2019年3月24日説教(ルカ17:11-19、癒しから救いへ)
1.十人のらい病者の癒し
・ルカ17章には、イエスがエルサレムに向かわれる途上で体験された一つのエピソードが記されています。「イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた」(17:11)。ユダヤ人は異邦人と混血したサマリア人を嫌い、彼らと交わろうとしませんでした。ですからガリラヤからエルサレムに向かう時、サマリア地方を通る道筋が近いのに、あえてサマリアを迂回してヨルダン川東岸を通ってエルサレムに向かいました。「エルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた」とは、そのことを意味しています。サマリアは、かつては北王国があった場所ですが、紀元前8世紀に北王国はアッシリアに国を滅ぼされ、住民の多くはアッシリアに強制移住させられ、残った民はアッシリアから移民してきた民族と混血していったため、ユダヤ人からは汚れた民族として忌み嫌われ、ユダヤ人とサマリア人は反目し合うようになりました。イエスが育ったガリラヤはユダヤ人の町でしたが、ガリラヤのユダヤ人がエルサレムに上る時は、サマリアを迂回していくのが普通でした。
・イエスがある村に入られると、ハンセン病を患っている十人の人が出迎えたとルカは記します「ある村に入ると、重い皮膚病(らい病)を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて『イエスさま、先生、どうか、私たちを憐れんでください』と言った」(17:12-13)。らい病(ヘブル語ツァーラト)は伝染病として、また神から呪われた病とされて、人々から忌み嫌われていました。そのため、「自分はらい病なので近寄らないでくれ」と叫ぶことを義務付けられていました(レビ記13:45-46)。だから彼らは遠くからイエスに癒しを呼びかけています。イエスはガリラヤでらい病の人を癒されており(5:12-16)、その評判がこの村にまで聞こえ、病人たちがわらをも掴む気持ちで出てきたのでしょう。らい病の人々はほかの人々と共に住むことは許されていなかったので、その村はらい病者を隔離した集団居留地(コロニー)だったかも知れません。マルタとマリアが住んでいたベタニア村も、らい病患者のための村だったと思われています(マタイ26:6)。
・らい病人の集団にはユダヤ人もサマリア人もいました。ユダヤ人とサマリア人は反目し合っており、通常は共に住むことはあり得ません。らい病という共通の困難な苦しみが民族対立の壁を破らせ、彼らを一つにしていたのでしょう。その彼らにイエスは出会われました。イエスは彼らを憐れみ、言われました「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」(17:14a)。律法では、らい病を癒された者は祭司の所に行って体を見てもらい、癒されたことが確認されて清めの儀式を行えば、社会の交わりの中に復帰することが許されるとあります(レビ記14:19-20)。
・十人はイエスの言葉を受けて祭司の所に向かいます。これは必死の信仰です。癒されるかどうかもわからないのに祭司の所に向かい始めているのです。その彼らの信仰が彼らの病を癒しました。道の途中で「彼らは清くされた」とルカは記します(17:14b)。ここで病気が癒されたことが、「清くされた」と表現されています。病気は罪の結果だと考えられていましたので、清められる事が必要だったのです。
2.一人のサマリア人の救い
・さて、病気を癒された十人のうち、サマリア人だけがイエスのもとに帰って来ました。他の九人は癒されたことをできるだけ早く祭司に証明してもらうために、神殿に向かいました。しかしサマリア人は戻ってきました。彼は、サマリア人ですからエルサレム神殿の祭司は彼の清めを祝福しないからです。同時に彼は、その前にやるべきことがあると思ったのです。「神のみがらい病を癒しうる。だから行くべきは祭司の処ではなく、癒しを執り成してくださったイエスの処だ」と思ったのです。だから「大声で神を賛美しながら」(17:15)、イエスの許に戻ってきたとルカは伝えます。
・サマリア人一人がイエスのもとに戻りました。イエスは彼を見て言われます「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか」(17:17-18)。彼ら十人の群れは同じらい病であった時は、生活の絆が固く保たれていました。しかし一度病が癒されると、ユダヤ人はユダヤ人、サマリア人はサマリア人に分離してしまいます。同じ恵みをユダヤ人は当然として感謝せず、サマリア人だけがそれを感謝して受け入れた。サマリア人は一人にされましたが、彼の顔は輝いています。神に出会ったからです。イエスは彼に言われます「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」(17:19)。癒されたのは十人でしたが救いの宣言を受けたのは一人でした。
・私たちは体の癒し、病気からの解放を求めます。それは切実な願いです。らい病を癒された十人の患者たちは必死に神の憐れみを求め、そして癒されました。しかし、イエスのもとに帰ってきたのは一人だけでした。この話が私たちに語りかけていることは、「十人が癒されたが、救われたのは一人だけだった」ということです。癒し(イオーマイ)と救い(ゾーエー)は異なるのです。現代でも、多くの人が病気の癒しや困難からの解放を求めて教会に来られます。そして御言葉に接し、自分を取り巻く困難が今までとは違うように見えてくる経験をされます。貧しいことが必ずしも不幸なことではなく、病気も神と出会うための契機であったと受け入れることが出来るようになり、感謝してバプテスマを受けます。しかし、1年たち、2年たち、最初の感動は薄れ、牧師や教会の人々との人間関係に息苦しさを覚え、次第に教会から足が遠のいて行きます。多くの人が癒されますが、救われる人は少ないのです。
・信仰には、“自我の業としての信仰”と“神の業としての信仰”の二つがあることを前に紹介したことがあります(赤星進「心の病気と福音」)。自我の業としての信仰は、「自分のために神をあがめていく信仰」です。熱心に聖書を読む、礼拝に参加する、だから癒して下さいという信仰です。しかし、この信仰に留まっている時、やがて信仰は失われます。もう一つの信仰のあり方、神の業としての信仰とは、「神によって生かされていることを信頼する信仰」です。イエスは言われました「恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国を下さる」(12:32)。信仰が “神の業としての信仰”へ成長する時、信仰の崩れはありません。何故ならば全てのことが、良いことも悪いことも、御心として受け入れられるからです。イエスはサマリア人に言われました「立ち上がって行きなさい」(17:19)。サマリア人は神の業に参加するよう召命を受けたのです。彼は祝福を受ける者から祝福を運ぶ者に変えられていったのです。
3.神の国は来た
・今日の招詞にルカ17:20-21を選びました。次のような言葉です「ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」。当時のイスラエルはローマの植民地でした。このことは、「自分たちは神の選びの民」と信じるイスラエル人にとっては耐えられない現実でした。彼らは神がこれら異邦人を滅ぼすために、メシア(救世主)を遣わし、いつの日か自由になる日が来ることを待ち望んでいました。だから彼らはイエスに尋ねます「神の国はいつ来るのですか」。
・それに対してイエスは答えられます「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』、『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」。神の国は既に来ている、私の到来と共に来た。今あなた方の目の前で、十人のらい病患者が癒されたではないか。こんなことはこれまでなかったことだ。イエスは先に語られました「私が神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」(11:20)。今起こりつつある事柄を見てみなさい。イザヤが預言したように、「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」ではないか(7:22)。あなたがたは私をメシアと認めない、だから神の業が為されても、ここに神の国が来たことが見えないのだとイエスは語られました。
・ファリサイ派はイエスをメシアと認めることが出来ませんでした。彼らの求めるメシアはユダヤをローマ帝国のくびきから解放し、ダビデ・ソロモン時代の栄光を与えるメシアでした。現在もユダヤ人はイエスをメシアと受け入れません。著名なユダヤ教神学者マルテイン・ブーバーは語ります「イエスにおいてメシアは来ているとの主張は真実でありえない。さもなくば、世界はこのように全く贖われていないように見えるはずはない。それゆえ、なお来るべきメシアというユダヤ教の期待はより信頼に値する」。確かにこの世はまだ贖われていない、罪の世界です。しかし、その荒廃の中にイエスが来られ、イエスに従う少数の弟子たちが現れました。
・イエスをメシア(キリスト)と信じる「キリストにある愚者」が起こされたことこそ、神の国が来た証しです。キリストにある愚者は、世の中が悪い、社会が悪いと不平を言うのではなく、自分たちには何が出来るのか、どうすれば、キリストから与えられた恵みに応えることが出来るのかを考える人たちであり、この人たちによって福音が担われ、私たちにも継承されているのです。神の国は既に来ている、私たちこそその神の国の住民なのです。サマリア人はらい病を患っているコロニーでは民族の差別を受けることはありませんでした。そしてそれはイエスのおられるところであればどこでもそうなのです。新しい年の教会の目標は「違いを受容し、喜び合う教会」です。日本人も外国人も共に礼拝できる教会を形成するために、新しい年の誓いを私たちは立てました。