江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2006年12月27日祈祷会(サムエル記上14章、愚かな指導者にどう対応するのか)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.ヨナタンの信仰がイスラエルを救う

・ペリシテの圧倒的な大軍勢を前にイスラエルの戦意は衰え、兵は逃げ出した。また、イスラエルは十分な武器もなかった。このような劣勢を打開するために、サウルの子ヨナタンがあえて無謀な行為に出る。
―?サムエル14:1「ある日、サウルの息子ヨナタンは自分の武器を持つ従卒に言った「さあ、渡って行き、向こう岸のペリシテ人の先陣を襲おう」。ヨナタンはこのことを父に話していなかった」。
・ヨナタンは敵の対応の中に神のしるしを求める。ヨナタンが姿を見せた時、敵が勇敢であれば追って来る。その時、彼は動かない。敵が「こちらに来い」と言うのであれば、それは数を頼む臆病があることだから攻めて行こう。
―?サムエル14:8-10「ヨナタンは言った「よし、あの者どもの所へ渡って行って、我々の姿を見せよう。その時、彼らが『お前たちの所へ着くまでじっとしていろ』と言うなら、そこに立ち止まり、登って行くのはよそう。もし『登って来い』と言えば、登って行くことにしよう。それは、主が彼らを我々の手に渡してくださるしるしだ」。
・ヨナタンは無謀ではない。彼は無意味に少数で大勢の敵に向かうのではなく、敵の勇気を測った上で行為しようとしている。信仰の冒険とは、人間の現実を認識した上で、それを超える神の現実を求めることだ。
―?サムエル14:6「ヨナタンは自分の武器を持つ従卒に言った「あの無割礼の者どもの先陣の方へ渡って行こう。主が我々二人のために計らって下さるにちがいない。主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない」。
・ヨナタンは岩を登り、敵を倒した。予想外の敗北の報がペリシテ軍にパニックを引き起こす。神も動かれた。
―?サムエル14:14-15「ヨナタンと従卒がまず討ち取った者の数はおよそ二十人だった。・・・恐怖が陣営でも野でも兵士全体に広がり、先陣も遊撃隊も恐怖に襲われた。地は揺れ動き、恐怖はその極に達した」。

2.愚かな行為も聖なる行為に変わりうる

・ペリシテ軍の動揺はサウル軍にもわかった。イスラエルはこの機をとらえてペリシテ軍を襲い、大勝利となる。
―?サムエル14:20-23「兵士全員は一団となって戦場に出て行った。そこでは、剣を持った敵が同士討ちをし、大混乱に陥っていた。それまでペリシテ側につき、彼らと共に上って来て陣営に加わっていたヘブライ人も転じて・・・イスラエル軍に加わった。また、エフライムの山地に身を隠していたイスラエルの兵士も皆、ペリシテ軍が逃げ始めたと聞くと、戦いに加わり、ペリシテ軍を追った。こうして主はこの日、イスラエルを救われた」。
・ここでサウルは「戦いが完全に勝利するまで飲食するな」という愚かな命令を出す。このため、イスラエルはペリシテを殲滅する機会を逃した。ヨナタンは父の愚かさを批判する。
―?サムエル14:24-30「この日、イスラエルの兵士は飢えに苦しんでいた。サウルが「日の落ちる前、私が敵に報復する前に、食べ物を口にする者は呪われよ」と言って、兵に誓わせていた。・・・ヨナタンは言った「今日兵士が、敵から取った戦利品を自由に食べていたなら、ペリシテ軍の損害は更に大きかっただろうに」」。
・サウルは「夜もペリシテ軍を追おう」と命じたが、兵は懐疑的だった。神に託宣を請うたが、返事はなかった。
―?サムエル14:36-37「サウルは神に託宣を求めた「ペリシテ軍を追って下るべきでしょうか。彼らをイスラエルの手に渡してくださるでしょうか」。しかし、この日、神はサウルに答えられなかった」。
・サウルは誰かが罪を犯したために神が答えてくださらないと思い、くじを引いたら、子のヨナタンにあたった。サウルはヨナタンを殺そうとするが、民の反対で思い止まる。王の愚かさよりもヨナタンの勇気を民は支持した。
―?サムエル14:43-45「兵士はサウルに言った「イスラエルにこの大勝利をもたらしたヨナタンが死ぬべきだというのですか・・・今日、神があの方と共にいて下さったからこそ、この働きができたのです。神は生きておられます。あの方の髪の毛一本も決して地に落としてはなりません」。こうして兵士はヨナタンを救い、彼は死を免れた」。
・信仰の行為であっても、行き過ぎた禁止は害しかもたらさない。イラクへの侵攻は現代の十字軍だ。神はイスラムとの共存を求めておられる。求めるべきは信仰であって自分たちの思いではない。
―ルカ22:42-44「父よ、御心なら、この杯を私から取りのけてください。しかし、私の願いではなく、御心のままに行ってください」。・・・イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた」。
・1995年、内戦中のボスニアの修道院で、一人の修道女が兵士に暴行を受けて身ごもった。彼女は院長に手紙を書いて修道院を出た。その手紙は愚かな行為も信仰によって聖なる行為に変わりうることを示す。
―ボスニアの修道女の手紙「私はこのまま、去ります。おなかの中にいる子と一緒に。貧困が私を待っていますが、母と二人でふるさとの森に樹脂をとりに行って生計をたてるでしょう。そして私は、われわれの土地をズタズタにした憎悪怨念というものを断ち切るという、人間にとっては不可能なことを、今後の一生の仕事といたしましょう。生まれて来る子に、私は日々刻々たった一つのことを教えたいのです。すなわち「他人を、すべての他人を、愛すること」。暴力憎悪によって生を受けたその子が人間にとっての唯一の名誉つまりゆるしの生き証人となるように・・・愛とゆるしによる和の建設者とその子がなるように」

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