1.自壊するイスラエル
・ユダではアマツヤの子アザルヤ(ウジヤ)が即位し、52年間の繁栄の時を過ごした。アザルヤは歴代誌ではウジヤと呼ばれる。領土が広がり、国は繁栄した。
−?列王記15:1「イスラエルの王ヤロブアムの治世第二十七年に、ユダの王アマツヤの子アザルヤが王となった」。
−?歴代史26:6-8「彼は出て行ってペリシテ人と戦い、ガトの城壁、ヤブネの城壁、アシュドドの城壁を破壊し、アシュドドをはじめペリシテ人の地方に幾つかの町を建てた。神は彼を助け、ペリシテ人のみならずグル・バアルに住むアラブ人やメウニム人にも立ち向かわせられた。アンモン人もウジヤに貢ぎ物を献上した。ウジヤの勢いはこの上もなく増大し、その名声はエジプトに近い地方にまで届いた」。
・しかし、彼は傲慢になったために主が彼を撃たれ、晩年はらい病に冒され、子のヨタムが治世を取り仕切った。
このウジヤ王の死の年(前759年)に、預言者イザヤが召命を受けた。
−イザヤ6:1-8「ウジヤ王が死んだ年のことである。私は、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。・・・ そのとき、私は主の御声を聞いた『誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか』。私は言った『私がここにおります。私を遣わしてください』」。
・他方、イスラエルではヤロブアムの子ゼカルヤが王位につくが、6ヵ月後には謀反を起こしたシャルムに殺され、イエフ王朝は滅んだ。預言の通りである(列王記下10:30)。
−?列王記15:8-10「ユダの王アザルヤの治世第三十八年に、ヤロブアムの子ゼカルヤがサマリアでイスラエルの王となり、六か月間王位にあった。彼は・・・イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を離れなかった。ヤベシュの子シャルムが謀反を起こし、民の前でゼカルヤを打ち殺し、代わって王となった」。
・ゼカルヤに代わって王となったシャルムは1ヵ月後にはメナヘムに殺された。この前747年には三人の王が次々に代わっていった(ゼカルヤ〜シャルム〜メナヘム)。イスラエルは罪の故に自壊し始めていた。
−?列王記15:13-14「ユダの王ウジヤの治世第三十九年に、ヤベシュの子シャルムが王となり、一か月間サマリアで王位にあった。ガディの子メナヘムは、ティルツァからサマリアに上って来て、そのサマリアでヤベシュの子シャルムを打ち殺し、代わって王となった」。
2.預言者の言葉を聞かなかったイスラエルの滅亡
・この王国の混乱の中にアッシリアの影が延び始める。メナヘムは10年間王位にあり、子のペカフヤが王につくが2年でペカの反乱により殺される。このペカの時代にイスラエルはアッシリアに攻められ、領土の多くを失う。
−?列王記15:29「イスラエルの王ペカの時代に、アッシリアの王ティグラト・ピレセルが攻めて来て、イヨン、アベル・ベト・マアカ、ヤノア、ケデシュ、ハツォル、ギレアド、ガリラヤ、およびナフタリの全地方を占領し、その住民を捕囚としてアッシリアに連れ去った」。
・ペカはアッシリアの支援を受けたホシュアに殺される(前731年)。
−?列王記15:30「エラの子ホシェアはレマルヤの子ペカに対して謀反を起こし、彼を打ち殺し、代わって王位についた。それはウジヤの子ヨタムの治世第二十年のことであった」。
・このホシェアの時代にイスラエルは滅ぶ。
−?列王記17:4-6「アッシリアの王は、ホシェアが謀反を企てて、エジプトの王ソに使節を派遣し、アッシリアの王に年ごとの貢ぎ物を納めなくなったのを知るに至り、彼を捕らえて牢につないだ。アッシリアの王はこの国のすべての地に攻め上って来た。彼はサマリアに攻め上って来て、三年間これを包囲し、ホシェアの治世第九年にサマリアを占領した。彼はイスラエル人を捕らえてアッシリアに連れて行き、ヘラ、ハボル、ゴザン川、メディアの町々に住ませた」。
・イスラエルを滅ぼしたのはアッシリアではなく、神であった。彼らは罪により、自壊していった。主は預言者を起こして彼らの悔い改めを求められたが、彼らは聞こうとしなかった。
−アモス7:7-9「見よ、主は手に下げ振りを持って、下げ振りで点検された城壁の上に立っておられる。主は私に言われた『アモスよ、何が見えるか』。私は答えた『下げ振りです』。主は言われた『見よ、私はわが民イスラエルの真ん中に下げ振りを下ろす。もはや、見過ごしにすることはできない。イサクの塚は荒らされイスラエルの聖なる高台は廃虚になる。私は剣をもってヤロブアムの家に立ち向かう』」。
−ホセア14:1「サマリアは罰せられる。その神に背いたからだ。住民は剣に倒れ、幼子は打ち殺され、妊婦は引き裂かれる」。