江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

聖書教育の学び

2022年6月12日聖書教育の学び(2019年3月27日祈祷会、コロサイ1章、異なった福音に迷うな)

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1.コロサイ教会への手紙

 

・コロサイはアジア州の州都エフェソから東に170㎞離れたところにあり、そこでは高原が広がり、牧羊がなされ、町は羊毛の採取、染色、取引等で栄えていたと記録されている。「フィレモンの手紙」の宛先がコロサイ教会であり、その地で奴隷から解放されたオネシモが手紙の持参人として、コロサイに向かうとされている(4:9)。コロサイの町は紀元60年の大地震により消滅し、その後再建されなかったと言われており、手紙が書かれたのはフィレモンの手紙から数年後、紀元50年代後半と思われる(有力な説としてコロサイ書はパウロ以後に書かれたともいわれるが、ここではパウロによって書かれた手紙として釈義する)。

・コロサイ教会は使徒パウロの協力者エパフロスの宣教によって立てられたが(1:7)、そのエパフロスは今パウロと共にエフェソにいる(4:12)。ところが異端の教えで教会が混乱したため、エパフラスは獄中にいるパウロを訪ねて教会の問題について相談し、パウロは要請を受けて手紙を書いた。

-コロサイ1:1-4「神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロと兄弟テモテから、コロサイにいる聖なる者たち、キリストに結ばれている忠実な兄弟たちへ。私たちの父である神からの恵みと平和が、あなたがたにあるように。私たちは、いつもあなたがたのために祈り、私たちの主イエス・キリストの父である神に感謝しています。あなたがたがキリスト・イエスにおいて持っている信仰と、すべての聖なる者たちに対して抱いている愛について、聞いたからです」。

・コロサイの人々はキリストの福音を、パウロの弟子エパフラスの宣教によって信じた。

-コロサイ1:5-8「それは、あなたがたのために天に蓄えられている希望に基づくものであり、あなたがたは既にこの希望を、福音という真理の言葉を通して聞きました。あなたがたにまで伝えられたこの福音は、世界中至るところでそうであるように、あなたがたのところでも、神の恵みを聞いて真に悟った日から、実を結んで成長しています。あなたがたは、この福音を、私たちと共に仕えている仲間、愛するエパフラスから学びました。彼は、あなたがたのためにキリストに忠実に仕える者であり、また、"霊"に基づくあなたがたの愛を知らせてくれた人です」。

 

2.誤った福音による教会の混乱

 

・神は御子を十字架につけ、その血により私たちを贖われ=買戻され、その贖いによって死ぬべき私たちが生きるものとされた。救いは恵みであり、私たちはこの恵みを神からいただいた。その事を感謝する応答として行為が生まれる。恵みと感謝が信仰・希望・愛を生んでいく。

-コロサイ1:9-12「霊によるあらゆる知恵と理解によって、神の御心を十分悟り、すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、神をますます深く知るように。そして、神の栄光の力に従い、あらゆる力によって強められ、どんなことも根気強く耐え忍ぶように。喜びをもって、光の中にある聖なる者たちの相続分に、あなたがたがあずかれるようにしてくださった御父に感謝するように」。

・しかし、人々は信仰に行為を求める。信じるだけで救われないと思うからだ。現代でも同じだ。禁欲しなければ救われないとする人々は「禁酒禁煙」を救いの要件とし、律法を重視する人々は「洗礼」なしに救いは無いと主張する。救いは神からの恵みであって人が勝ち取るものではない。救いを自分の力で得ようとする時に、人は異なった福音に曲がっていく。

-コロサイ1:13-14「御父は、私たちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。私たちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです」。

・コロサイを混乱させていた異端は「グノーシス主義」とされる。「グノーシス」、ギリシャ語・知識、ギリシャ哲学の影響を受けた異端である。ギリシャ哲学では「肉体は魂の牢獄である」と考える。霊は清いが肉は汚れていると考えたコロサイの偽教師たちは、「神は霊であり、イエスも神の子であれば霊であるはずであり、従って十字架で死ぬはずもないし、体が復活することもありえない」と主張していた。十字架と復活を否定する教えをパウロは容認できない。パウロは反論する。

 

3.御子を通して示された神の恵みをただ受けなさい

 

・神は御子を通して、恵みを示された。神は見えない故に、御子キリストを通して、私たちは神を知る。15-20節は当時の教会の礼典式文とされる。パウロはここに式文を挿入して、信仰の根幹を示す。

-コロサイ1:15-17「御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています」。

・神は御子を十字架につけ、その血により私たちを贖われた。その贖いによって死ぬべき私たちが生きるものとされた。十字架と復活の中に、神の愛は十全に示されている。

-コロサイ1:18-20「御子はその体である教会の頭です。御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました」。

・この和解によって、闇の中にいた者が光の中を歩む事を赦された。私たちは教会に集められ、この教会こそが神の国を先取りするものとして示された。だから、この福音から離れてはいけない。

-コロサイ1:21-23「あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、傷のない者、とがめるところのない者としてくださいました。ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません」。

・そのために私が苦しむ必要があるなら、私は喜んで苦しもう。キリストのために苦しむことこそ、キリストに従うことなのだ。パウロは獄中にある事を、キリストの故に喜ぶ。

-コロサイ1:24「今や私は、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています」。

 

4.グノーシス主義とは何か(2016年10月2日篠崎教会説教から)

 

・パウロはなぜコロサイ教会に手紙を書いたのか。それは福音の教えを根底から覆すグノーシスと呼ばれる新興宗教運動がコロサイ教会にも押し寄せ、教会の教えが曲がり始めていたからだ。その新興宗教の内容が2章に記されている「あなたがたは食べ物や飲み物のこと、また、祭りや新月や安息日のことでだれにも批評されてはなりません・・・偽りの謙遜と天使礼拝にふける者から、不利な判断を下されてはなりません」(2:16-18)。「偽りの謙遜と天使礼拝」、救われるためには「断食や禁欲的な戒律を守らなければいけない。また天使(諸霊)を崇めることも大事だ」と唱える人々が出始めていた。人間は無条件の救いを信じることが出来ず、救いには人間側の努力が必要だと考える。

・神は御子を通して、恵みを示された。神は見えない故に、御子キリストを通して、私たちは神を知る。神は御子を十字架につけ、その血により私たちを贖われ、その贖いによって死ぬべき私たちが生きるものとされた。十字架と復活の中に、神の愛は十全に示されているとパウロは語る。この十字架と復活の和解によって、闇の中にいた私たちが光の中を歩む事を赦され、私たちは教会に集められ、教会が神の国を先取りするものとして示された。だから、「この福音から離れてはいけない」とパウロは語る。

・コロサイにおける異端は、「救われるためにはキリストの贖いだけでは十分ではなく、断食や苦行や禁欲的な戒律を守ることが必要だ」と主張していた。宗教的苦行に没頭し、そこでの自己の体験を絶対化して誇る者は、「世を支配する霊に従う者だ」とパウロは語る。断食や苦行は人の宗教心を満足させるが、神から見れば何の価値もない。人間の罪は苦行や禁欲によって克服されるほどの生易しいものではない。だからキリストは死ななければならなかった。そして人は洗礼を受けてキリストと共に葬られる(死ぬ)ことを通して、自然界の諸力=ストイケイア、悪魔的霊力、あるいは罪から自由になるとパウロは語る。

・現代人の行動規範は損得原則である。損得原則の中では他者関係は希薄化し、それが個人の生きる力を削いでいる。日本においては自殺未遂者が年間53万人に上る (日本財団推計)。内訳では女性が多く、年代別では20代、30代と若い世代が多く、原因は「離婚」「事業不振」「失恋」「失業」「家庭内暴力」「家族の不和」「子育ての悩み」等とされている。心理学では「有意味感」(自己肯定感)が高いと、前向きに対処できるが、有意味感が持てないと、生きる力が萎えると教える。人はだれかを愛し、誰かを信じないでは生きていけない存在だ。その愛や真実を人から奪い去り、生きる力を失わせる悪魔的霊力がこの世に働いている。

・教会はこの悪を克服する使信を十字架に見る。神は私たちにキリストを送られ、人間の罪がキリストを十字架につけるままに任された。私たちはキリストの十字架死を通して、「逆らう者は殺す」という人間の「罪の原点」を見た。しかし同時に、神はイエスを死から起こすことを通して、悪(罪)を放置することを許されない意思を示された。ここに福音の力がある、だから「キリストの十字架を見上げることによって、この世の悪的霊力から解放され、信仰・希望・愛の世界に生きる」とパウロは語っている。

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