江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2009年11月4日祈祷会(詩篇22:1-22、わが神、わが神、何故私をお見捨てになったのか)

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1.イエスの十字架死と詩篇22編

・イエスは十字架上で「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(マルコ15:34)と叫んで、息を引き取られた。マタイでは「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(マタイ27:46)となっている。マルコはアラム語で、マタイはヘブル語で、イエスの最後の言葉を記している。
-マルコ15:34「三時にイエスは大声で叫ばれた『エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ』。これは『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか』という意味である」。
・この叫びは詩篇22編の冒頭の言葉だ。弟子たちは「イエスこそメシア、救い主」と信じてきた。そのメシアが無力にも十字架につけられ、十字架上で絶望の言葉を残して死なれた。「この方は本当にメシアだったのか、メシアが何故絶望して死んでいかれたのか」、弟子たちは詩篇22編を通して、イエスの受難の意味を探していく。
-詩篇22:2a「私の神よ、私の神よ、なぜ私をお見捨てになるのか」。
・詩篇22編にはイエスの受難を預言するような言葉が満ちている。福音書にある人々の嘲笑の言葉も、詩篇22編から引用されている。弟子たちは詩篇22編を通して、イエスの受難の意味を探ろうとしている。
-マルコ15:29-30「そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った『おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ』」。
-詩篇22:8-9「私を見る人は皆、私を嘲笑い、唇を突き出し、頭を振る『主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら、助けてくださるだろう』」。
・ローマの兵士たちはイエスの服をくじで分けるが、その光景も詩篇22編の引用だ。
-ヨハネ19:23-24a「兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで『これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう』と話し合った」。
-詩篇22:17-19「犬どもが私を取り囲み、さいなむ者が群がって私を囲み、獅子のように私の手足を砕く。骨が数えられる程になった私のからだを彼らはさらしものにして眺め、私の着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く」。

2.詩篇22編前半の釈義を通して見えてくるもの

・詩篇22編は前半と後半では内容が一変する。前半(2〜22節)では、人々に嘲られ、攻撃されて、身も心も弱り果てた詠み手が、「わが神」に向かって悲痛な叫びを上げ、救いを嘆願する。後半(23〜32節)は苦しむ者の祈りを聞き届けた主を、公の場で讃える讃歌だ。22篇冒頭は、どのように叫んでも答えて下さらない「わが神」への嘆きから始まる。
-詩篇22:2-3「私の神、私の神、なぜ私をお見捨てになるのか。なぜ私を遠く離れ、救おうとせず、呻きも言葉も聞いてくださらないのか。私の神、昼は呼び求めても答えてくださらない。夜も黙ることをお許しにならない」。
・詠み手は唐突に、「主に信頼して救われた父祖」のことを想起する。「父祖を救われたあなたが何故私を救われないのか」と読み手は訴える。
-詩篇22:4-6「だがあなたは、聖所にいまし、イスラエルの賛美を受ける方。私たちの先祖はあなたに依り頼み、依り頼んで救われて来た。助けを求めてあなたに叫び、救い出され、あなたに依り頼んで裏切られたことはない」。
・詠み手は自分が「虫けら」のように嫌われ、侮蔑と嘲笑の中で辱められている窮状を嘆き訴える。
-詩篇22:7-9「私は虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥。私を見る人は皆、私を嘲笑い、唇を突き出し、頭を振る『主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら、助けてくださるだろう』」。
・自分は確かに罪を犯し、人々から捨てられても仕方がないかもしれない。「しかし主よ、あなたが私を創造し、今日まで生かしてくださった、そのあなたが私を捨てられるのですか」と詠み手は悲痛な叫びを上げる。
-詩篇22:10-12「私を母の胎から取り出し、その乳房にゆだねてくださったのはあなたです。母が私をみごもったときから、私はあなたにすがってきました。母の胎にあるときから、あなたは私の神。私を遠く離れないでください、苦難が近づき、助けてくれる者はいないのです」。
・詠み手は多くの敵に囲まれ、身も心も衰弱している。それは神に見捨てられたからだと彼は言う。人の見捨ては耐えることが出来るが、神が見捨てられたらどうすれば良いのかと詠み手は訴える。ヨハネは、ローマ兵がイエスの胸を槍で突くと、「血と水」が流れ出たと記述する(ヨハネ19:34)。イエスは苦痛の余り、心臓破裂で死なれた。「心は胸の中で蝋のように溶けた」、イエスは人からも神からも見捨てられて死なれた。
-詩篇22:13-16「雄牛が群がって私を囲み、バシャンの猛牛が私に迫る。餌食を前にした獅子のようにうなり、牙をむいて私に襲いかかる者がいる。私は水となって注ぎ出され、骨はことごとくはずれ、心は胸の中で蝋のように溶ける。口は渇いて素焼きのかけらとなり、舌は上顎にはり付く。あなたは私を塵と死の中に打ち捨てられる」。
・それでも詠み手は救済を求める。応答のない神に呼びかける。ここに詩篇作者の信仰がある。
-詩篇22:20-21「主よ、あなただけは私を遠く離れないでください。私の力の神よ、今すぐに私を助けてください。私の魂を剣から救い出し、私の身を犬どもから救い出してください」。
・転換点は22:22だ。関根正雄は22節を「あなたは終に私に答えたまいました」と訳する。そして後半の祈りが聞かれた讃美へと転調していく。詩篇22編は前半がイエスの受難を、後半がイエスの復活を象徴するようだ。
-ピリピ2:6-9「キリストは・・・死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました」。

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