江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2002年11月13日祈祷会(創世記34章、シケムからベテルへ)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.シケムでの出来事

・カナンの地に戻ったヤコブは、ヨルダン川沿いのシケムの土地を買い、そこに祭壇を建てて住んだ。
―創世記33:18-20「ヤコブはパダンアラムからきて、無事カナンの地のシケムの町に着き、町の前に宿営した。彼は天幕を張った野の一部をシケムの父ハモルの子らの手から百ケシタで買い取り、そこに祭壇を建てた。」
・しかし、そのシケムで、娘のデナが地の男に陵辱されるという出来事が起こった。
―創世記34:1-2「レアがヤコブに産んだ娘デナはその地の女たちに会おうと出かけて行ったが、その地のつかさ、ヒビびとハモルの子シケムが彼女を見て、引き入れ、これと寝てはずかしめた。」
・異邦人との結婚を禁じていたイスラエルの一族にとって、これは許すことの出来ない辱めであった。
―創世記34:31「彼らは言った、『わたしたちの妹を遊女のように彼が扱ってよいのですか』」
・シケムの男たちは、デナを嫁に欲しいと申し出るが、ヤコブの息子たちは策略を使って、彼らへの報復を図る。
―創世記34:13-16「ヤコブの子らはシケムが彼らの妹デナを汚したので、シケムとその父ハモルに偽って答え、彼らに言った、『われわれは割礼を受けない者に妹をやる事はできません。・・・もしあなたがたのうち男子がみな割礼を受けて、われわれのようになるなら、われわれの娘をあなたがたに与え、あなたがたの娘をわれわれにめとりましょう。そしてわれわれはあなたがたと一緒に住んで一つの民となりましょう。』」
・シケムの男たちが割礼を受けて苦しんでいる処をヤコブの子たちは襲い、男たちを皆殺しにした。
―創世記34:25-26「三日目になって彼らが痛みを覚えている時、ヤコブのふたりの子、すなわちデナの兄弟シメオンとレビとは、おのおのつるぎを取って、不意に町を襲い、男子をことごとく殺し、またつるぎの刃にかけてハモルとその子シケムとを殺し、シケムの家からデナを連れ出した。」

2.シケムからベテルへ

・この出来事の為、ヤコブ一族はシケムに住み続ける事が出来なくなり、町を出ることになる。
―創世記34:30「あなたがたは私をこの地の住民、カナンびととペリジびとに忌みきらわせ、私に迷惑をかけた。私は、人数が少ないから、彼らが集まって私を攻め撃つならば、私も家族も滅ぼされるであろう」
・この出来事において、ヤコブは何の主導権も発揮できず、息子たちが全てを決定した。旅人、寄留者であるヤコブが定住(持つこと)を始めた時、彼は力を無くしてしまった。後に彼は息子たちの行為を非難している。
―創世記49:5-7「シメオンとレビとは兄弟。彼らのつるぎは暴虐の武器。わが魂よ、彼らの会議に臨むな。わが栄えよ、彼らのつどいに連なるな。彼らは怒りに任せて人を殺し、ほしいままに雄牛の足の筋を切った。彼らの怒りは、激しいゆえにのろわれ、彼らの憤りは、はなはだしいゆえにのろわれる。」
・力を無くし、打ち沈むヤコブに、主は悔改めて本来の地であるベテルの戻れと言われた。
―創世記35:1「神はヤコブに言われた、『あなたは立ってベテルに上り、そこに住んで、あなたがさきに兄エサウの顔を避けてのがれる時、あなたに現れた神に祭壇を造りなさい』」
・ベテルこそ、ヤコブの出発の地である。始めて神と出会い、誓願を立てた場所であった。
―創世記28:19-21「その所の名をベテル(ベート・エル=神の家)と名づけた。・・・ヤコブは誓いを立てて言った、『神がわたしと共にいまし、わたしの行くこの道でわたしを守り、食べるパンと着る着物を賜い、安らかに父の家に帰らせてくださるなら、主をわたしの神といたしましょう。』」
・そして、全ての偶像を捨て、ただ神だけに依り頼んで生きることを決意する。寄留者ヤコブの再生である。
―創世記35:2-3「ヤコブは、その家族および共にいるすべての者に言った、「あなたがたのうちにある異なる神々を捨て、身を清めて着物を着替えなさい。われわれは立ってベテルに上り、その所で私の苦難の日に私にこたえ、かつ私の行く道で共におられた神に祭壇を造ろう」。
・ヤコブの生涯は寄留者の生涯であった。彼はベエルシバに家族と共に住んでいたが、兄エソウの長子権を騙し取ったことで流浪の生涯が始まる。ベエルシバを逃れたヤコブはベテルで神と出会い、約束を受けてハランに行く。ハランでの20年間は苦労の連続であったが、神はヤコブを守り、彼に家族と財産を与える。帰郷したヤコブはペヌエル(=神の顔の意)で神と出会い、エソウとの和解をすることが出来た。シケムにしばらく住むが、そこは本来の地ではないことを知らされ、ベテルに導かれる。ヤコブはベテルに行く前に、全ての過去を清算するために偶像の一切を捨て、ただ神に出会う為に旅を続けた。
・私たちも寄留者として主の導きに従って歩む。私たちが寄留者であることを止め、定住者(持つ者)になろうとする時、私たちは主から離れる。シケムの出来事は私たちにそう告げる。

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