江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2003年6月4日祈祷会(出エジプト記12章、主の過越)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.主の過越(1−28節)

・モーセは民を集め、過越の準備をするように命じる。
―出エジプト記12:21-23「家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入り口の二本の柱に鉢の中の血を塗りなさい。翌朝までだれも家の入り口から出てはならない。 主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過ぎ越される。滅ぼす者が家に入って、あなたたちを撃つことがないためである。」
・血は命である。被造物の血が流されることによって、イスラエルの血が流れずにすむ。神は羊をほふることにより、イスラエルの罪を購われる。
―レビ記17:10-11「生き物の命は血の中にある。私が血をあなたたちに与えたのは、祭壇の上であなたたちの命の贖いの儀式をするためである。血はその中の命によって贖いをするのである。」
・イスラエルの民は、この過越の出来事を祭儀の中で、繰り返し、想起する。
―出エジプト記12:13-14「あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。」
・民は神の言葉に接して、礼拝した。

2.初子の死(29−36節)

・全世界が闇に包まれるとき、その出来事が起こった。
―出エジプト記12:29-30「真夜中になって、主はエジプトの国ですべての初子を撃たれた。王座に座しているファラオの初子から牢屋につながれている捕虜の初子まで、また家畜の初子もことごとく撃たれたので、ファラオと家臣、またすべてのエジプト人は夜中に起き上がった。死人が出なかった家は一軒もなかったので、大いなる叫びがエジプト中に起こった。」
・疫病がエジプト中を襲い、幼児が犠牲になった。神の予言が実現された。
―出エジプト記4:23「わたしの子を去らせてわたしに仕えさせよと命じたのに、お前はそれを断った。それゆえ、わたしはお前の子、お前の長子を殺すであろう』と。」
・この出来事がなければエジプト王は民を解放しなかったであろう。この出来事の後、王は神の前にひざまずき、民の解放を誓った。エジプト王と神の戦いは、誰が全地を支配しているかの主権の争いであった。人は神の主権を認めるために、その初子を神にささげる。
―出エジプト記13:2「すべての初子を聖別してわたしにささげよ。イスラエルの人々の間で初めに胎を開くものはすべて、人であれ家畜であれ、わたしのものである。」

3.エジプト脱出(37−51節)

・こうしてイスラエルの民はエジプトを出た。エジプトを出たものは男子だけで60万人であった。
―出エジプト記12:37「イスラエルの人々はラメセスからスコトに向けて出発した。一行は、妻子を別にして、壮年男子だけでおよそ六十万人であった。」
・女子供を入れると200万人になる。これは出エジプト記が書かれたダビデ・ソロモンの時代のイスラエルの全人口だった。神の救済の業が過去のことではなく、現在も続くとの信仰告白である。
―出エジプト記12:26-27「あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」
・民がエジプトを出るとき、主は寝ずの番をされた。この出来事もまた礼拝の一部になった。
―詩篇121:7-8「主がすべての災いを遠ざけて/あなたを見守り/あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。」
・イエスは過越の祭りの時に十字架につかれた。過越の出来事は時代を超えた出来事だ。
―?コリント5:7「古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。」

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