1.あなた方は地の塩、世の光である
・マタイ福音書・山上の説教を読んでいます。イエスは故郷ガリラヤで宣教を始められ、福音を宣べ、病気や患いの人を癒されました。大勢の群集がイエスに従って来ました。イエスはその群集を見て、山に登られ、人々に教えられました。その時の教えがマタイ5章に記されています。イエスの周りを弟子たちが取り囲み、その弟子たちを囲むようにして群衆がいました。その人々にイエスは語られます「あなたがたは地の塩であり、あなたがたは世の光である」。
・塩は生活に不可欠なものです。塩がなければ食物は腐りますし、塩を入れない料理はおいしくありません。イエスは「あなたがたはこの世において、そのような塩の働きをする。この世にしっかりとした味付けをし、また世の腐敗を防ぐ役割をする」と言われます。また光は闇を照らし、ものの形を明らかにします。また「あなたがたは、この世の闇を照らす光であり、あなたがたによってこの社会は明るくなる」と言われています。聞く私たちは困惑します。私たちは、「地の塩」、「世の光」といえるような立派な生き方はしていないからです。
・私たちはイエスの言葉の時制に留意する必要があります。イエスは「あなた方は塩になりなさい」という命令形ではなく、「あなたがたは地の塩である」と現在形で語られています。私に出会ったあなた方は既に塩なのだ、だから塩になろうとするのではなく、塩の本質である「塩気を失うな」と警告されています。パレスチナの塩は死海で取れますが、死海の塩は多くの不純物を含み、水分を吸うと塩が溶け、ただの塊になってしまいます。「塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである」(5:13)。あなたがたがの中にある不純物(世に対する煩い)があなたがたを侵食して塩気をなくさせるように働く。もしあなた方が世の人と同じ価値観に生き、この世に埋没したならば、あなたがたは塩としての役割を失うと警告されています。
・同じように、福音を聞いたあなたがたは、既に神の光を反射し、暗闇を照らす者となったのに、その明かりを隠したら何の役にも立たないと言われます。「山の上にある町は隠れることが出来ない」(5:14b).
エルサレムはシオンの山の上に立てられ、遠くからでも見ることが出来ました。同じようにキリスト者は隠れることなく、自分がイエスに従う者であることを明らかにせよと語られています。「ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである」(5:15)。明かりをいただいたのに、それを隠すことをするな、隠れたままでは弟子になることはできない、「キリスト者であることを恥じるな、隠すな」と語られます。
・イエスの言葉は多くの人たちに行為を迫りました。ある人は、「地の塩になる」とは、社会の腐敗や不正を指摘し、社会を良くしていくことだと思いました。戦前のクリスチャンたちはそう考え、社会改革運動に乗り出して行きました。賀川豊彦は貧しい人々も連帯すれば豊かになれると考え、消費生活運動や共済運動に力を入れました。海外の宣教団体は教育や医療を通じて世の光になろうとして、ミッションスクールや病院を建設していきました。それらは、「地の塩、世の光」としての生き方の一つではありますが、時代が経るに従い、聖書的理想が失われ、世俗化していきます。賀川が創設した農業協同組合は今では権益を追求する圧力団体になっていますし、ミッションスクールは今では単なる名門校になり、回心者を生む場所ではなくなりました。
・別の人々は、「世の光になる」とは伝道に励むことだと考えました。教会の本来の役割は伝道であり、伝道が実を結び、クリスチャンの数が増えていけば、この世は良くなり、その時、地の塩、世の光としての役目を教会は果たすと考えました。しかし、クリスチャンの数が増えても世の中は良くなりませんでした。アメリカはキリスト教を建国の理念に据えたキリスト教国ですが、同時にベトナム戦争やイラク・アフガン戦争を主導した戦争大国です。またクリスチャンが人口の三割を超える韓国が神の国とは思えません。そう考えますと、クリスチャンの数を増やすことが、求められているわけではありません。
2.理想をもって
・青山学院は「地の塩、世の光」を建学の精神にしています。学院は言います「地の塩と世の光は主イエスが語られたものですが、教えというより宣言です。つまり『あなたはかけがえのない存在だ』との宣言のもとに青山学院は立つのです・・・「地」も「世」も神なき現実、人間の尊厳を失わしめるような状況の代名詞です。そうした中で私たちは、神の恵みにより塩であり、光とされているのです」。青山学院が現在もこの理想の下にあるかはともかく、このような理想を持って建学された学校です。
・また、アメリカでは「丘の上の町」(マタイ5:14)という言葉が、特別の意味を持っています。アメリカ建国の指導者ジョン・ウィンスロップは、英国から新大陸を目指す船上で、「丘の上の町」と題する説教を行いました。「主が『ニューイングランドの植民地を造られた』と人々が言うようになる時、イスラエルの神が私たちの間におられることを知るであろう。そのために我々は、全ての人々の目が注がれる『丘の上の町』とならなければならない」。アメリカ建国の父祖たちは、「自分たちが世の光となり、新しい土地で神の国、丘の上の町をつくり、全世界の人々の手本となって神の栄光を世に示そう」としたのです。
・ウィンスロップの説教から400年後の今日でも、建国の理想は、アメリカ社会に生き続けています。1961年ジョン・F・ケネディは、大統領就任演説で述べます「今日、全ての人々の目はまさに私たちに注がれている。政府の全ての機関は、連邦、州、各自治体の全てのレベルにおいて、『丘の上の町』とならなければならない」。2011年にオバマ大統領は一般教書演説の中で語ります「アメリカが世界のリーダーシップをとり続け、単なる地図上の国でなく、『世の光』であり続けられるかどうか、そのすべてが我々の手にかかっている」。私たちには「世に対して果たすべき使命がある」というアメリカ建国の理想は、時の経過と共に、その理想が色あせ、腐敗していきます。しかしこのような理想を持って国が建てられたのは事実です。
3.私たちにとって、地の塩、世の光とは何か
・今日の招詞にマタイ5:11-12を選びました。今日の聖書個所の直前にある言葉です。「私のためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられる時、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」。イエスは集まってきた人々を祝福されました。「心の貧しい人々は幸いだ。悲しむ人々は幸いだ。柔和な人々は幸いだ」と言う言葉の最後に、「迫害される人々は幸いだ」という言葉があります。この言葉に続いて、「地の塩、世の光」が語られていることに注目すべきです。
・イエスに「地の塩、世の光」と呼びかけられた人々は、社会の有力者でもなく、信仰のあつい人々でもありませんでした。普通の人々、むしろ普通以下の、社会的影響力を持たない人たちでした。貧乏人や罪人や障がい者として、社会から差別され、疎外されていた人々でした。彼らは「ののしられ、迫害され、悪口を浴びせられる」人たちでした。この世では差別と迫害を受けてきた彼らがイエスによって無条件に迎え入れられ、心身の病から癒され、今、イエスの周りに集められています。その彼らに対して、イエスは「疎外されて来たあなたがたこそがまさに地の塩であり、世の光である」と語られます。
・「あなた方は貧しい。しかし貧しい人こそ幸いなのだ」。貧しい人は、「明日も食べ物を与えてください」と神に祈ってから床に就き、翌日、食べ物が与えられた時には、養って下さった神に感謝します。豊かな人にとって、食べ物があるのは当然で、感謝はしません。「あなた方は悲しんでいる。悲しむ人こそ幸いだ」。自分が悲しんでこそ、他者の悲しみがわかります。自分の子が不登校になって、おろおろして、カウンセリングを受け、親の会に導かれ、悩みを分かち合うことを通して助けられ、次には自分が助ける者となります。喜んでいる人は自分の喜びしか見えません。だから、悲しむ人は幸いなのです。世の価値観と異なる価値観を持つ私たちは世から排斥され、常に少数者です。それで良い、それこそが「塩味」なのだとイエスは語られます。
・「あなたがたは地の塩、世の光である」と宣言されています。あなたがたとは、この説教を聞いている弟子たちであり、群集です。それは、今日の礼拝に集まってきた私たちです。塩が塩として働く時、その形は溶けてなくなります。光は自分のために輝くのではなく、相手を照らすために輝きます。塩であり、光であることは、自分がなくなって相手を生かす存在になることです。地の塩、世の光であるとは、立派なクリスチャンになって、その行為で周りを感化することではなく、社会を改革するために熱心に行為することでもありません。私たちは自分の罪を知り、自分の惨めさに泣いたことがあるゆえに、他者の悲しみを悲しむことが出来ます。苦しんだことのあるゆえに、他者の苦しみを理解できます。だから私たちは悲しむ人を慰め、苦しんでいる人を励ますことが出来る存在、既に「地の塩、世の光」となっているのです。私たちは既に、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」(ローマ12:15)存在にさせられた。それが私たちの「塩味、光」なのです。「私たちは既に地の塩、世の光なのだ。だから塩味を失うな、明かりを隠すな。あなた方の存在がこの社会に必要なのだ」と励まされています。