さり、私たちが思いもかけない業を見せて下さる」、それを私たちは信じていく。
−創世記33:1-4「ヤコブが目を上げると、エサウが四百人の者を引き連れて来るのが見えた・・・兄のもとに着くまでに七度地にひれ伏した。エサウは走って来てヤコブを迎え、抱き締め、首を抱えて口づけし、共に泣いた」。

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