1.二度目の伝道旅行を通しての出会い
・使徒言行録を読み続けています。パウロはアンティオキア教会から送り出されて、三度の伝道旅行をしています。最初の伝道旅行から帰国後、パウロは再びアンティオキア教会で働き働き始めますが、母教会のエルサレム教会との間に、異邦人にも割礼を施すべきかをめぐって意見の対立が生じます。割礼の強制は異邦人伝道を事実上閉ざすことになります。問題を協議するためにパウロたちはエルサレムに上り(15:1-2)、議論の末、異邦人に割礼を強制しない方向で会議の結論が出ます。パウロはこの喜ばしい知らせを伝えるために、先の伝道旅行で生まれた小アジアの異邦人諸教会を再度訪問することを計画し、今度はシラスを同行者にして出かけます。この二回目の伝道旅行の有様を描いた箇所が使徒16章です。
・パウロとシラスは、今回は陸路を通ってシリア、キリキア地方に行き、さらに進んで小アジアのデルベ、リストラへ行きます。前回の訪問から5年が経っていました。彼らはエルサレム会議の知らせを伝えながら教会を再訪します。最初の訪問地デルベで、後にパウロの最愛の弟子となるテモテが与えられ、彼も旅に同行します。その後、彼らはアジア州の州都エフェソに向かおうとしますが、「聖霊が禁じた」ので、海岸地方のトロアスに向かいます。そのトロアスで一行はルカと出会います。後にルカ福音書と使徒言行録を書くことになるルカです。そしておそらくルカの先導でマケドニアに行きます。
・「聖霊が禁じた」、何らかの事情で、予定の訪問が出来なくなったのでしょう。パウロは病気になり、医者を求めて港町のトロアスに行き、そこで医者ルカに出会ったのではないかとされます。「聖霊が禁じた」、私たちの人生においても、思わぬ出来事により、希望が満たされず断念し、あるいは遠回りをすることがあります。しかし、後から振り返り、その遠回りこそ、神の導きだったことがわかる時があります。パウロたちはそのような体験を重ねながらフィリピに渡りますが、これは歴史的な一歩になりました。これを契機に福音がアジアから、初めてヨーロッパに伝えられたのです。
2.牢獄の中での讃美
・一行はフィリピに着き、その地で、リディアたちに出会い、ヨーロッパで最初の回心者を与えられます。ルカは記します「マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った・・・安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。私たちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした。ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。そして、彼女も家族の者も洗礼を受けた」(16:12-15)。
・その後、パウロたちは、「占いの霊に取りつかれた」女奴隷に出会います。今日で言う霊能者で、彼女は人々の運勢を占うことで人気が高く、主人たちはそれで商売をしていました。現代でも池袋や新宿の盛り場に行くと、多くの占い師がいて、若い女性たちが真剣な顔で彼らの託宣に耳を傾けています。人々は不安から将来のことを知り、安心したいのです。パウロはこの女性が悪霊に取りつかれていることを見抜き、その霊に言います「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」(16:18)。
・悪霊は彼女を離れ、彼女は病から解放されますが、そのことによってもう占いをすることが出来なくなりました。主人たちは金もうけの機会を失い、パウロたちを、騒動を起こす人物として告訴します(16:19)。告訴の背景にあるのは、リディアたちの改宗でしょう。当時キリスト教は異端として禁止されていたのに、それを宣教したことが罪とされたのです。「この者たちはユダヤ人で、私たちの町を混乱させております。ローマ帝国の市民である私たちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております」(使徒16:20-21)。
・パウロとシラスたちは、市当局者に捕えられ、鞭打たれ、投獄されます。不当な罪で投獄された彼らですが、ルカは「彼らは牢獄で讃美の歌」を歌ったと記します「(高官たちは)何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。この命令を受けた看守は、二人をいちばん奥の牢に入れて、足には木の足枷をはめておいた。真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた」(16:23-25)。ここにクリスチャンの本領があります。彼らは投獄という与えられた苦難を神からの試練と受け止め、この試練を通して、神は何か良いことを計画しておられると信じました。だから賛美します。そして神は彼らの信仰に応えて行動されます。
・二人が讃美していた時、大地震が起こり、牢の土台が揺らぎ、戸が開き、囚人たちを縛っていた鎖も外れました。目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思いこみ、責任を感じて自害しようとします。しかしパウロは大声で叫びます「自害してはいけない。私たちはここにいる」(16:28)。看守は「明かりを持って来させて牢の中に飛び込み、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、二人を外へ連れ出して言った『先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか』」(16:29-30)と尋ねます。二人は看守に伝えます「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」(16:31)。神を信じる者は囚われても自由であり、神を知らない者には本当の自由はないことを知った看守は、悔い改めて受洗し、家族もその後に洗礼を受けます。ルカは書きます「この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ」(16:34)。
3.善き力にわれ囲まれ
・パウロは獄中でキリスト賛歌を歌いました。同じく獄中でキリスト賛歌を歌ったのがD.ボンヘッファーです。本日の応答讃美歌73番は、デートリッヒ・ボンヘッファーが1944年に書いた手紙に中にあった「善き力にわれ囲まれ」という詩を基にしています。ボンヘッファーはナチス時代を生きたドイツの牧師です。1933年、ナチスが政権を取り、ユダヤ人迫害を始めると彼は抗議し、仲間の牧師たちと共に告白教会を組織し、「不正な指導者には従うな」と呼びかけます。彼は政権ににらまれ、心配した友人たちはニューヨークのユニオン神学校の職をボンヘッファーに提供し、1939年彼はアメリカに渡りますが、1ヶ月間いただけですぐドイツに帰ります。「祖国の人々が犠牲になって苦しんでいる時、自分だけが平穏な生活を送ることは出来ない、苦しみを共にしなければ、もう祖国の人に福音を語れない」と思ったからです。
・彼はドイツに戻り、ヒットラー暗殺計画に加わります。彼は語ります「車に轢かれた犠牲者の看護をすることは大事な務めだ。しかし、車が暴走を続け、新しい被害者を生み続けているとすれば、車自体を止める努力をすべきだ」。暴走を続けるナチスを止めるには、その頭であるヒットラーを倒すしかない。そう考えたボンヘッファーは国防軍情報部に入り、ヒトラー暗殺計画を推し進め、発覚し、1943年4月に捕らえられます。1年半後の1944年12月に彼は獄中から家族にあてて手紙を書きますが、そこに同封されていたのが、讃美歌の元になった詩です。
・1番は次のような詩です。「善き力にわれ囲まれ、守り慰められて、世の悩み共に分かち、新しい日を望もう」。1年半にわたって彼は投獄されています。その中で、家族や友人が彼のために祈り続けてくれる事を感謝し、それを与えてくれた神の守りを「善き力に囲まれ」と歌います。ナチスに対する反逆罪で捕らえられた彼は死刑になることを覚悟しています。また牧師として、暗殺行為に関ったことが良かったのか、迷いはあります。その迷いの中で「過ぎた日々の悩み重く、なおのしかかる時も、さわぎ立つ心しずめ、御旨に従い行く」と歌います。
・2番が続きます「たとい主から差し出される杯は苦くとも、恐れず感謝をこめて、愛する手から受けよう」。主から差し出される杯は「死」かもしれない。釈放されてまた家族や友人との楽しい日々に戻りたいと願いますが、それは適わないかもしれない。その時は主から差し出される杯をいただこう。このよこしまな、曲がった時代の中にも、神の光は輝いている。「輝かせよ、主のともし火、われらの闇の中に。望みを主の手にゆだね、来るべき朝を待とう」と彼は歌います。いつ処刑されるかわからない不安の中にありながら、主にある平安を彼は喜びます「善き力に守られつつ、来るべき時を待とう。夜も朝もいつも神は、われらと共にいます」。4ヵ月後、1945年4月に彼は絞首刑を受け、39歳の若さで死んで行きます。
・西南学院大学神学部の片山寛先生は、この讃美歌は私たちの讃美だと語ります「ある日突然、自分が重い病気にかかっていることがわかる。もしかすると1年以内に世を去らなければならないかも知れない。家のローンは残っているし、子どももまだ小さい。いったいどうしたらいいのか。そういう時が、実際来る。その時、出来合いの答えなど全く存在しない。私たちはそういう中で、もがきながら苦闘するしかなく、聖書を取って必死で読む。苦しくて永い苦闘の時が過ぎ、私たちはようやく最後に自分なりの答えに辿り着く。こう生きていったら良い、そのとき始めて私たちは気がつく。その答えは最初から聖書の中に書かれていた、最初から聖書を通して語られていた」(2008年3月8日「大いなる笑い」から)。私たちはなぜ繰り返し聖書を読み続けるのか。聖書の中に私たちの歩むべき道が示されていると信じるからです。
4.生ける神との出会いこそ救い
・リディアや看守家族を中心に、フィリピに教会が生まれます。パウロは第三次旅行の折もフリピを訪問し、フィリピ教会はパウロの伝道旅行を経済的に支える教会になります。その後、パウロはローマで再び投獄されますが、フィリピの人々は獄中のパウロを慰めるために贈り物を届けます。それに対するパウロの感謝の手紙が「フィリピ人への手紙」です。今日の招詞にフィリピ4:4-5を選びました。次のような言葉です「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます」。パウロはローマの獄の中にいます。処刑の日は近いと感じていたようです。その囚われの身のパウロが、自由の身であるフィリピの人々に、「私が喜んでいるように喜びなさい」と書き送ります。私たちの毎日は常に喜べる状況ではありません。挫折も失意も裏切りもありますが、その中で喜んで行くのがキリスト者ではないかとパウロは言います。パウロは続けます。「どんなことでも、思いわずらうのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(フィリピ4:6-7)。
・フィリピ牢獄の看守は地震によって囚人たちが逃げてしまったと思い、責任をとって自害しようとしましたが、パウロの執り成しで一命を取り留め、家族全員が洗礼に導かれました。一人の人が信仰に導かれることを通して家族もまた救われていきます。その救いとは死んで天国に行くことではありません。そうではなく、神の平安が今、与えられる事です。パウロの言葉を借りれば「あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」。この後、この家族がどうなったのかはわかっていません。しかしこの家族はもうどのような事態になっても死を考えることはないでしょう。何故ならば彼等は自分たちが神により生かされていることを知ったからです。一度救われた体験を持つ者は将来に不安を持つことはない。この神にある平安こそ福音の宝なのです。