江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2008年9月25日祈祷会(イザヤ11章、メシア預言)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.イザヤのメシア預言

・イザヤ書11章はメシア預言として知られている。メシア預言は現実の王に対する失望から来ている。イザヤはヒゼキヤ王に期待をかけ、彼を「平和の君」と称えたが(9:5)、ヒゼキヤも現実政治の中で右往左往する王に過ぎず、やがてアッシリアに対抗するために、主ではなくバビロニアの援助を求めてイザヤと対立した。
−イザヤ39:5-7「イザヤはヒゼキヤに言った『万軍の主の言葉を聞きなさい。王宮にあるもの、あなたの先祖が今日まで蓄えてきたものが、ことごとくバビロンに運び去られ、何も残らなくなる日が来る、と主は言われる。あなたから生まれた息子の中には、バビロン王の宮殿に連れて行かれ、宦官にされる者もある』」。
・「現実の平和」に期待できない預言者は、「神の平和」を祈り求める。ダビデに主の霊が与えられたように、ダビデ王家の中からイスラエルを救う新しいダビデ(エッサイはダビデの父の名)が現れることをイザヤは神に祈願した。
−イザヤ11:1-2「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊」。
・彼は主を畏れ、主により頼む。見える現実に惑わされることなく、人から聞いた話で判断しない。
−イザヤ11:3「彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。目に見えるところによって裁きを行わず、耳にするところによって弁護することはない」。
・彼は正義を腰の帯とし、真実を身に帯びる。弱い人の援助者であり、貧しい人を虐げることはない。
−イザヤ11:4-5「弱い人のために正当な裁きを行い、この地の貧しい人を公平に弁護する。その口の鞭をもって地を打ち、唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる。正義をその腰の帯とし、真実をその身に帯びる」。
・この新しい王の下でイスラエルはエデンの園にも似た神の平和に包まれる。
−イザヤ11:6-8「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く。牛も熊も共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛もひとしく干し草を食らう。乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼子は蝮の巣に手を入れる」。
・その日が来れば、国々の民は平和を求めてエルサレムに集う。
−イザヤ11:9-10「私の聖なる山においては、何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。水が海を覆っているように、大地は主を知る知識で満たされる。その日が来れば、エッサイの根はすべての民の旗印として立てられ、国々はそれを求めて集う。そのとどまるところは栄光に輝く」。

2.後世の人々はこの預言をどのように聞いたのか

・イザヤの預言は直接的にはアッシリアを打ち負かす者の出現待望であろう。同時代のミカの預言はもっと具体的だ。
−ミカ5:1-5「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、私のためにイスラエルを治める者が出る。・・・彼こそ、まさしく平和である。・・・アッシリアが我々の国土を襲い、我々の領土を踏みにじろうとしても彼らが我々を救ってくれる」。
・多くの人々がイザヤ11章を自分たちに向けられた希望の使信として読んできた。イザヤ11:11以下は捕囚後の人々(イザヤから170年後)がイスラエルとユダの民が再び集められる日を願った祈りの歌であろう(ユダも滅んでいる)。
−イザヤ11:11-12「その日が来れば、主は再び御手を下して、御自分の民の残りの者を買い戻される。彼らはアッシリア、エジプト、上エジプト、クシュ、エラム、シンアル、ハマト、海沿いの国々などに残されていた者である。主は諸国の民に向かって旗印を掲げ、地の四方の果てから、イスラエルの追放されていた者を引き寄せ、ユダの散らされていた者を集められる」。
・新約記者(イザヤから700年後)もイザヤ11章のメシア預言の中にキリストの誕生を見ている。
−ルカ2:10-11「天使は言った『恐れるな。私は、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである』。
・イエスご自身もイザヤの預言したメシアは自分だとの自覚を持っておられた。
−ルカ4:18-21「『主の霊が私の上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主が私に油を注がれたからである』。・・・イエスは『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した』と話し始められた」。
・イエスの引用は、第三イザヤ(イザヤ61:1-4)からのものであるが、第三イザヤそのものがイザヤの預言を再解釈している。預言者の言葉はその時には聴かれなくとも、後世に大きな希望の種を残す。それが預言(神の言葉)だ。
−イザヤ65:17-25「見よ、私は新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。・・・ 狼と小羊は共に草をはみ、獅子は牛のようにわらを食べ、蛇は塵を食べ物とし、私の聖なる山のどこにおいても、害することも滅ぼすこともない、と主は言われる」。

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