江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2006年11月8日祈祷会(サムエル記上4章、栄光がイスラエルを去る)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.主の契約の箱が奪われる

・士師の時代、イスラエルはペリシテの軍事力に圧迫されていた。彼らは戦車と鉄製武器でイスラエルを圧倒し、地中海沿岸から内陸に攻め入り、イスラエルと攻防を繰り返した。
―?サムエル4:1-2「イスラエルはペリシテに向かって出撃し、エベン・エゼルに陣を敷いた。一方、ペリシテ軍はアフェクに陣を敷き、イスラエル軍に向かって戦列を整えた。戦いは広がり、イスラエル軍はペリシテ軍に打ち負かされて、この野戦でおよそ四千の兵士が討ち死にした」。
・イスラエルはペリシテとの戦いに勝つために、中央聖所にあった主の契約の箱を前面に立てて戦おうとした。主の力を借りようと思ったからである(*主の契約の箱=モーセに与えられた十戒の板を収めた箱、主の臨在の象徴だった)。
―?サムエル4:3-5「主の契約の箱をシロから我々のもとに運んで来よう。そうすれば、主が我々のただ中に来て、敵の手から救ってくださるだろう。・・・エリの二人の息子ホフニとピネハスも神の契約の箱に従って来た。主の契約の箱が陣営に到着すると、イスラエルの全軍が大歓声をあげたので、地がどよめいた」。
・ペリシテ軍は恐れたが、戦ってみるとイスラエルに勝つことが出来たし、箱を奪うことも出来た。信仰が無ければ契約の箱も単なる物質に過ぎない。主の晩餐式のパンとぶどう酒も同じく、信仰なしに受取っても単なるものに過ぎない。
―?サムエル4:10-11「ペリシテ軍は戦い、イスラエル軍は打ち負かされて、それぞれの天幕に逃げ帰った。打撃は非常に大きく、イスラエルの歩兵三万人が倒れた。神の箱は奪われ、エリの二人の息子ホフニとピネハスは死んだ」。
・神の箱や契約の板に力があるのではなく、神そのものに力があることを人は忘れる。人が、神は神であることを忘れその力を自分たちのために用いようとする時、神の箱も偶像になってしまう。偶像には何の力もない。
―イザヤ44:15-17「木は薪になるもの。人はその一部を取って体を温め、一部を燃やしてパンを焼き、その木で神を造ってそれにひれ伏し、木像に仕立ててそれを拝むのか。・・・残りの木で神を、自分のための偶像を造り、ひれ伏して拝み、祈って言う「お救いください、あなたは私の神と」。

2.主の栄光が去る

・大祭司エリは戦いに敗れ、主の箱は奪われ、息子たちも殺されたとの悲報を聞くと、いすから転げ落ちて死んだ。
―?サムエル4:12-18「ベニヤミン族の男が一人、戦場を出て走り、その日のうちにシロに着いた・・・知らせをもたらした者は答えた「イスラエル軍はペリシテ軍の前から逃げ去り、兵士の多くが戦死しました。あなたの二人の息子ホフニとピネハスも死に、神の箱は奪われました」。その男の報告が神の箱のことに及ぶと、エリは城門のそばの彼の席からあおむけに落ち、首を折って死んだ。年老い、太っていたからである」。
・エリの嫁、ピネハスの妻は、臨月だったが、神の箱が奪われ、夫も死に、舅も死んだことを知ると、落胆した。彼女は生まれてきた子どもにイ・カボトと名づけた。“主の栄光は去った”という意味である。
―?サムエル4:19-22「エリの嫁、ピネハスの妻は出産間近の身であったが、神の箱が奪われ、舅も夫も死んだとの知らせを聞くと、陣痛に襲われてかがみ込み、子を産んだ。・・・彼女は子供をイカボド(栄光は失われた)と名付けた」。
・栄光と訳されている“カボト”は、主の臨在を示す。出エジプト記においては、臨在の雲が“カボト”と呼ばれる。
―出エジプト記13:21-22「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった」。
・バビロン軍によってエルサレムが撃たれた時、主の栄光がエルサレム神殿から去ったことをエゼキエルは幻の中で見た(エゼキエル書10章)。主が共におられれば荒野も神の国であり、主が去られたら約束の地も地獄になる。
―申命記31:16-17「主はモーセに言われた「あなたは間もなく先祖と共に眠る。するとこの民は直ちに、入って行く土地で、その中の外国の神々を求めて姦淫を行い、私を捨てて、私が民と結んだ契約を破るであろう。その日、この民に対して私の怒りは燃え、私は彼らを捨て、私の顔を隠す。民は焼き尽くされることになり、多くの災いと苦難に襲われる。その日民は、これらの災いに襲われるのは、私のうちに神がおられないからではないかと言う」。
・やがて、イスラエルの民は国を滅ぼされ、バビロンの地で捕囚になった。彼らは自分たちの神がバビロンの神に破れたから、自分たちは負けたのだと思った。しかし、倒れても自分で起き上がることの出来ないバビロンの偶像神を見て間違いに気づいた。自分たちがエルサレム神殿という偶像崇拝をしていたからこそ自分たちは打たれた事に気づいた。
―イザヤ46:1-4「ベルはかがみ込み、ネボは倒れ伏す。彼らの像は獣や家畜に負わされ、お前たちの担いでいたものは重荷となって、疲れた動物に負わされる。・・・私に聞け、ヤコブの家よ、イスラエルの家の残りの者よ、共に。あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。同じように、私はあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。私はあなたたちを造った。私が担い、背負い、救い出す」。

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